5日目の午前中は室内で一枚の紙に各人少しずつ絵を加え共同制作をして遊んだ。午後、サンタマンの陶芸美術館( Musee de Gres )を訪ねた。
「Chawan」と入り口にポスターが貼ってあったが、「茶碗」のことだとは入場するまで気が付かなかった。アメリカ人、フランス人、オランダ人・・・さまざまの国の人がハデなの、地味なの、大きいの小さいのと自由奔放に茶碗を作ってるのが面白い。
展示の中心はジャン・カリエス Jean Carries ( Lyon 1855-1894 Paris )の作品と生涯を紹介するもの。彫刻家として出発したカリエスは1878年のパリ万博で日本の陶器を見て陶芸家になることを決意。39歳の若さで亡くなるまで写実的な作品を作り続けた。
カリエスの作品はオルセー美術館に展示され、ペールラシェーズに墓がある。
19世紀の終わりから20世紀初頭にかけ日本美術がフランスの美術界(絵画、工芸、建築)に与えた影響は計り知れない。ゴッホは北斎や広重から構図を学んだし植物をテーマにギマールなどナンシー派が活躍した。パリのメトロの入り口の装飾もジャポニスムの表れである。
縄文の昔から土器に親しんできた日本人の土への愛着と美意識の結晶である日本の陶芸。繊細で気品高い磁器から重厚素朴な民芸陶器に至るまで世界中でその価値が認められている。
それまで、おつきあい程度で絵をマジメに描かなかったマリオが突如おもしろい絵を描き始めた。長い間、仕事で絵を描くことなど忘れていたマリオはようやく少年期あるいは悩み多かった思春期の想いを取り戻しこんな絵を描いたのだ↓
眼が横を向き、不安で顔が歪んでるのが面白い。マリオのありし日の自画像と見た。
同じ年頃のイタリア男性でもっと陽気なコラド・リューポ・カミメロ氏も長い間デッサンなどしたことがなかったが、ここへ来て俄かに絵を描く意欲が沸いてきたという。中庭で昼食が始まるまで熱心にペン画を描き続けた↓
クレールという名の女性はふたり居て、シャトーのオウナーの家族で料理と会計担当のクレールはトマトで面白い作品を作った。皮は熱湯をかけてすべて剥いてある。マスタード入りのソースが垂れずに掛かったままなのが不思議だ↓
先生のアレッサンドラは教える合間に自分でも教室の片隅で水彩を描いていた。絵具は赤青黄の3原色の他5・6本しか持っていない。この3色を混ぜればほとんどの色が出せるのだ。先生の絵はこんな風↓
どっかの砂浜から拾ってきた石から得たイメージで描いた絵↓
カミメロ夫人も負けじと小石をヒントに描いた↓
最終日の午後、イタリー人のグループはサンソヴールにある女流作家コレットの文学館へ出かけた。めのおはなんどか行ったことがあるので城の前の風景を写生した↓
こうして6日間の水彩画教室は終わった。
最後に全員が描いたものを並べ合評会↓
(左端で手を挙げているエリック。右端が医師デイデイエ。赤パンツはマリオ。赤シャツがクレール)
合評会の後、エリックの奥さんが差し入れてくれたシャンペンで乾杯。
ボトルを掲げてふざけるジョヴァンナ。右がエヴ・マリ↓
ジョヴァンナはシチリア島に住んでいる。エトナまで50分、海まで2分のところに家があり窓から両方が見えるという。冬エトナに雪が積もっても海辺は零下にならず温暖だと。羨ましい。近頃はスペインの温室栽培オレンジがシチリア産のオレンジに大打撃を与えているという。ジェノヴァまで飛行機。そこからフェリーで島へ帰るという。
「来てくれれば大歓迎するけど、宣伝はしないわ」それがイタリア人だという。いつかシチリアへ訪ねて行きたいものだと思った。いつになることか?それは運まかせ・・・。
(水彩画教室終わり)









