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TSUGOのばってん長崎

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長崎市茂木町

TSUGOのばってん長崎

茂木小学校の前を流れる若菜川。
小学校前バス停を下りたところに架かっている南川橋(なんごうばし)
橋の上から見る下流風景
満潮のころなのか…少しの間だったかれど満ちてるようだった。
期待していた干潟が…見えない。
潮がひくと水幅が極端に狭くなってあたりは干潟に変貌。その風景がいい。
見たかった。
古い教科書に載っていそうな懐かしい風景。
川の両側も雰囲気が以前とはずいぶん変わったような気もしないでもない。
ここでも時代の流れを感じた。


TSUGOのばってん長崎





 オランダ語通詞を継承した御家柄…
  しかも八代も続いた…

TSUGOのばってん長崎

TSUGOのばってん長崎

 阿蘭陀通詞加福家墓地  
 


 市指定史跡

   指定年月日:平成12428 

   所 在 地:長崎市寺町晧臺寺後山墓地内

 加福家は代々阿蘭陀通詞を継承した家柄である。

 始祖吉左衛門は初めポルトガル語の通訳として勤めていたが、

 ポルトガル人の国外退去に伴って阿蘭陀通詞へと移行した。 

 寛文4年(1664)小通詞となり、その後寛文8年(1668)には、

 大通詞に就任している。

 阿蘭陀通詞の大役である江戸番通詞も勤めたが、元禄2年(1689)江戸参府

 の際、   

 72歳で没している。

 加福家は、吉左衛門の後、明治維新に至るまで八代にわたって阿蘭陀通詞を勤めて

 いる。

 吉左衛門の他に3代喜七郎、4代喜蔵、5代安次郎及び6代新右衛門がそれぞれ

 年番大通詞に就任している。

 墓地内には、大小併せて29基の墓碑があるが、中には寛文(1661~72)年間の

 墓碑もほぼ原型のまま残っていることもあり、大変貴重であるといえる。 


                                          長崎市の文化財より



   高島家墓地 

  市指定史跡 

     指定年月日:昭和48115 

     所 在 地:長崎市寺町晧臺寺後山墓地

 高島家は、代々大村町(現在の万才町)に住む町年寄の家柄であった。

 初祖、氏春は天正2年(1574)長崎に移住し、初代茂春が頭人(後に町年寄と改称)

 となった。

 中央正面が3代茂卿の墓碑であるが、茂卿は、寛文13年(1673)に没しており、

 墓の配列から考えて、墓 域設置は、寛文(166173)前後と思われる。

 当主の墓碑は、初祖から11代までがあり(6代音纓の墓碑は、

 別家高島家墓地にある)この中には、慶応4年(1868)門人たちが建てた茂敦

 (秋帆と号した)

 その家族3人の墓碑もある。 

                                               長崎市の文化財より

  
TSUGOのばってん長崎





 長崎市街地を一望できる風頭公園は知られているが…
 龍馬銅像の横に見ながら少し下ると
 たぶん、訪れるともそういないだろう墓地。
 人影もなし・…しばし無言…シ~ン・・・静寂の緑が広がった。
 昔のままの石の階段に石畳。なんとも言えない。
 広々とした墓地。
 大きな木々の間から差し込む陽射し…不思議な美。幻想的な光景。
 人気は見えないが…遠くから落ち葉を掃く音。

 いい音…
 きっとお墓参りだろう。

 花見でにぎわってる公園とはまったく違った。別世界へ入り込んだ。
 見渡すかぎり歴史を感じられる立派すぎる数々のお墓。
 ふ~~…ため息
 長崎市指定史跡…なるほど
 
阿蘭陀通詞加福家墓地・唐通事林・官梅家
墓地・高島家墓地を見学しながら寺町の方へと下りて行った。