はじめに

 

今回は暗い上に、箇所によってはサムい・イタいと感じるような文章だと思います。今読んでいる私はそう思います。

でもこれも当時の、本当の本当の気持ちなので残します。

こんくらいのどん底にいたとしても、今が穏やかで幸せなら、おっけーです。

 

当時の本音


情緒がおかしい。でも、しょうがないよな?こんな経験する20歳なんてそうそういないよな?だからもう今日はめいっぱい泣いて怒ることを許してくれるよな?もしもしんだらどうしようとか、なんで私ばっかりとか、痛いの嫌だとか、学校どうしようとか、そういうことで頭がいっぱいでつらい。
お願いだから許してよ。泣くこと怒ること、全部許して。


そう思い続けることは甘えなのかもしれない。このショックを言い訳にし続けることはいけないことだとも思う。でも、あの日は全部から逃げてしまいたかった。慰めも同情もいらないから、とにかく一人で沈んでいたかった。自分が必要としているのなら、そしてそれが後々の元気や安らぎにつながるのなら、私は悲しみや悔しさに浸ることを悪いことだとは思わない。思いたくないのだ。
でも、できるだけ周りの人間をそこに巻き込まないようにしたい。今回は完全には無理だったけど、私は部屋にこもることでそれを少し達成できたと思う。


「もっとつらい人も、大変な人もいるんだから」なんて、もしも今言われたら私はそいつをぶん殴るだろう。私はこの言葉、大嫌い。あの人のほうが大変なんだとか、そういうことを言うのはやめろ。つらさは比べるもんじゃないんだよ。比べられたところでそのつらさや痛みは消えないんだから。


世の中には色々な人がいる。抱えているものも様々で、その程度も様々だ。でも、「あの子のほうが大変なんだから我慢しなさい」とか、「私のほうが大変よ、それに比べればあなたはたいしたことないわ」とか、心の中で思ったとしても決して口に出して伝えてはいけないと思う。そういう言葉で傷ついている人を見たことがあるし、私もその類いの言葉で傷ついたことがある。「私は弱音を吐いてはいけないのか」と、悲しいような悔しいような、なんともいえない気持ちになった。
でも、もしかしたら私自身も、そういうことを言ってしまったことがあるかもしれない。無意識に言っているのかもしれない。この「そうかもしれない」という矛盾が、つらくて申し訳なくてしょうがない。


比べられたところでそのつらさや痛みは消えるだろうか。つらさや痛みを感じていることは紛れもない事実なのに、それを否定されるというのは残酷なことだ。私のつらさは自分にしか分からないし、あの子のつらさはあの子にしか分からない。みんながそれぞれ色々なものを抱えていて、抱えながらも一生懸命闘っているのだ。生きているのだ。