母の入院と認知症の父の介護を機に、実家の片付けをしています。

母が元気な時、一度大掃除を手伝ったのだけれど、(わたしから見ると)どうでもいいものを取っておくと言うし、それ取っておかなきゃだめでしょと思うものを捨てようとするし、全然片付かなかった。


「どうでもいいもの」と思った中で印象に残っているのは二つ。


母が父との結納で使った三宝

(あんたが使うかと思って、と言うが保管状況が悪く劣化がひどい)

わたしが赤ちゃんの時に使った布オムツ

(あんたが子供産んだら使うかと思って、以下略)


今、書きながら思ったけど、母は本当にわたしが使うと思って保管していたわけではなく、そこにまつわる思い出が大切だったんじゃないかな。


結納の時の父。

母の両親、父の両親。

これから新しい人生が始まるという期待感。幸福になろうという決意。

待望の女の子が産まれて、かわいい赤ちゃん(わたしだ)のオムツを替えたり、お世話をして過ごす時間。


幸せな思い出が詰まってる。



母が「あんたが使うかと思って」と言った時、わたしは「使わないよ」「いらないよ、そんなの。新しく買うよ」とバッサリ切り捨ててしまった。


「お母さんは、これを使っていた時の思い出を大切にしているんだね」

「物を捨てても思い出はなくならないよ」


そう言ってあげればよかったな。



それ取っておかなきゃだめでしょと思うのに捨てようとしたものは、母が独身の時に文通していた父との手紙です。


あれ?

これにも幸せな思い出が…詰まってるのでは…?

あれ?三宝とか布オムツとか、本当にわたしに使わせようと思って取っておいた?

あれ?