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はつかねずみは何処へゆく

マルチメディアクリエイターを志す津上夏哉の備忘録です。

 

■今日はベースの日らしい、ということで久しぶりに簡単なイラストを描いた。というのも、来週月曜までに仕事で簡単なイラストを1枚仕上げねばならないのだ。僕は文章が専門だというのに、今日も仕事では画像の選定ばかりしていた。これはこれで楽しく、かつ楽チンだから良いのだけども。

さて、どうしてベースの日なのかというと、11月11日という数字がベースの4本の弦に見えるからだ。ならば11月11日11時はギターの時間ということでよろしい?もう終わっちゃったけど。

 

■親子のよくある傾向として、娘は年を経るごとに父親に懐くようになり、息子は母親に懐くようになる。僕は適当に育てられた結果どちらにも懐かずに成長した。三兄弟の真ん中というのはいろいろと世知辛いのである。調子づけば上に小突かれ、下手に出れば下が図に乗る。もちろん怒られるのは僕だ。理不尽極まりない。そりゃ家出もしたくなるってもんだ。なまじ野生育ちで野宿慣れしていた僕はまるまる3日家出して捜索願を出される一歩手前まで行ったことがある。そのころ僕は海水浴場のログハウスで寝ていた。明日は父親と飯を食べに行く。思い出話に花が咲けば良いけども。

 

■さて今日のタイトル「シガニー・コール」もボツ小説のタイトルだ。シガニーという少女に名前を読み上げられると死ぬという話で、偽名を駆使する主人公がお近づきになる始まり方だったと思う。テイストとしては「DEATH NOTE」に近い。それよりも条件は厳しいが、同じように悪人を粛清していく。酷い殺され方をしたやつもいた。僕は病んでいたんだろうか。ボツにした理由は、無論書いていて辛くなったのと、夢にそのシガニーが出てきたから。僕はよく自作品に呪われるきらいがある。

 

■地元の海。そこまで綺麗ではない。よくクラゲがいる。よくない。

 

■はつかねずみがやってきた。それでは、また。

 

 

■シンガポールはゴミを捨てると罰せられるため、いたるところにゴミ箱が置かれてあったりする。国土はとても狭い。まだ学生身分だった僕でもかなりの場所を制覇できた。マーライオンは世界三大がっかりと言われているが、本当に割とがっかりだった。一体どこに祀られているんだ……と思ったら気づいたら本当にその辺で水吐いてるだけだった。モニュメントのオーラがまるでなかった。観光客が写真を撮っている様子もあまり見かけない。下手すれば不思議な形の高層ビルのほうが目を引くぐらいで、彼も大変だなあと思った。

シンガポールはしばらく行ってないけど、どうなっているのだろう。日本でさえ数年でここまで変わったんだ、何も変わりないということはないだろうが、果たして僕がその変化に気付くことができるか。

 

■今、職場でマルチプレイヤー奨励のために業務シャッフルを行っているのだけど、あらためて画像を切り出すのはセンスと経験が必要だなと感じる(現在は記事に即した画像を選定する業務)。恐れ多くもデザインのセンスを何度か褒められたことはあるけど、実際に何かのデザインを有償で行ったことはない。経験はゼロだ。よくスポーツで「強豪との試合が一番の練習になる」ということを言うが、まさにそうだ。僕は試合経験がない。だから今、非常に苦戦を強いられている。

もっとも、苦戦するということは壁を乗り越えている最中だと信じたい。来週からまた業務シャッフル。というか随時シャッフル。なんともフレキシブル。

 

■今回の記事タイトル「ヴァルハナの戦火」は、僕としては珍しい近未来SFファンタジーだ。ドレッダーと呼ばれる巨大空中要塞が空を支配している時代の話……だったと思う。ヴァルハナというのはサンスクリット語で「乗り物」だったか。この頃は確か鎌池和馬の「ヘヴィーオブジェクト」を読み始めていて、思いっきり影響されていた記憶がある。そう、僕の一人称というのは、大体が鎌池和馬と入間人間と米澤穂信なのだ。そのへんを一緒くたに混ぜてしまって、謎のスパイスを加えてしまった成れの果てが僕ということになる。今後ともよろしく。

 

■自宅近くにカラスが集結していた時の写真。一体何が起こったものだと思った。夕方、近所の犬が脱走して、車に轢かれて死んでいたという。

 

■はつかねずみがやってきた。それでは、また。

 

 

■さつまいもの美味しい季節になった。ココットで作るスイートポテト。材料は、さつまいも一本、牛乳30ml、砂糖大さじ2、卵1個をなんとかすればできてしまう。さつまいもが十分甘ければ砂糖すら要らないほど甘い。今回は砂糖を抑えめにしたのだけど、それでも第一声でスピードワゴンの井戸田潤のモノマネをしそうになるほど激甘であった(今の子にこのネタ伝わるのか?わたし、気になります)。今年の甘太くん(大分県のさつまいもブランド)はその名前以上に甘ったるいぞ。ちなみにタネが余ったら、ゆで卵なりを色々ぶっこんで似非ポテトサラダにもできる。甘いけど。コロッケにしても面白いかもしれない。甘いけど。

 

■さて小説の話ですが、カクヨムにて新作を始めています。その名も「サクラソウの独白」。副題などはありませんが一応シリーズものの予定で、〈奇譚〉シリーズとでも言いましょうか。ごく普通の学校で起こる、ちょっとめずらしい事件を巡って主人公が右往左往するという話になっています。一応ミステリジャンルですが、主人公のある性格も相まって、どちらかというと学園ドラマや青春群像劇の側面が強いです。連載はスロウに、週に2回ほど更新する程度で行こうと思います。なにとぞ、宜しくお願い致します。

 

■それで、簡単といえどもミステリーを書いていて改めてプロットの大事さを知った。なんせミステリーだ、少しでも破綻があればそれはミステリーではなく黒インクの羅列になってしまう。今回はミステリーをあくまで要素の一つと捉えることでその危険性を下げているけれども、そのさじ加減も難しい。今までは書きながらその時その時話を考えていた(だから連載というのはなかなかに苦手である)ので、これを乗り越えられれば少しレベルアップできそうな気がしている。何しろミステリーは初めて挑戦するジャンルだ。心してかからなければならない。

 

■今回の記事タイトル「しぃちゃん忘れないで」は、以前WEBで連載していた、ホスピスを舞台とした話だ。白血病を患う少年と、記憶障害のある少女のハートフルストーリーだったと思う。病院ではなく、ホスピスを描くことで少しでも安らぎ成分を……と思ったけど、終盤の展開がやはり鬱すぎた。加えて筆を置いた理由は、級友が同じような境遇でホスピスに入ってしまい、とてもではないが続きを書けるような精神状態になかったからというものがある。また書けるようになったら続きを記そうと思っているが、なぜ僕がボツにした作品は往々にして陰鬱な要素を含みまくっているのだろうか……。

 

■はつかねずみがやってきた。それでは、また。

 

 

■根も葉もないことをいうと、僕は福岡に住んでいて、博多にある会社に勤めている。今日は早朝に起こった道路陥没のおかげで出勤停止を喰らってしまった(まずい、どの辺りが職場なのかバレてしまう)。明日も自宅待機の命令。さて、どうなるのだろう。停電を喰らったようだけど、それなりに規模が大きな会社なので被害額が計上しきれない。災害というものには立ち会いたくない、としみじみ感じる。というのも叔父が先の震災で亡くなったのである。

 

■11月といえば文化祭の季節。中学は生徒会に携わっていたため、運営に八面六臂だった記憶がある。高校時代はバンドで出演した以外、特に思い出がない。そういえば劇に出演した覚えはあるが、死神に殺される役だった。アレのお陰で切られて死ぬ演技だけは人並み以上にできるのではないだろうか?今後の人生で役に立ちそうもない。

 

そうなると一番思い入れ深いのは大学の学祭になるんだろう。こちらもバンドで出演した以外、なんこつを揚げたりコロッケを揚げていただけなのだけど。まあ、大学はそれなりに楽しかった。もう一度戻りたい……とはあまり思わないけど、講義を受け、部室で練習し、バイトに精を出していた日々はもう戻ってこないと思うと、やはり大切にすべきは今だと思った。時間は二度と戻ってこない。

 

■毎回文字だけだと寂しいので、こちらも写真ネタがない場合は過去に作ったりしたものを上げていこうと思う。ガトーショコラ。書店員時代に作って職場まで持っていったものだったかな。たしか炊飯器で作れるレシピだったはずだ。

 

■そういえば今回のタイトルもボツ作品のタイトルだ。「光り輝くシャケをどうぞ」はたしかコメディ作品で、普通の大学生・武志とシャケを愛してやまない変人・左文字瑛人のクソみたいな大学ライフを描いた作品だったと思う。リスペクトは「ピューと吹く! ジャガー」だろうか。今でこそコメディ作品は全く書いていないものの、じつは二〇一〇年頃にまで遡れば、僕の主力作品はコメディ作品だったとも言えるのだ。うーん、人はどう変わるかわからない。

 

■はつかねずみがやってきた。それでは、また。

 

■初めに断っておくと、僕はブログの記事タイトルを付けるのが非常に苦手である。毎日書くだけならまだいい、しかしどうすれば何の変哲もない日常に決まったラベルを貼ることができるのか! もちろん、内容に沿ったタイトルを付ければいいのだけど、ご生憎。僕は書きながら中身を考えている。小説と同じやり方だ。まったく手の施しようがない。

 

そんなわけで、記事タイトルを思いつかない日はかつてボツにした小説のタイトルを記してみる。意味はない。「僕達の失態」は、たしか、いじめがエスカレートして同級生を殺してしまった話なのだけど、構成成分の九九.九%が陰鬱キャプションだったので、なんというか、いたたまれなくなって没った。人生前向きに生きなければならない。

 

■タイトルと言えば、このブログのタイトル「はつかねずみは何処へゆく」には、ある程度意味がある。民話の類には跋文として決まり文句があるのをご存知だと思う。めでたしめでたしでもよければ、有名どころであれば、とっぴんぱらりのぷう、なんかも決まり文句、あるいは結句と呼ばれる文言だ。これは西洋民話にも存在するもので、そのうちのひとつに「はつかねずみがやってきた。はなしは、おしまい。」という決まり文句がある。

 

西洋において鼠は魔女の使いとして嫌われており、鼠がやって来たからお話は終わり、現実の世界に戻ろう、という意味合いが込められているのだろう。「ハーメルンの笛吹き男」でも、鼠は街を荒らす害獣として忌み嫌われていた。結句は物語の数だけ種類があって、「三びきのやぎのがらがらどん」では、「Snip,Snap,Snout.(チョキン、パチン、ストン。)」という独特な結句が見られる。僕のお気に入りは、ハンガリー民話で用いられる「死んでいなければ、今も生きているはずだ」というもの。

はつかねずみはやって来たあと、何処へ向かうのだろう。

 

■こちらは鼠は鼠でも、ハリネズミの手ぬぐいを買ってしまった。可愛いんだもの。

真の漢への道はまだまだ遠い。

 

■はつかねずみがやってきた。それでは、また。