「中世に、あの世よりこの世の幸福を望むってはっきり言ったのはアラブの哲学者、アヴェロエスだけど、南仏文化はアンダルシアのアラブ文化の影響を受けたから、こういう傾向を受け継いでるのね。
カトリックは女は生殖の道具でしかなく、家督相続のために結婚して子供を生ませる、牛や馬みたいな必要物で、ぜんぜん愛の対象とみなさなかった。
処女でイエスを産んだ聖母マリアさまだけが崇拝の対象になる女性だけれどね。女を愛の対象としたアラブでも愛は結婚外のもの。
アリストテレスもプラトンもアラブ語からヨーロッパの言葉に翻訳されたの。
古代ギリシャやアラブ世界の愛はホモセクシュアルだわ。
中世に宮廷風恋愛がひろまってやっとヨーロッパに異性間の愛の概念ができたの。
トルバドウールたちの愛の唄は南仏からスペイン、北フランス、ドイツ、ハンガリーってヨーロッパ中に流行するの。
女を狩猟の獲物みたいに追い駆けて射止めることに情熱をあげてたのが中世までの男よね。スペインの闘牛もおんなじだわ。女をさんざん愚弄して最後はとどめをぐさり。
中世になって、征服する誘惑者は、征服される犠牲者の魅力にどれだけ虜になってるかって発見をするの。
愛の対象を捉えることが苦しみと困難をともない、それを克服することに進歩があり、結果として、完全な女の愛が獲得できるってわけね。
プラトンの理想主義がキリスト教に合うものだってわかってからは、高貴なもの、魂を高みに導くものとして愛が理想化されてゆくわけ。
『饗宴』の中でソクラテスは愛における肉体と魂の分離を説くでしょう。美しい愛、高貴な愛、肉体だけじゃなく魂の美を愛せるひとびとはより完全で高貴な満足を得られるって。古代の愛は、愛の貴族化によって、中世の愛につながるのね。
(つづく)
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