実家を片付けていたら、しっかりした造りの木の箱が現れました。大きさは30cm×30cmくらい。


何が入っているのだろう。

ドキドキしながら開けると、自転車の荷台につけるロープ(新品)しか入っていませんでした。


何がしたかったんだろう、この箱で。

そして、自転車の荷台につけるロープ(新品)がここにあることなんて絶対忘れられている。

捨てよう。


お菓子の紙箱とか缶とか、タオルの入っていた紙箱にはぎゅうぎゅうにいろいろ詰めるのに、なぜこういうしっかりした箱は活用しないのでしょう。

わたしが活用してあげましょう。



父は、何かが置いてあると開けてみたくなる習性があります。

人のカバンとか、普段使わない引き出しなどは絶対に開けません。(たぶん、母に怒られるから)


父の部屋にある机の上に、このしっかりした箱を置くことにしました。


中には、父のむかしの写真や、父の母校の卒業者名簿を入れてみました。


何の関係もない新聞の折り込みチラシをじーっと眺めたりテレビのショッピング番組をぼーっと眺めているより、過去の記憶を刺激するものを見る方がいいんじゃないかと思いまして。


「これ見てよ」と写真を見せたりしても、全く興味を持たないこともあるので、本人が「見つけた」と思う方が熱心に見てくれます。


気分は罠を仕掛ける猟師です。


机に罠を、もとい思い出を詰め込んだ箱を置いてみると、やはり時々開けて見ているようです。


父が日記を熱心に読んでいる時も思ったけど、父にとっては記憶が宝物なんだと思いました。


わたしたちも意識はしていないけれど、記憶って誰にとっても宝物なのかもしれません。

失う時になって初めて、こんなに大切だったのかと気づくのではないでしょうか。