大河ドラマのおかげ?平安時代を身近に感じる。 | Final Touch

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猫とお花と音楽と。そして時々おいしいものを。

枕草子との出会いは、小学校高学年くらいだったと思う。

 

その頃、図書館で現代語訳された枕草子を読んで、すごくすごく共感して。

 

28段 にくきもの

 

忙しい時にやって来て長話をする客。大したことのない相手ならば「あとでね」と追い返すこともできるけれど、さすがに目上の人に対してはそういうわけにもいかず、大変憎たらしくてイヤだ。


他人を羨み、自分の身の上を嘆き、人の噂話をし、根掘り葉掘り知りたがり、聞きたがる。教えてやらねば逆恨みまでする。
また僅かに耳にしたことを、まるで自分が最初から知っていたかのように他人に話して聞かせる。これも大層憎たらしいものだ。

 

あとは、図に乗るしつけの悪い子供、それを叱らない親が嫌、とか、子供の私も思わず、うんうん、と言いたくなるような。

元カノの話を長々とする彼氏もゲンナリ、みたいなのもあったような。

 

1000年前から同じことをしていたのね、人間って。

 

 

反して、源氏物語。

色んな訳を読んでも、聞いても、

 

光源氏ってなんて嫌なヤツやねん。何様のつもりやねん。

(天皇のお子様)

 

としか思えなかった。

現代に生きていたら、まさしく炎上ものである。さぞ、セブンも文春も忙しかろう。

 

高校生くらいの年齢で、父の妻と不倫して子供を作り、父の子として天皇にしてしまう、ロリコン高じて半ば誘拐してしまう。

高貴な女性をいきなり廊下で襲い、倉庫に閉じ込め…「私は何をしても許される身ですから」と言ってしまう。

結局バレて明石に流されるんだけど「我はいかなる罪を犯して、かく悲しき目を 見るらむ」なんてシャラッと言う。

人妻に横恋慕して自宅に忍び込み、逃げられると、横に寝ていた子供を襲う…よくこんなの訳して海外に出したなとまで思ってしまう。読みが浅くて申し訳ないですけど。

 

現代の感覚でも十分理解できる「枕草子」と、理解できない「源氏物語」

 

やっぱり私は少納言派なのである笑

 

清少納言の目から見た平安時代しか知らないので、「光る君へ」では悪評高い藤原義懐様とかも、なんとなく好意的に見てしまうのだけど。

 

 

1988年発行の、橋本治さんのこの本。

田辺聖子さんの「むかし・あけぼの」も、どちらも、

手垢つくほど読み込みましたびっくり

 

 

かといって、文字やイラストから想像を働かせてイメージするしかない平安時代。

 

大河ドラマのおかげで、ぐっと身近に感じることが出来ています。

 

次はぜひ、飛鳥時代で…。