オービニーの蚤の市 | 雷神トールのブログ

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5月15日ウチから約50kmにある町オービニー (Aubiny sur Nere )の蚤の市へ行った。この町はブルジュ(Bourge)から40km北にあり、ジアンとブルジュを結ぶジャック・クール街道の上にある。

フランスの田舎暮らし-マルシェ


ジャック・クールはブルジュで生まれたフランス15世紀の豪商で、当時ロワールから北を英国とブルゴーニュに支配され、ブルジュに亡命していたフランスの王太子の宮廷に出入りし、貨幣鋳造を担い、巨万の富を築くとともに、ジャンヌダルクと王太子の軍資金を調達した。

フランスの田舎暮らし-シャトー

          写真奥がスチュアート家のシャトー↑

父親の代からの金貨製造と両替商だった。オービニーの16km北にアルジャン(Argent sur Saudre)という小村があるが、銀貨(Argent )を造っていたのかもしれない。ジャック・クールは地中海貿易でシリアまで行き、当時中東(アジアの日本も同じ)では銀と金の価値が同じだったのを利用して大量の銀貨を金と交換してヨーロッパへ運び莫大な富を築いた。


フランスの田舎暮らし-人形1

           シャトーの北側もマルシェに早変わり↑

サンファルジョーの城も一時ジャック・クールの所有だったし、ワインで有名なサンセールには今もジャック・クールの別荘が残っている。ブルジュには豪邸が残っていて見学できる。

フランスの田舎暮らし-3人形


ヨーロッパにトランプを持ちこんだのもジャック・クールで、今日トランプの4っつのマークのうちハートはジャック・クールにちなんで作られた。クールはフランス語で心臓(ハート)のことなので。

フランスの田舎暮らし-人形と壺


さて、オービニーの町はスコットランドと縁が深く、マリー・スチュアートを記念したパブやスチュアート家のシャトーがある。16世紀の木の柱が壁に露出した家が独特の
雰囲気を醸している町。


フランスの田舎暮らし-市場


1542年12月に生れたマリー(メアリー)は生後6日で亡くなった父王の跡を継いでスコットランド王となる。1558年にはフランス皇太子フランソワと結婚しフランスへ渉る。が1年半後にフランソワが亡くなりスコットランドへ帰る。マリーはカトリックだが国には新教徒が増えていた。

フランスの田舎暮らし-スチュアート


1565年にマリーはダーリン卿ヘンリー・スチュアートと再婚する。ヘンリーの子はジェームズ6世でスコットランド国王、後に英国王ジェームズ1世となる。マリーは頑固にカトリックを守り通し、イングランドへ逃亡し、ヘンリー8世とアンの娘エリザベスの庇護を求める。エリザベスよりマリーの方が王位継承権が強いことを怖れられ軟禁状態で生活するが、反エリザベス勢力の象徴に祭り上げられ、バビントン事件などエリザベス暗殺の陰謀に加担した証拠が見つかり1587年2月マリー・スチュアートは処刑される。


フランスの田舎暮らし-メゾン

              写真の奥はフランソワ1世の家↑

幼少期をフランスの宮廷で育てられ、美貌の上にエラスムスなど人文主義の教養も高かったマリーはスチュアートの綴りを Stewart からフランス風に Stuart に変えたりもしている。


フランスの田舎暮らし-紋章



イングランド・フランス・スコットランドと三つ巴の抗争が絶えなかったこの時期、政略結婚と政争の犠牲になった女性の代表がマリーといえるだろう。スコットランドはフランスと同盟関係を結び、ジャンヌダルクが英国軍に包囲されたオルレアンを開放するにあたってもスコットランド軍が活躍した。

フランスの田舎暮らし-広場

この日は晴れたり曇ったりで途中小雨がパラつき、風も冷たかった。不景気のせいか
去年よりプロの骨董商の数が少なく、家庭の不用品を売る Vide grenier (屋根裏一掃)古物市の感がつよかったのでタイトルを「蚤の市」とした。


フランスの田舎暮らし-ピペ


 古本屋でロマン・ローランの「ラーマクリシュナの生涯」と「フランス詩体系」(全10巻のうち1巻欠け20
をめのおは買い、カミサンは花瓶用に素焼きの水差しを二つ(8€と3€)買った。

 (つづく)

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