前回から
母は施設(サ高住)に入居した。
建物は新築で出来たばかりのサ高住だった。
部屋は一番上の階で(3階建て)眺めも良かった。
母は喜んでいた。
私と夫は母のためにテレビや布団など家財道具を運んで部屋に揃えた。
母は私たちがセッティングしたことをわからずにいた。
自分のマンションからこのサ高住に引っ越してきたと、思っていたようだ。
母の家は賃貸だった。私は一人で母の家を片付けたのだが、むづかしかった。
業者に頼んで家中の物を片付けてもらった。(働いていたので)
サ高住の生活は母には良いと思ったのだが。。。。
3か月ほどして母から何度も携帯に電話が掛かるようになった。
電話に出ると「ここに私は住んでいいの?追い出されない?」と母。
「大丈夫、そこは安全よ」と言っても納得しない。
10回位「大丈夫」と言った気がする。
母は何とか理解してくれた。
仕事の休み(土日)に母の面会に行っていた。
母は私と会うと普通の可愛いおばあさんだったが、私が家に帰るとその夜に
また電話が鳴った。
「ここにいて大丈夫やろうか?」
この電話は数か月続いた。
施設の責任者の方に相談しながら母がサ高住に慣れるように注意していた。
ある日、母がまた具合が悪くなった。前回と同じ精神的なもの。
入院していた精神科の先生に診てもらいながら、サ高住のデイサービスと精神科のデイサービス
2か所に行くこととなった。
母には負担が大きいかと思うが仕方がなかった。
母は認知症とうつ病を患っており、うつ病は治る見込みがなかった。
1年半後、母はうつ病が悪化し、サ高住に於いて手に負えなくなり、
精神科に再度入院することになった。
2か月ほど入院して母は退院したが、その時大腿骨を骨折していたのがわかった。
精神科で何かあったのか聞いても何もなかった、としか言われなかった。
手術するため、別の病院へ入院した。
主治医は「歩くことが難しい」と言われたが、最善の処置をしてくださった。
母は背骨の圧迫骨折2回、大腿骨骨折を1回(右)、過去にしていた。
骨粗しょう症治療薬を飲んではいたが、追い付かなかったのだろう。
可哀想で仕方がない。ひとりで母を見守っていた。
兄がいるが何もしてくれなかった。(見舞いも来なかった)
全て一人で母を看ていた私は本当に疲れ果てていた。
夫は仕事が忙しい。私も仕事をしながら母を看ることが大変だった。
今思えば私はまだ50代前半だったので何とか出来た。
(この後私は大病気をした)
術後、母はサ高住に戻ったが、車いすの生活になった。
コロナの頃だったので見舞いに行っても顔も見ることができない。
母がどうなったのか電話では聞いていたが、
顔も見れずどうなっているのかわからなかった。