オヤジが戦後の焼け野原に焼けぼっくいと黒いコールタールを塗ったトタンで建てた掘っ立て小屋に俊一らは中学を卒業する頃まで住んでいた。その掘っ立て小屋を壊し、西洋スタイルの板張りのダイニングキッチンと、俊一ら兄弟の勉強部屋と風呂場と八畳の和室とで出来た家を新築した頃から賢二にも家についての意識が出来てきたのだろう。
オヤジの跡を継ぐのは長男の俊一独りなどと誰もいった覚えがないのに賢二はおれは次男だから家は持てないなどと言い始めた。これには何か日本の古い社会が持っている儒教的な家族に関する考えを逆手に取った、ひねくれた考えが賢二の心にあったように俊一は感じる。日本では一生働いて持てるか持てないか。何十年というローンを銀行から借りてでないと家一軒をもつことはできない。そのローンを返すために男は一生働きづくめに働かねばならないのだ。そういうことが賢二を日本社会に反抗させ絶望させた一因になっていると思う。だが賢二の心理は複雑で、表層では日本の伝統的儒教思想を否定していながら、深層では自分が次男であるがゆえに親の遺産と仕事を継ぐのは長男の俊一だと賢二は決めているようなのである。
俊一は冗談じゃない、親は親、息子は息子と早くからオヤジの仕事はオレに向かない。おれは別の方面に行くと宣言しているのに、賢二はオヤジの仕事を継ぐのに躊躇いがあったせいか、それを次男だからという理由で免責にしようとしたふしがある。賢二のものの考えはここでもちょっとひねくれていた。
親にとって初めて生まれた子供の長男は、両親に可愛がられ愛情を独り占めにし、甘やかせて育てられるとはよく言われる。それは、俊一以外に子供がいなかった初<めの二年間のことであり、次男の賢二が生まれてからは俊一だって弟が可愛いと思ったし、遊び友達の連れ合いとしてもってこいの相手だった。小学校へ上がるまでは毎日イヌコロのように取っ組み合いをしては襖を破って遊んでいた。弟にはそれなりに気を使ったし、尻に大きなつぎはぎの当たった俊一のお古のズボンを履かされて学校へ行く弟の姿を見る時はかわいそうにと思ったりもした。
弟のほうは後から生まれて両親の愛情を分捕るくらいの積極性がないと何事も手に入れられないと観念でもしてるのか、俊一には賢二は尊敬に値するくらいの積極性と押しの強さと頑固な逞しさを備えた少年にいつも見えて、おそれをなしていたくらいだ
った。
(つづく)
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