静岡駅に降り立つと、
まず目に入るのが 歴史を象徴する三つの銅像。

• 久能山東照宮 三百年祭記念塔
• 竹千代君と今川義元公像
• 徳川家康公像(五大国を治めた頃の姿)


静岡は「駿府」と呼ばれた家康ゆかりの地。
駅前からすでに歴史の空気が漂っている。

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**◆ 久能山東照宮 三百年祭記念塔

家康の遺訓が刻まれた“静岡の象徴”**

まず目に入るのが、
久能山東照宮 三百年祭記念塔。

ここには、
徳川家康の有名な遺訓が刻まれている。

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」

家康の人生観を象徴する言葉で、
静岡駅前に立つこの塔は、
旅人に静かに語りかけてくるような存在。

● どうしてここに建てられたのか?

• 1900年代初頭、久能山東照宮の創建300年を記念
• 家康が晩年を過ごした“駿府”の玄関口として
• 静岡の人々が家康を敬い続けてきた証


静岡駅前にあることで、
「ここは家康の街なんだ」とすぐに分かる。

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**◆ 竹千代君と今川義元公像

“人質時代”の家康を象徴する像**

次に見えるのが、
竹千代君(幼い家康)と今川義元公の像。

家康は幼い頃、
今川家の人質として駿府で育った。

● この像が建てられた理由

• 家康の人格形成に大きな影響を与えた“駿府時代”を象徴
• 今川義元のもとで学んだ礼法・政治・教養を表現
• 静岡の歴史の中で「今川家と家康の関係」を伝えるため


竹千代の表情は幼く、
義元公は優しく見守るような姿。

静岡が“家康の原点”であることを感じさせてくれる。

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**◆ 徳川家康公像(五大国を治めた頃)

天下人としての風格を示す像**

そして最後に立つのが、
五大国(遠江・駿河・三河・甲斐・信濃)を治めた頃の家康像。

若き日の竹千代像とは対照的に、
こちらは堂々とした武将の姿。

● 建立の由来

• 家康が駿府を拠点に東海地方を統治した歴史を示す
• “天下人へと成長した家康”を象徴
• 静岡市が「家康公顕彰事業」の一環として設置


幼い竹千代から、
天下人・家康へ。

駅前でこの二つの像を見比べるだけで、
家康の人生が一本の物語として浮かび上がる。

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◆ 静岡駅前は“家康の人生をたどる場所”

• 遺訓を刻んだ記念塔
• 人質時代の竹千代
• 五大国を治めた家康


この三つが揃っている駅前は、
まさに“家康の人生の縮図”。

静岡の旅は、
駅に降り立った瞬間から歴史が
──家康が愛した城下町の“石垣の美”を歩く**

静岡駅前の銅像たちを巡ったあと、
向かったのは 駿府城跡。

家康が晩年を過ごし、
“天下普請”で整えた城として知られる場所。

近づくにつれて、
まず目に飛び込んでくるのが 巽櫓(たつみやぐら)。

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**◆ 巽櫓(たつみやぐら)

名前の由来は“方角”から**

巽櫓は、
駿府城の東南(=巽)に位置する櫓。

ここでちょっと豆知識。

● 櫓の名前は「十二支の方角」で決まる

• 北:子
• 東:卯
• 南:午
• 西:酉


そして、
東南=巽(たつみ)。

だから「巽櫓」。

こういう命名規則を知っておくと、
他のお城を巡るときにも役立つんだよね。

白壁と石垣のコントラストが美しく、
駿府城の象徴的な風景になっている。

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**◆ 東御門橋を渡り、東御門へ

枡形虎口の“守りの構造”を体感**

巽櫓を眺めながら歩くと、
東御門橋 に到着。

橋を渡ると、
立派な 東御門 が現れる。

ここは 枡形虎口(ますがたこぐち) と呼ばれる構造で、

• 直進できない
• 何度も曲がらされる
• 敵が一気に攻め込めない


という、戦国時代の防御の知恵が詰まっている。

門をくぐるだけで、
「城に入ってきたぞ」という実感が湧く場所。

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**◆ 二の丸へ

本丸を守る“政治と生活のエリア”**

枡形虎口を抜けると、
広い 二の丸 に出る。

ここは、

• 家臣の屋敷
• 政務の場
• 城下町との接点


として機能していた場所。

駿府城は平城だから、
二の丸の広さがとても印象的。

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**◆ 本丸堀跡に残る石垣

“当時の姿”がそのまま残る貴重な遺構**

二の丸から本丸方面へ歩くと、
本丸堀跡 に当時の石垣が残っている。

• 石の積み方
• 角の処理
• 水堀の名残


これらがしっかり残っていて、
「ここが家康の本丸だったんだ」と実感できる。

駿府城は火災や改修で多くが失われたけれど、
この石垣は当時の姿を伝える貴重な遺構。

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**◆ 二の丸水路から外堀へ続く“水の道”

川を越え、海へとつながる構造**

駿府城の面白いところが、
二の丸水路が外堀を越えて、さらに川へ、そして海へと続いていること。

• 城内の水を循環させる
• 舟運にも使える
• 防御にも役立つ


水の流れを巧みに利用した、
家康らしい合理的な城づくり。

静岡の地形を最大限に活かした構造で、
歩いていてとても興味深い。

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◆ 天守台跡の石垣は“別記事”へ

本丸の天守台跡は、
石垣の量が多く、見どころも多いから、
次の記事でじっくりまとめることにしよう。

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◆ 駿府城は“家康の集大成”を感じる城

巽櫓、東御門、枡形虎口、二の丸水路、石垣。
歩くだけで家康の城づくりの思想が伝わってくる。

静岡の旅は、
ここからさらに深くなっていく。
🌱 植物の基本情報

• 和名: セイヨウキヅタ
• 別名: アイビー、ヘデラ
• 学名: Hedera helix
• 花言葉: 「永遠の愛」「結びつき」「誠実」
• 風水: 良縁・家庭運(つるが“縁を結ぶ”象徴)


🪴 今日の様子

アイビーは、つるが伸びていく姿が美しい観葉植物。
実家で育てていた株から一枝もらって、
水差しで根を出して育てた子。

水の中で白い根が少しずつ伸びていく様子は、
小さな生命力を間近で感じられる特別な時間だったと思う。

土に植え替えてからは、つるがゆっくりと伸びて、
葉も増えて、部屋の中に柔らかい緑のラインを描いている。
光が当たると葉脈が透けて見えて、とてもきれい。

🌿 今日の記録

• 実家の株から一枝をもらって水差しで育成
• 白い根が伸び、土に植え替えて定着
• つるがゆっくり伸びて、葉の数が増えてきた
• 光で葉脈が透けるのが印象的


🌤 ひとこと

アイビーは、つるが伸びるたびに“つながり”を感じさせてくれる植物。
実家から受け継いだ一枝が、今では部屋の中で新しい景色を作っている。
これからどんな方向に伸びていくのか、ゆっくり見守りたい。
— 木々の展示や地域行事が息づく、“天沼の暮らしと歴史を守る”鎮守さま —

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🏞️ ① 基本情報(場所・アクセス)

• 所在地: 東京都杉並区天沼2-40-2
• 御祭神: 伊邪那美命(いざなみのみこと)
• 創建: 神護景雲2年(768年)説、または元弘3年(1333年)説など諸説あり  杉並区公式ホームページ
• アクセス: JR荻窪駅北口から徒歩約10〜12分 



天沼村の鎮守として長く地域を見守ってきた神社。

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🌳 ② “木の展示”が象徴する、天沼の歴史と自然

特に有名なのが──

● 大杉の切り株(区指定文化財)

• 直径2mにも及ぶ巨大な切り株
• 新田義貞が戦勝祈願で植えたと伝わる杉
• 昭和17年に枯死し、現在は切り株として保存

境内の木々も立派で、
“天沼の自然史をそのまま感じられる展示空間”になっているんだ。

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🪵 ③ 歴史的な遺構が多い神社

天沼熊野神社は、境内に歴史を語る遺構が多いのも魅力。

• 正応4年(1292年)銘の釈迦種子板碑(区登録文化財) 
• 文久2年(1862年)奉納の石造手水盤  杉並区公式ホームページ
• 文化14年(1817年)奉納の石造鳥居


住宅街の中にあるとは思えないほど、
“歴史の層”が厚い神社。

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🥁 ④ 夏祭り(例大祭)──太鼓の会のお披露目も!

• 例大祭は 8月第1土曜の次の日曜 に開催
• 境内は子どもたちでいっぱいになる
• 太鼓の会や御神輿、夜店など、地域の人たちの手作り
• 近年は安全確保のため、駐輪場の廃止など工夫もされている

**“地域の人がつくるお祭り”**という雰囲気がとても温かい。

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🏡 ⑤ 地域密着の神社としての魅力

天沼熊野神社は、観光地ではなく
“暮らしの中にある神社”。

• 近所の子どもたちがどんぐり拾いに来る
• SNSで宮司さんが地域の情報を発信
• 境内はいつも掃除が行き届いている
• 参拝に来る人が途切れない

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✨ ⑥ 旅のひとこと(感想)

天沼熊野神社は、
“木々の歴史・地域の暮らし・人の温かさが重なる、杉並の小さな聖域”。

木の展示に足を止め、
太鼓の音に夏を感じ、
地域の人の気配がふっと伝わってくる──
そんな優しい時間が流れる場所。

“日常の中にある特別な場所”
として心に残った。
2025年7月25日。
仕事を終え、夜の街が落ち着き始める頃に旅がスタートした。

新宿駅20時03分発の電車に乗り込み、
向かったのは 小田原。

夜の移動は、昼とは違う静けさがあって、
これから始まる旅の“序章”としてちょうどいい。

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**◆ 新宿から小田原へ

夜の移動が旅の気分を高める**

新宿駅を出て、
20時40分に小田原駅へ到着。

昼間は観光客で賑わう小田原も、
夜はどこか落ち着いた雰囲気。

ここから東海道新幹線に乗り換え、
静岡へ向かう。

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**◆ 小田原駅21時56分発 → 静岡駅22時36分着

夜の新幹線で一気に駿府へ**

夜の新幹線は、
窓の外が真っ暗で景色は見えないけれど、
その分、旅の静けさを感じられる時間。

静岡駅に着いたのは22時36分。
駅前の空気は、どこか涼しくて心地よい。

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**◆22時55分、今日の宿にチェックイン。

静岡の旅は、
ここから本格的に始まる。

— 琉球王国から贈られた、異国情緒あふれる特別な建物 —

仙巌園の中でも、望嶽楼はひときわ異彩を放つ建物。
ただの東屋ではなく、島津家と琉球王国の交流を象徴する特別な建築。

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🐉 ① 望嶽楼とは?(由来と役割)

望嶽楼は、
19代島津光久の時代に琉球国王から贈られたと伝わる建物。

• 藩主が琉球使節と面会するための“迎賓館”のような役割
• 異国情緒が強く、仙巌園の中でも特に独特の雰囲気
• 桜島を望む絶好の位置に建てられている




仙巌園の庭園美と、薩摩藩の国際性を象徴する存在。

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🧱 ② 特徴①:床に敷かれた「塼(せん)」という特別な瓦

望嶽楼の最大の特徴は、
床に敷き詰められた273枚の“塼(せん)”。

• 中国・秦の始皇帝が造ったとされる 阿房宮の床瓦を模したもの
• 仙巌園の中でもここだけに使われている特別な素材
• 幾何学模様が美しく、異国の空気を感じる


建物に入った瞬間、まるで中国の宮殿に迷い込んだような感覚になる。

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🖋️ ③ 特徴②:王義之の書を刻んだ扁額

内部に掲げられた「望嶽楼」の額は、
中国・東晋の書家・王義之の書を彫ったもの。

書の力強さと優雅さが、建物の雰囲気をさらに引き締めている。

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🌋 ④ 特徴③:桜島を望む“絶景ポイント”

望嶽楼は、
桜島を正面に見るために配置された建物。

• 仙巌園の中でも屈指のビュースポット
• 庭園の緑と桜島の雄大さが一枚の絵のように広がる
• 島津家が“景観”をどれほど大切にしていたかが伝わる

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🏯 ⑤ 歴史の舞台にもなった場所

望嶽楼は、ただ美しいだけじゃない。
歴史の重要人物たちが実際にここで会談をしている。

• 島津斉彬
• 勝海舟
• ほか国内外の賓客


幕末の激動期、ここで交わされた会話が日本の未来を動かしたかもしれないと思うと、胸が熱くなる。

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🌿 ⑥ 現地の雰囲気

• 仙巌園の中でも静かで落ち着いた空気
• 異国の香りが漂う独特の建築
• 床の模様や柱の質感が美しく、つい見入ってしまう
• 桜島の景色と調和して、時間がゆっくり流れる

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✨ ⑦ 旅のひとこと(感想)

望嶽楼は、
“薩摩藩の国際性と美意識が凝縮された、仙巌園の宝物のような建物”。

琉球との交流、
中国文化の影響、
桜島を望む絶景、
そして歴史の舞台。

151記事目にふさわしい、
“深みのある旅の一ページ”になったね。
【コレクション紹介】下中八幡宮の御朱印と、偶然がくれた特別な一枚

下中八幡宮でいただいた御朱印は、
お正月用に作られた特別なものだった。

普段は御朱印の授与がないと聞いていたから、
正直なところ、社務所に向かったときも
「まあ、ないだろうな」と思っていた。

でも、参拝していた夫婦が社務所に立ち寄っているのを見て、
念のために聞いてみたら、
「お正月用のものが少し残っていますよ」と
思いがけない返事が返ってきた。

その瞬間、
静かな境内に小さな灯りがともったような気持ちになった。

手にした御朱印は、
華やかすぎず、でも凛とした雰囲気があって、
下中八幡宮の静けさと歴史をそっと映し出していた。

偶然が重なって出会えた一枚。
だからこそ、旅の記憶の中でも
ひときわ大切な存在になった。
──八王子の歴史と文化を“丁寧に伝える場所”**

御主殿跡を後にし、
駐車場が閉まる前に急いで戻って車へ。
そのまま八王子駅へ向かい、
駅前の サザンスカイタワー八王子 へ移動。

目的地は3階にある
桑都日本遺産センター 八王子博物館。

ここが、八王子城の旅の締めくくりにぴったりの場所だった。

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**◆ 滝山城・八王子城の御城印をいただく

“訪れた証”を手にする喜び**

博物館では、
滝山城の御城印
八王子城の御城印
の両方をいただいた。

御城印をもらうには、
実際に城へ行った証明として 写真の提示が必要。

スマホで撮った写真を見せて、無事にゲット。

旅の記録が形になる瞬間は、やっぱり嬉しい。

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**◆ 日本遺産の御周印もゲット

八王子の歴史を巡る“もう一つのスタンプ”**

さらに、
日本遺産の御周印 もいただいた。

八王子は「桑都(そうと)」として
日本遺産に認定されている街。

• 絹産業
• 高尾山の自然
• 城跡
• 宿場町としての歴史


これらを巡る“御周印”は、
御城印とはまた違う魅力がある。

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**◆ 高尾山と“桑”の歴史

丁寧な説明がとても分かりやすい**

博物館では、
高尾山と桑(養蚕) の関係について
詳しい展示があった。

• 八王子は古くから絹の街
• 桑畑が広がり、養蚕が盛んだった
• 高尾山の自然と人々の暮らしが結びついていた


スタッフの方が丁寧に説明してくれて、
とても勉強になった。

八王子城や滝山城だけでなく、
街全体の歴史が一本の線でつながっていく感覚があった。

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**◆ 八王子歴史BUNCARDもいただく

月替わりで楽しめる“歴史カード”**

博物館では
八王子歴史BUNCARD も配布されていて、
これもいただいた。

• 月ごとにデザインが変わる
• 八王子の歴史・文化を紹介
• コレクション性があって楽しい


こういう地域の取り組みは、
旅の楽しみを広げてくれるよね。

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**◆ 展示は分かりやすく、建物も美しい

“丁寧に作られた博物館”という印象**

館内はとても綺麗で、
展示も見やすく、説明も分かりやすい。

• 八王子の歴史
• 絹産業の発展
• 城跡の紹介
• 地域の文化
• 昔の学校給食の展示まである


「大切に作られている場所だな」
というのが伝わってくる博物館だった。

旅の最後にここを訪れたことで、
八王子という街の歴史が一気に深まった。

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◆ 八王子の旅の締めくくりにふさわしい場所

城跡の迫力、
歴史の重み、
そして博物館での丁寧な展示。

八王子城の旅は、
最後にこの博物館を訪れたことで
“歴史の全体像”が綺麗にまとまった。
— 飫肥城下町の静けさの中に佇む、弥五郎どんを祀る歴史深い八幡さま —

田ノ上八幡神社は 飫肥城の鎮守として崇敬されてきた古社で、弥五郎どんの行事でも知られる、地域に根づいた温かい神社。

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🏞️ ① 基本情報(場所・アクセス)

• 所在地: 宮崎県日南市飫肥10丁目3-12
• 創建: 天永元年(1110)と伝わる古社
• 御祭神:• 彦火火出見命(ひこほほでみ)
• 神功皇后
• 応神天皇
• ほか多数の神々を合祀

• アクセス: JR飫肥駅から徒歩10分ほど
• 駐車場: あり




飫肥城の観光ルートからすぐで、散策の途中に立ち寄りやすい立地。

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🌿 ② どんな神社?(歴史と由緒)

田ノ上八幡神社は、
飫肥城の鎮守として伊東氏・島津氏から厚く崇敬された八幡さま。

• 大隅国から稲津弥五郎が八幡の御神体を背負って来て祀ったという伝承
• 天永元年(1110)創建と伝わる
• 天正16年(1588)、伊東祐兵が現在地へ遷座したとも
• 明治期には周辺の神々を合祀し、地域の中心的な神社に

飫肥の歴史そのものが、この神社にぎゅっと詰まっている。

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🪵 ③ 弥五郎どんの神賑行事(宮崎県指定無形民俗文化財)

田ノ上八幡神社といえば、
弥五郎どん。

• 竹で編んだ巨大な人形(1丈半=約4.5m以上)
• 衣袴をつけ、長刀や槍を持つ
• 子どもたちが引いて町を練り歩く
• 毎年11月の例祭で行われる

鹿児島の岩川八幡、宮崎の的野正八幡と並ぶ“弥五郎三兄弟”の三男とされているのも面白い。


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🌳 ④ 御神木のクスノキ(市指定天然記念物)

境内でひときわ存在感を放つのが、
樹齢400年以上のクスノキ。

• 伊東祐兵が飫肥入城の記念に手植えしたと伝わる
• 樹高30m、幹周8〜9mの巨木
• 日南市の天然記念物

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🏯 ⑤ 飫肥城下町と相性抜群の“静けさ”

「城下町の雰囲気が残る良い場所」
というのが本当にぴったり。

• 飫肥城の白壁と石垣の余韻が続くエリア
• 神社は少し高台にあり、風がよく通る
• 観光地のにぎわいから一歩離れた静けさ
• 古い社殿が“懐かしさ”を感じさせる
九州御朱印巡り


飫肥の町歩きの中で、心がふっと落ち着く場所。

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✨ ⑥ 旅のひとこと(感想)

田ノ上八幡神社は、
“飫肥城下町の静けさと、八幡信仰の力強さが共存する神社”。

弥五郎どんの伝承、
伊東氏ゆかりの御神木、
そして長い歴史を感じる社殿。

“飫肥の空気を深く味わえた時間”
として心に残った。

──戦国の“政治の中心”が静かに残る場所*

御主殿虎口の石垣を抜けると、
その先に広がるのが 御主殿跡。

ここは、北条氏照が政務を行い、
家臣たちが集まり、
八王子城の中枢として機能していた場所。

山の中とは思えないほど広く、
そして何より目を引くのが 礎石の多さ。

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◆ 礎石が語る“政治の中心”の姿

御主殿跡に足を踏み入れると、
整然と並んだ礎石が一面に広がっている。

• 建物の規模が大きかったこと
• 部屋数が多かったこと
• 政務・儀式・接客など多用途だったこと
• 山城とは思えないほどの整備ぶり


礎石の配置を見るだけで、
ここが単なる山城の一部ではなく、
“城下町の役所”のような機能を持っていた ことが分かる。

滝山城から八王子城へ移った理由も、
この御主殿跡の規模を見ると納得できる。

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◆ 山の中に突然現れる“平場の広さ”に驚く

御主殿跡は、
山の斜面を巧みに削って作られた平場。

• 山城とは思えないほどの広さ
• 建物跡が規則正しく並ぶ
• 周囲は深い谷と急斜面で守られている


「ここに本当に建物があったんだ」
と実感できるほど、礎石の保存状態が良い。

写真が多くなるのも納得だよね。

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◆ 御主殿跡は“生活と政治の中心”だった

本丸が軍事の最終拠点だとすれば、
御主殿は 政治・生活・儀礼の中心。

• 氏照が政務を行う
• 家臣が集まる
• 宴席や儀式も行われた
• 城下の統治の中心


山城の中に、
これほど大規模な政務空間があるのは珍しい。

八王子城が後北条氏の重要拠点だったことが、
礎石だけでも伝わってくる。

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**◆ 写真が映える理由:

“石垣 × 礎石 × 山の緑”のコントラスト**

御主殿跡は、写真映えする要素が揃っている。

• 石垣の直線
• 礎石の規則正しさ
• 山の緑の柔らかさ
• 空の明るさ


戦国の遺構なのに、どこか静かで美しい。
悲劇の舞台であることを知っていても、
その景色には不思議な落ち着きがある。

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◆ 御主殿跡は“八王子城の心臓部”

本丸が軍事の象徴なら、
御主殿跡は 八王子城の心臓部。

ここを歩くと、
八王子城が単なる山城ではなく、
“城下町を支える政治拠点”だったことがよく分かる。