榊田春子。それは私の名前だ。しかし、必要以上に違和感があった。
「春子…。」
私は裕樹に一度も名前を呼んでもらったことがなかった。私の両親は勿論、裕樹の両親も私を春子、と呼ぶのに、裕樹だけは呼ばなかった。そして私もそれを嫌だとは思わなかったし、「榊田」もれっきとした私の名前に違いはなく不思議にも思わなかった。由来は、私が冬に生まれたからだ。父も母も夏が大好きで―それも尋常じゃない。夏にしか生きる意味なんてないと言いきってしまいそうな勢いで夏を楽しみ、夏に生きて、夏を愛している―、そうして二人して、冬をそんなにかと思うほどに嘆く。そんな彼らの子供が冬に産声を上げたのだ。『寒さを引きずるのではなく、暑さの先駆けになる子になって欲しい』、そんな気持ちを思ってつけたらしい。そしてその願いは上手く叶い、私は夏になると元気になってその終わりがけから家の滞在が時間の大半を過ごす体質になった。裕樹にはよく、少しは外にでないと鈍ると言って外へ引っ張られたものだった。
封筒を空けるのには少し戸惑った。何が書いてあるのか全く予想できなかった。乱れた字に改まった宛名。ほんの少し震えている自分を感じて、裕樹の死を目の前にしているにも関わらず、それよりも彼の想いを知ることの方が怖いだなんて、なんて私は自分に甘いんだろうと思った。それと共に、こんなにも不安がっていた自分の気持ちを知った。
「もう、何もないんだから。知らないより全部知ってしまった方がいいでしょう。ね。」
一人呟いて言い聞かせ、封を開けた。
榊田春子様。
お仕事お疲れ様です。
今、実はそっちに帰る準備をしています。これを渡す時にはもう直接会っているわけなんだけれど、何だか今手紙をどうしても書きたくなってしまったので。字汚くてごめん。あの硝子のテーブル割れちゃってさ。木のやつかったんたけど…がたがたしてて。
そんなことはどうでもいいんだけど。なんて書いたらいいのかな。
榊田。
僕さ、実は海外へ行くことになったんだ。っていってもマレーシアな。そんなアメリカとかさ、ヨーロッパとかさ、全然そんないいとこじゃないんだけど。交流戦が前にあったんだ。その時に向こうの監督に…。ね。
そこでなんだ。榊田。
一緒にマレーシアで生活しないかな?向こうなら、ずっと夏だし、嫌になる時もないし…。きっと生活も苦しくないと思うんだ。
つまりさ。
春子、結婚してくれないかな。
こんなこと手紙で書くことじゃないから、頑張って口で伝えたいんだけど…もしかしたら言えないかもしれないから…。こんな情けないやつなんだけど、春子、守ることは約束できるよ。信じてもらえるかな。
ずっと榊田なんて呼んでてごめんな。春子って呼ぶのはこれ言ってからにしようと思ってて…。とかっていってみたり…。
春子の返事がどっちでもこの手紙は渡すつもりなんだ。だから受け取ってくれるだけでも十分嬉しいかな。
では、そちらに向かいます。待っててな。
日置裕樹。