捨てづらいもの
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母の日記
父のも母のもあるんです。大量に。
数十年分。わたしが生まれる前から。
半世紀の記録。もっとあるかな。一番古いのが何年か把握もできてない。
せめて半分でも捨てておいてほしかった。
何で取ってあるの?
自分で読み返したかったの?
わたしに読んで欲しかったの?
ただ捨てるの面倒だっただけなの?
母の日記は、父の認知症症状の経過を知るのに役立ちました。知らなくても何とかなったのでしょうが。
すごくむかしの日記を見たら「母にもこんな時代があったのか」と驚きました。誰だってむかしは若いわけだけども。
何のファイルかなとパラパラめくったらチラシの裏に日記をしたためたものが綴じてあったり不意打ちを喰らうこともあります。
わたしはもう父からも母からもむかしの話を聞けなさそうなので、日記が語りかけてくるものがあるかもしれない、と考えてしまいます。
しかし、母の日記を読むと10回のうち9回くらいは残念な気持ちになるのでした。いや、50回のうち49回くらいです。
まれに心が温かくなることが書いてあり、ギャンブル性が高くて危険です。ギャンブルは、めったに当たらないから依存性が増すのです。
それに気づいて、捨てる決心がつきました。
過去ばかり振り返るのは不健全です。
親の日記を取っておいて、これからの人生それを読んで人生の貴重な時間を消費していくのか?
わたしには、輝く未来が広がっているはず。
もともと両親が処分していたらわたしの目に入るはずのなかったもの。わたしに見せるために残しているとも思えない。捨てましょう。
母がこれから回復して「むかしの日記を読みたいわ」と言うことがあるでしょうか?
古い箱の中に封印されるかのように詰め込まれ、天袋にしまいこまれていたものを?
父の日記
父がまだ特養に入る前のこと。
父が過去につけていた日記を見せたところ、熱心に読んでいました。それも一度だけのこと。
父が日記を読み返したいと言うこともないでしょう。
万が一、そう言うとしても「今度探して持ってくるよ」と言えば丸く収まります。
今を生きよう。
手帳
手帳は、日記に比べたら捨てやすいかな。
父のも母のもあるんですけどね。数十年分。
捨てておいて欲しかった。
手帳って毎年溜まっていくし、溜まれば溜まるほど捨てづらくなるのはわかります。
手帳は予定を把握して遂行するのが目的だから、その年が終わったら捨てていいもの。日記を兼ねていることもありますが。
古くなればなるほど、捨てづらくなるんですよね。