第70話/規定・素手・金銭(ちから・ちから・ちから)
前回のハイジャック回収回である。
「あれって現実的にはどうやってはなしまとめたのかな…」みたいなことは刃牙でなくても漫画ではよくあることだが、わざわざそれを描くとは。
それも、タイトルにあるように、「ちから」のさまざまな表出のためだ。
刃牙が東京国際空港で警備会社のひとにはなしを聞かれている。ハイジャックが可能なことは確認できたので、刃牙もまったく抵抗してないのだろう。好きなところに降りて逃走までできて完全なハイジャックじゃないかなという気もするが…
乗ったのも東京、少なくとも日本っぽいから、いったん目的地までいったのか、それともUターンしたのだろうか。迷惑系グラップラーだな。
現場のリーダーっぽい大柄な男に、刃牙は、搭乗時にスイスアーミーナイフを没収されたはなしをしている。サイズ的に飛行機には持ち込めないとメガネの職員が丁寧に説明する。危険だから、ということだが、しかしその小さいナイフでハイジャックができるのか。してみてくれと刃牙はいう。危険はさまざまなかたちをとりうるので、ルール的に一括して禁止するためには、無限にありうるさまざまな危険度のものを個別に判断していくわけにはいかず、だからこういう手続きになるので、つまりそういう問題ではないのだが、しかしまあ、刃牙の無茶な言もわからないではない。こんなナイフでは強盗もできないだろう。
気に障ったのか、ナイフなんてなくてもハイジャックできる、と刃牙はいう。本気の顔である。この時点で事情を聞くなりしてもよかったかも。
で、じっさいにやって証明した。
大柄な男は刃牙を範馬くんと呼ぶ。職業柄、刃牙が何者かはよくわかっているらしい。刃牙なら素手でハイジャックもできるだろうがしかしほんとにやるなよと。狩場なんかよりよほど範馬の実力を理解していそうな感じだ。
刃牙は、そんなことよりナイフを返してくれという。頂きものだそうだ。あくまで「ナイフを没収されたから」という理由づけにこだわるようだ。
そこへ、警備会社の社長と光成がやってくる。最初内海警視総監が来たのかと思った。こんな顔じゃなかったっけ…
光成は、なにしてくれとるんじゃと、案外まともなことをいう。なぜここにと問われ、闘技場の第一人者だろうという。最初から同じ調子、表情で怒鳴っているので、「自覚を持て」みたいなことかと思ったが、第一人者云々はじぶんが身元引受人だという意味らしい。
戸惑う警備に、社長がいやに堂々と解散を伝える。重ねて戸惑う彼らを安心させる強い口調で外すようにいうのだった。
部屋を去るふたりの警備、細いほうがお爺さんを見たことがあるというので、大柄なほうが徳川財閥のトップだと伝える。要するに金でなんとかしたのだ。
部屋では社長が刃牙にナイフを返している。受け取った刃牙はナイフを軽く放り、シャープな無数の蹴り技で、指で開くのもたいへんなときがあるナイフをぜんぶ開いてみせるのだった。
つづく
社長はなんか、そんなかっこよさげに金銭に屈服しなくても…
しかし、まことしやかにいわれがちな「光成がなんとかしてくれる」が、人物の推測伝いにでも描かれたのはかなりのことだ。マジで「なんとか」してたんだな。光成からすれば国家的な遺産レベルの存在だろうし、彼がそれをする動機はまあ理解できるが…。刃牙はもうちょっと感謝しようか。わがままも貫きすぎると、武蔵になる。彼を「存在してはいけない」といえなくなるぞ。
前回では、強さを求めるものとして、素手のハイジャックが可能かどうかを確かめてみた、というニュアンスだったが、ほんとうのところはナイフの没収が動機だったようである。刃牙はなににそれほど怒っているのか。杓子定規な決まり事やなにも考えていないようにみえる相手に苛立つひとはいる。コンビニでタバコを求めるおじいさんに年齢確認するようなものだ。だがそういう理由ではないだろう。たんにナイフが頂きもので大切だったからかもしれない。だがこれはもちろん、規定を設ける側の見落としに怒っているのである。危険だからナイフが持ち込めない、つまり危険なもの、ハイジャックを実現するものは飛行機内に入れないということなら、搭乗が許される丸腰のじぶんは危険ではないと判断されたことになる。刃牙はそれに怒っているのである。
先にも書いたが、規定とは、ある程度事物を平準化して、一括的に受け取るものだ。美術館などで写真撮影が禁止されているとき、もちろん目的は作品の撮影を阻むところにあるわけだが、カメラやスマホの持ち手がじっさいにはなにを撮影したか、またするつもりであったかをいちいち確認してまわるわけにはいかないし、そもそも「確認」じたいが認められない可能性がある。だから私有地内において撮影機能それじたいの使用を制限するのである。ここでは、カメラの持ち手の個性、特殊性、要するに「撮影してSNSにあげるつもりだった」「友達を撮影しようとして作品がうつりこんでしまった」「そんなこといわれなくてもわかってる」「スマホ持ってない」等々、個別の「どういうつもりか」はすべて捨象され、ただ撮影可能性のあるものとして全来場者が解釈され、それを制限する、という手順がとられている。
空港の安全確認も同様である。このナイフでハイジャックができるのかできないのかは関係ない。ここではすべてひとがハイジャック実行可能性のあるものとして平らに並べられて、無個性化している。安全を確実にするためであり、また作業上のコストの都合でもあるだろう。ともかく、コンビニの年齢確認にせよ、撮影禁止にせよ、規定はそのように機能する。問題は、規定がわたしたちを無個性化する、ということではない。特殊性はそのままに、目的を達成するために、規定がいったんわたしたちを無個性なものと解する、ということなのである。
今回刃牙はそこにかみついた。思えば前回の、わりと珍しい「地上最強の18歳」という名乗りも、このことへのリアクションであったのだ。父親が社会性を身につけていく一方で、息子は特殊個人であることを断じてゆずらない道をすすむのであった。
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