新建築家集団の会報誌が届いて、
とても、共感できる内容が書いてあり、
開催計画と都市開発の関係は、
やっぱりという感じです。
オリンピックは、何のためにあるのか?
オリンピック憲章には、
オリンピズムの目標は、
スポーツを人類の調和のとれた発達に役立てることにあり、その目的は、人類の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進していくことである
と定められている。
しかし、実態は、
オリンピックは裕福な後援者たちの利益にはなるなもしれないが、所得階層の中間や下位の人々がツケを払っているように思われる。とオリンピック幻想論で記述されているという。
リオ市民の生活環境をおざなりに、オリンピックに巨額の投資を重ねた先には何が残るのだろうか?
あれだけの施設や街づくりは、市民にどのように反映されるのだろうか?
アメリカのボストン市ですら、立候補を取りやめるほどの冷静さと民意を大切にする判断がなされているそうですが、東京では4兆円の想定をしているというから、あきれます。
ロシアのドーピングの告発があっても、IOCが取った判断は、スポーツビジネスを優先させたのは、明らかに不正を正せない組織になっているという表れかな。
東京オリンピックの招致をめぐって裏金が動いたという疑惑は、トルコは払わなかったけど、日本は払ったから優位に立ったということが明らかになったにもかかわらず。
FIFAもそうだし、大きなお金が動くワールドカップでも、同様のことが起こってきたし、日本でも、アベノミクスという経済効果を盾に、これまでと何も変わらないような気がする。
たぶん、太いものに巻かれろという、
風潮は、日本人のプライドをなし崩しにしていくんだろうな。
これだけ、手の皮が何回もめくれて、必死になって、努力して金メダルを取った選手の表舞台は、その反対側にあり、
あまりテレビは見ないけど、卓球とバトミントンは、心から応援したくなるくらい、引きつけられるものがある。
こうした選手の活躍の場は、スポーツビジネスの巨額な資金が必要だという考えからは、当分ぬけだせないで、どんどん負の遺産を増やして、問題を先延ばししていく。
原発の再稼動も、民意は反映されない。
この国のモラルは変えられないかな。
舛添さんから小池さんに代わって、
何を変えるのかは、
都民のモラルと個人の行動次第だと思う。
是非、直接関わることはないが、
しっかり見ていきたい!