わたしが6歳の頃、母方の祖母が亡くなりました。
8月でした。
母方の祖父、父方の祖父母は、わたしが生まれる前に亡くなっています。
そのため、わたしにとっては唯一の祖母の死。
初めての身内のお葬式でした。
祖母のお葬式で、わたしはたくさん泣きました。
その時は思っていました。
「おばあちゃんが死んで悲しい」
でも、今になって考えてみると祖母がいなくなったことを悲しんで泣いていたんじゃなかったと気付きました。

わたしが祖母に初めて会ったのは、6歳の時です。
7月だったと思います。
祖母は末期の癌で、余命幾ばくもないと言われたのでしょう。学校が夏休みに入ったわたしを連れて、母は帰省しました。
わたしは生まれてこの方「おばあちゃん」というものに会ったことがなかったので、おばあちゃんなるものに期待を抱いていました。
世のおばあちゃんは孫がかわいくて仕方ないというではないですか。
しかし、会って早々に「その子、誰?」と言われたくらいしか言葉を掛けられた記憶がありません。
母は兄弟が多い上に、わたし自身は遅く生まれた子供なので、祖母にはひ孫もたくさんいました。
ましてや末期の癌で入院中の身ですから、いまさら孫が一人増えたところで、珍しくもないし特に興味もないわけです。当然です。
それからしばらく母の実家に滞在させてもらいました。
母はこまめに病院に行きましたが、わたしは留守番して歳の近い親戚の子供たちと遊んでいました。病院にはあまり行きませんでした。たぶん、連れて行くと退屈したわたしが騒ぐので、母は連れて行かなかったのでしょう。
当然、祖母とわたしの間に交流が生まれるわけもなく。
母とわたしが家に帰って数日経った頃でしょうか。
祖母が亡くなったという報せを受け取りました。
葬式に参列するために、母とわたしは再び母の故郷へ行きました。
わたしはたくさん泣きました。
たくさん泣きましたが、それは祖母がいなくなった悲しみではありませんでした。
交流がほぼ皆無だった祖母がいなくなっても何も変わらないのです。
わたしが泣いたのは、祖母を亡くした母の気持ちを想像したからでした。
「わたしなら、お母さんが死んじゃったら悲しい」
と思って泣いたのです。
でもその頃は、自分の気持ちをうまく言葉にできなくて「おばあちゃんが死んだから悲しい」ということにしていました。
あと、初めてのお葬式が少し怖かったかもしれません。亡くなった人を見るのは初めてだったし。
8月には、そんなことを思い出します。