深草の王朝と宗教の記憶を後にして、  
次に向かったのは、伏見の“熱”が残る場所たち。  
水運の町として栄え、戦国と幕末の舞台となった伏見。  
その記憶を辿る時間が始まった。

## ■ 伏見港公園 ― 水の町・伏見の名残
中書島駅から歩いてすぐの場所にある伏見港公園。  
かつては十石舟が行き交い、水運の拠点として栄えた場所。



- 江戸時代の物流の中心  
- 今も舟の模型が残り、往時の雰囲気を伝える  
- 水とともに生きた町の記憶が静かに残る

## ■ 織田信長公塚石 ― 信長の伏見の痕跡
伏見港公園の近くにある「信長塚」。  
伏見に信長の名が残っていることに驚きつつ、  
その石碑に手を合わせる。






- 本能寺の変の後、信長の遺骸が伏見に埋葬されたという説も  
- 伏見城との関係も深い  
- 石碑は小さいが、歴史の重みを感じる場所

## ■ 金井戸神社(三栖神社御旅所) ― 水の神を祀る社
伏見の水運を支えた神社のひとつ。  
三栖神社の御旅所として、  
水の神を祀る小さな社が静かに佇む。







- 水と酒の町・伏見らしい信仰  
- 旅の途中でふと立ち寄ると、心が落ち着く場所

## ■ 角倉了以水利紀功碑 ― 水路開発の功績を讃える碑
角倉了以は、江戸初期に高瀬川などの水路を開発した人物。  
その功績を讃える碑が伏見にも残っている。





- 水運の町・伏見の礎を築いた人物  
- 小さな碑に、町の成り立ちが刻まれている

## ■ 伏見口の戦い激戦地跡 ― 幕末の火蓋が切られた場所
伏見は、鳥羽伏見の戦いの舞台でもある。  
伏見口は、薩摩・長州軍と幕府軍が激突した場所。





- 明治維新の始まり  
- 伏見奉行所が焼け落ちた激戦地  
- 今は静かな街並みに、熱の記憶が眠る

## ■ 電気鉄道事業発祥の地 ― 近代の始まりも伏見から
伏見は、なんと日本の電気鉄道事業の発祥地でもある。  
近代の交通の始まりが、ここから動き出した。



- 明治時代の技術革新  
- 伏見が“時代の転換点”であり続けた証

① 基本情報(場所・アクセス)

臨済寺(りんざいじ)は静岡市葵区にある臨済宗妙心寺派の寺院。
駿府城からほど近く、今川家・徳川家ゆかりの寺として知られる。
普段は非公開だが、特定日には境内の一部が公開される。

(ここにPCの広域地図+スマホの詳細地図を配置)

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② 由来・創建

臨済寺は、今川義元の父・今川氏親が創建し、
義元の参謀であり軍師でもあった 太原崇孚雪斎(たいげん すうふ せっさい) が開山した寺。

今川家の学問所として栄え、
後に徳川家康(竹千代)が人質として過ごした寺としても有名。

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③ 歴史トピック

● 竹千代(徳川家康)が幼少期を過ごした寺

今川家の人質として駿府に送られた竹千代は、
この臨済寺で学問・礼法・武芸を学んだ。
家康の人格形成に大きな影響を与えた場所。

● 太原雪斎の寺

雪斎は今川義元の参謀であり、外交・軍略・教育のすべてを担った天才。
臨済寺は雪斎の精神が今も息づく場所。

● 今川氏輝・雪斎・中村一氏の墓所

境内には今川家の重要人物の墓が並び、
静岡の戦国史を語る上で欠かせない“聖地”となっている。

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④ 観光の見どころ

● 静寂に包まれた山門と境内

臨済寺は観光地化されていないため、
静けさがそのまま残っている。
山門をくぐると、時代がゆっくりと巻き戻るような感覚になる。

● 竹千代が学んだ空気を感じる場所

本堂や庫裏の佇まいは、
“ここで家康が育った”という実感を与えてくれる。

● 墓所エリアの重み

今川氏輝、雪斎、中村一氏──
戦国史の重要人物が眠る場所は、
静かで、厳かで、どこか凛とした空気が漂う。

● 今川文化の香り

庭園・建築・寺の雰囲気すべてが、
“今川家の教養の高さ”を感じさせる。

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⑤ 豆知識

• 臨済寺は今川家の菩提寺
• 家康はここで雪斎から教育を受けた
• 雪斎は外交・軍略・宗教のすべてに通じた稀代の才人
• 今川文化は“東国の京”と呼ばれるほど洗練されていた


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⑥ コレクション(御朱印)

臨済寺は通常御朱印の授与は行っていないが、
特別公開日には授与されることがある。

• 御朱印:未入手(次回の楽しみ)
• 関連コレクション:駿府城の御城印と合わせると歴史がつながる


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⑦ 旅のひとこと(感想)

臨済寺は、静岡の戦国史の“核”のような場所だった。
竹千代が学んだ空気、雪斎の気配、今川家の文化──
どれも静かに、しかし確かに残っている。
観光地ではなく、歴史そのものが息づく寺で、
“通にはたまらない”という言葉がぴったりだった。
源氏物語の舞台を後にして、  
次に向かったのは、伏見の山裾に広がる寺院と陵墓のエリア。  
ここは、宗教と王朝の記憶が交差する、伏見の“精神的な中心”ともいえる場所。

## ■ 宝塔寺 ― 日蓮宗の名刹、伏見の山中に佇む寺
宝塔寺は、伏見の山中に静かに佇む日蓮宗の古刹。





- 室町時代に創建  
- 塔頭が多く、宗派の拠点として栄えた  
- 山門からの眺めが美しく、伏見の街を見下ろせる

参道を歩くと、  
宗教都市としての伏見の空気が静かに伝わってくる。

## ■ 圓空立信上人御廟 ― 江戸時代の僧侶の墓所
宝塔寺の近くには、圓空立信上人の御廟がある。





- 江戸時代の僧侶で、教化活動に尽力  
- 伏見の人々に親しまれた存在  
- 小さな石碑に、静かな敬意が込められている

## ■ 真宗院 ― 山門に残る宗教の記憶
真宗院は、伏見の寺院群のひとつ。  
山門だけが残っていて、  
かつての宗教活動の痕跡を静かに伝えている。





- 浄土真宗の寺院  
- 山門の佇まいが印象的  
- 伏見の宗教文化の一端を感じる場所

## ■ 仁明天皇 深草陵 ― 王朝の記憶が眠る静かな丘
次に訪れたのは「仁明天皇 深草陵」。







- 第54代天皇、平安中期の人物  
- 深草の山中に静かに眠る  
- 陵墓の周囲は静寂に包まれていて、王朝の気配が漂う

この場所に立つと、  
王朝の記憶が風に乗って届いてくるようだった。

## ■ 旧桓武天皇陵(谷口古墳) ― 古代と王朝の境界
最後に訪れたのは「旧桓武天皇陵(谷口古墳)」。



- 古墳時代の遺構を、桓武天皇陵として治定したもの  
- 現在は“参考地”として扱われている  
- 古代と王朝の境界に立つ、不思議な空気の場所

伏見の山裾には、  
こうして“時代の境目”が静かに残されている。

① 基本情報(場所・アクセス)

靖国神社は東京都千代田区にある、明治以降の戦没者を祀る神社。
最寄り駅は九段下駅で、参道から大鳥居までの距離が長く、
“広大な神域”としての存在感がある。



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② 由来・創建

靖国神社は1869年、明治天皇の勅命により創建された。
戊辰戦争の戦没者を慰霊するために始まり、
その後、国のために命を捧げた人々を祀る場所として拡大していった。

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③ 歴史トピック

● 大村益次郎と靖国神社の縁

靖国神社の創建に深く関わったのが大村益次郎。
近代日本の軍制を築いた人物で、
境内には彼の銅像が立ち、静かに参拝者を見守っている。

● 上野戦争とのつながり

大村益次郎は戊辰戦争の上野戦争で指揮を執り、
旧幕府軍との激戦を制した。
その後、戦没者慰霊の必要性を強く訴え、
靖国神社の創建へとつながっていく。

● 広大な境内と歴史の重み

参道、大鳥居、神門、拝殿──
どれも規模が大きく、歩くだけで歴史の深さを感じる。

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④ 観光の見どころ

● 大鳥居から続く長い参道

都心とは思えない静けさ。
木々に囲まれた道を歩くと、自然と背筋が伸びる。

● 大村益次郎像

靖国神社の象徴のひとつ。
歴史を知ってから見ると、より深い意味を感じられる。

● 拝殿と本殿の荘厳さ

白木の美しさと静寂が印象的。
参拝すると、言葉にできない重みが胸に残る。

● 遊就館(別記事で扱う)

歴史資料が非常に多いため、
今回は“周辺スポット”として紹介し、
別記事で丁寧に扱う流れが自然。

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⑤ 豆知識

• 靖国神社の正式名称は「靖國神社」
• 明治天皇が名付けた
• 境内は東京ドーム約10個分の広さ
• 大村益次郎像は日本初の西洋式銅像


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⑥ コレクション(御朱印)

靖国神社は御朱印の種類が豊富で、
時期限定のものも多い。

• 通常御朱印:入手済み
• 時期限定御朱印:複数入手済み
• 遊就館の御朱印は別扱い(後日記事化)


御朱印の変化を楽しめる神社としても魅力的。

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⑦ 旅のひとこと(感想)

靖国神社は、とにかく広大で静かだった。
参道を歩くと、都会の喧騒が遠くに消えていき、
大村益次郎像の前に立つと、歴史の重みがずしりと伝わってくる。
御朱印も種類が多く、訪れるたびに新しい出会いがある。
遊就館は別の記事でじっくり書きたいほど内容が濃く、
靖国神社は“何度訪れても深まる場所”だと感じた。

藤森神社から深草の静かな道を歩いていくと、  
次々に現れるのは、王朝の記憶を宿した場所たち。  
寺跡、陵墓、文学の舞台——  
伏見という土地の“深層”に触れる時間が始まった。

## ■ 貞観寺跡 ― 平安時代の寺院の記憶
かつてこの地にあった貞観寺は、  
平安時代に創建された寺院で、  
深草の信仰と文化の中心だったとされる。

今は跡地として静かに残るのみだけれど、  
その空気には、王朝の祈りがまだ漂っているようだった。



## ■ 沓塚陵墓参考地(伝聖宝墓) ― 忘れられた皇族の眠る地
貞観寺跡のすぐ近くにあるのが、  
「沓塚陵墓参考地(伝聖宝墓)」。

- 聖宝(しょうぼう)とは、空海の弟子であり、醍醐天皇の時代の高僧  
- この地に墓があると伝えられているが、詳細は不明  
- “参考地”という扱いが、歴史の曖昧さを物語る

## ■ 深草十二帝陵 ― 王朝の記憶が集まる静かな丘
さらに進むと、「深草北陵(深草十二帝陵)」へ。

- 平安から鎌倉にかけての12人の天皇が祀られている  
- 深草の山裾に広がる静かな陵墓群  
- 一つ一つの陵に、異なる時代の空気が宿る

ここはまさに、  
“王朝の記憶が集まる丘”と呼ぶにふさわしい場所だった。







## ■ 元政上人旧跡 ― 江戸時代の詩僧の足跡
深草の文学的な空気を感じる場所として、  
「元政上人旧跡」も訪れた。



- 元政上人は江戸時代の詩僧  
- 仏教と文学を融合させた人物  
- この地に庵を結び、詩を詠んだとされる

王朝の記憶のすぐそばに、  
江戸の詩人の気配が重なるのが伏見らしい。

## ■ 源氏物語・藤裏葉の苑 ― 物語の舞台が現実に残る
そして、文学の極みともいえるのが「藤裏葉の苑」。







- 『源氏物語』の“藤裏葉”の巻に登場する地  
- 光源氏が藤壺の面影を追う場面が描かれる  
- 王朝文学の世界が、伏見の地に重なる

物語の舞台が現実に残っているというのは、  
まさに“文学が息づく土地”という証。

① 基本情報(場所・アクセス)

名古屋城は愛知県名古屋市の中心に位置し、徳川家康が築いた城として知られる。
地下鉄名城線「名古屋城駅」から徒歩すぐで、アクセスも良い。




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② 名古屋城の歴史(コンパクト)

名古屋城は江戸幕府の西国支配の拠点として築かれ、尾張徳川家の居城として栄えた。
天守は戦災で焼失したが、本丸御殿は近年の復元により往時の姿を取り戻しつつある。

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③ 名古屋城の見どころ(全体の概要)

● 天守閣

耐震の関係で中には入れず,木造での復元計画中
だが、現在の復元天守の迫力は健在。
戦後の復興を励まし,見守ってきた天守閣。

● 二之丸庭園

広々とした庭園は、城の静けさを感じられる場所。

● 石垣の美しさ

名古屋城の石垣は規模が大きく、歩くだけで城郭の力強さを感じる。

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④ 本丸御殿(主役)

本丸御殿は、名古屋城の中でも圧倒的な存在感を放つ場所。
あなたが言っていたように、**二度訪れても新しい発見がある“進化する御殿”**だ。

● 復元の精度と豪華さ

金箔・障壁画・木材の香り──
どれも職人の技が詰まっていて、歩くだけで心が震える。

● 訪れるたびに変化する展示

• 前回なかった建物が増えていた
• 白かった襖に絵が描かれていた
• 復元が進むたびに“新しい御殿”に出会える


名古屋城は、ただの復元ではなく、
**“現在進行形で完成していく文化財”**という稀有な存在。

● 部屋ごとの空気の違い

上洛殿の豪華さ、対面所の格式、玄関の迫力──
それぞれの空間に物語がある。

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⑤ 豆知識

• 本丸御殿は国宝だったが戦災で焼失
• 現在の御殿は“史実に忠実な木造復元”
• 金シャチは名古屋のシンボル
• 天守の木造復元計画は議論が続いている


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⑥ コレクション(御城印・スタンプ)

• 御城印:入手済み
• 御城印帳:名古屋城で購入
• 日本100名城スタンプ:取得済み
• 名古屋城カード:次回の宿題


コレクションが揃っていく感じが、旅の記録としてとても美しい。

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⑦ 旅のひとこと(感想)

名古屋城の本丸御殿は、何度訪れても心を奪われる。
前回は白かった襖に絵が加わっていたり、新しい建物が増えていたり、
“生きている御殿”という言葉がぴったりの場所だった。
復元が進むたびに新しい姿を見せてくれるから、
これからも時折訪れて、その変化を見守りたくなる城だ。

藤森神社を後にして、深草の住宅街を歩いていると、  
小さな案内板がふと目に入った。  
「西岸寺」。  
何気なく立ち寄ってみると、そこには思いがけない歴史が眠っていた。




## ■ 西岸寺 ― 親鸞聖人の奥方・恵信尼公の墓所
西岸寺は、浄土真宗にゆかりの深い寺院。  
境内の奥には、親鸞聖人の妻として知られる **恵信尼公** の墓が静かに佇んでいる。







恵信尼公は、親鸞聖人とともに越後・関東へと歩み、  
その生涯を支え続けた人物。  
晩年は京都に戻り、この深草の地で生涯を閉じたと伝わる。

ただの散歩道の途中で、  
こんな深い歴史に触れられるとは思っていなかった。







## ■ 偶然の立ち寄りが“ご縁”になる
旅では、目的地だけでなく、  
こうした“偶然の寄り道”が心に残ることがある。

- ただの住宅街の一角  
- 小さな寺の静かな境内  
- そこに眠る、親鸞聖人の奥方の物語

深草の空気はどこか柔らかく、  
恵信尼公の墓前に立つと、  
長い歴史の中で人々が紡いできた祈りが静かに伝わってくるようだった。

① 基本情報(場所・アクセス)

吉川元春館は、広島県北広島町にある戦国武将・吉川元春の居館跡。
山間の静かな場所にあり、雪の日に訪れると一層“戦国の静寂”が際立つ。



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② 由来・創建

吉川元春は、毛利元就の次男であり、毛利家の軍事面を支えた名将。
この館は元春が隠居後に暮らした場所で、
「戦国武将の生活空間がそのまま残る貴重な遺構」 として知られている。

館跡は発掘調査により建物の配置が明らかになり、現在は整備されて公開されている。

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③ 歴史トピック

● 毛利元就の次男・吉川元春

元春は“武の吉川”と呼ばれ、毛利家の軍事を担った存在。
兄・隆元、弟・小早川隆景とともに“三本の矢”の一人。

● 隠居後の静かな館

戦場を駆けた元春が、晩年を過ごした場所。
戦国の喧騒から離れた、穏やかな時間が流れていたとされる。

● 発掘で明らかになった館の構造

建物跡・庭園跡・石垣などが残り、当時の生活を想像しやすい。

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④ 観光の見どころ

● 雪に包まれた館跡の静寂

訪れた日は雪が降り、
白い世界の中に広がる館跡は、まるで時間が止まったような雰囲気。
戦国の空気がそのまま残っているように感じられる。

● 建物跡の配置が分かる整備された遺構

礎石や庭園跡が丁寧に整備されていて、
「ここに元春が立っていたのか」と想像が膨らむ。

● 隣接する「戦国の庭 歴史館」

館跡のすぐ隣にある資料館。
吉川元春の生涯、毛利家の歴史、日山城の模型などが展示されている。
ここで 日山城の御城印 を手に入れたのも旅の良い思い出。

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⑤ 豆知識

• 吉川元春は“三本の矢”の一人
• 館跡は国指定史跡
• 日山城は吉川氏の詰城(戦時の拠点)
• 館跡と日山城は“平時と戦時”のセットで理解できる


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⑥ コレクション(御城印・スタンプ)

• 吉川元春館の御城印:なし(館跡のため)
• 日山城の御城印:戦国の庭 歴史館で入手済み
 → 館跡と詰城の御城印が揃うのは嬉しいポイント
• スタンプがあればここに追加


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⑦ 旅のひとこと(感想)

雪の中に佇む吉川元春館は、静かで、冷たくて、どこか厳しい空気をまとっていた。
戦場を駆けた元春が、晩年を過ごしたこの場所に立つと、
“戦国の終わりの静けさ”のようなものを感じた。
隣の歴史館で手にした日山城の御城印も、旅の記憶をより深くしてくれた。

京都駅で荷物を預けたあと、  
改札内のロッカーだったため、同じ駅で降りられず、  
たまたま隣の「藤森駅」で降りることに。



## ■ 偶然の出会いが“ご縁”になる
藤森駅を降りてみると、  
すぐ近くに「藤森神社」があることに気づきました。





- 武運の神として信仰される神社  
- 菖蒲の節句や競馬との縁が深い  
- 訪れたのは25年末  
- 翌年の干支「馬」に縁のある神社だったという偶然









この“偶然の乗り換え”が、  
旅の中での“ご縁の発見”につながった瞬間でした。

## ■ 御朱印もいただく
藤森神社でも御朱印をいただき、  
京都最終日の記録がまた一つ増えました。





① 基本情報(場所・アクセス)

高松城は香川県高松市にある海城で、別名「玉藻城」。
JR高松駅から徒歩すぐというアクセスの良さで、旅の途中でも立ち寄りやすい。




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② 由来・創建

高松城は1588年、豊臣秀吉の家臣・生駒親正によって築かれた。
瀬戸内海に面した“海城”として知られ、海水を引き込んだ堀が最大の特徴。

その後、松平家が藩主となり、江戸時代を通して高松藩の中心として栄えた。

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③ 歴史トピック

● 日本三大水城のひとつ

高松城は、今治城・中津城と並ぶ“日本三大水城”。
海水を堀に引き込む構造は、全国でも珍しい。

● 海から直接入る「水手御門」

船で城内に入るための門が現存しており、海城としての機能を今に伝えている。

● 天守は現存しないが、櫓が残る

天守は失われたが、月見櫓・艮櫓などが残り、当時の姿を感じられる。

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④ 観光の見どころ

● 堀に泳ぐ“鯛”

高松城最大の名物。
海水を引き込んだ堀には鯛が泳いでいて、城の景観と海の気配が混ざり合う不思議な光景が広がる。

● 水手御門(海から入る門)

海城としての象徴。
船で直接城内に入る構造は、他の城ではほとんど見られない。
あなたが印象深かったというのも納得の場所。

● 月見櫓(内部公開)

内部に入ると、当時の木組みや構造がそのまま残っていて、歴史の息遣いを感じられる。
外観だけでなく“中を見られる櫓”は貴重。

● 玉藻公園の静けさ

城跡全体が公園として整備されていて、海風が心地よい。

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⑤ 豆知識

• 高松城は海水を堀に引き込む“潮入りの城”
• 鯛は城の象徴として大切に飼育されている
• 水手御門は国の重要文化財
• 月見櫓は海に面して建てられた珍しい櫓


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⑥ コレクション(御城印・スタンプ)

• 日本100名城スタンプ:次回の楽しみ
• 御城印:次回訪問時に頂く予定
 → 高松城は御城印のデザインも人気
• 今回は“見る旅”に集中した形で自然な流れ


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⑦ 旅のひとこと(感想)

堀に鯛が泳ぐ光景は、他の城では絶対に見られない不思議な魅力があった。
海から船で入る水手御門は、海城としての歴史をそのまま残していて印象深い。
月見櫓の内部に入ると、木の香りや梁の組み方から当時の技術が伝わってきて、思わず見入ってしまった。
高松城は“海と城が溶け合う場所”で、歩くだけで心が静かになる城だった。