父がまだ普通に暮らせていた頃。

つまり、多少の物忘れはあるけれど日常生活に支障はなく、人に迷惑も掛けていない頃。


父は補聴器を使っていました。

耳の聞こえが悪いからと高額な補聴器を買ったのです。しかし、今は使っていません。


耳が遠いから大声で話しかけないと聞こえないかと言うとそうでもなく、普通の声の大きさで話が通じる時もあります。ゆっくり、はっきり、言葉を選んで話す必要はありますが。


思うにこれは、認知症の初期に「人の言葉が理解しづらくなる」ということが起きるんじゃないだろうか。

音として聞こえるけど、内容が理解できない。


「頭で理解できていない」と考えるのは怖いから、耳のせいにしたんじゃないだろうか。



わたしは、少し前まで20代の若者たちと働いていました。小声で早口な若者がいて、会議の時など何を言ってるのかよく聞こえないことがありました。若者ってイントネーションも平坦だし。最近はマスクしてるから声こもるし。



常に周りが、あの若者の言葉のように不明瞭に聞こえづらかったらどうだろう、と想像しました。


周りの言葉がわからない。

わからないから勘で返すと見当違いで笑われたり怒られたりする。ボケていると言われたりする。


そんなの、まともな人間だって病んでいく。

わたしがゆっくり話すようになって、父がちょっとだけ昔を取り戻したのは、言葉がわかる世界に戻ってきたからかもしれない。


もっと早くから、お父さんにゆっくり話しかけていればよかった。





まあ、わたし個人の仮説ですけど。