今週のバキ道/第137話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第137話/直線力

 

 

 

 

勇次郎強いエピソードが週をまたいだ?!

いや、検証したわけじゃないからわからないけど、勇次郎が強いのはみんな知っているので、逆にいまさらなにをする気なのかなという興味はある。

今回使われるのは地球最大の生物・クジラを一撃で仕留めるという捕鯨砲である。それを、ストライダム企画で、勇次郎に向けて発射するというものだ。

 

ここでライフル銃の解説が入る。ライフル弾の初速は時速1000キロにもなるというが、まっすぐ進むその軌道に笹の葉が入っただけで、大きく軌道をはずれてしまうという。花山がいってたやつだな。闇金ウシジマくんでも、あたまを狙った弾丸がなにかのはずみで頭蓋骨と皮膚のあいだに入ってしまい、緊箍児のようにハチのぶぶんをまわってしまったことがあった。それは巨大な推進力あってこそのもろさなのだろう。ほんの少しの横からの衝撃が、増幅し、誇張されて、大きく的がはずれてしまうのである。

 

というわけで、勇次郎はこの捕鯨法を、よけるのでも受けるのでもなく、横なぎにするのである。人差し指で廻し受けだ。回転にのまれた銛はその場で的を見失い、やがて地面に突き刺さる。これなら独歩もできるかもしれないな。

 

勇次郎は、なぜだか「例外はない」という。誰も例外があるなんていってないのだが、ともかく、直線に進むもの、特にそのちからが強いものは、横からは無力であると。クジラをぶち抜くパワーがあるなら人差し指でじゅうぶんなのだ。

 

さて、これがいったいなにを意味するのか?どうやら今回の勇次郎は、いつもの強い描写ではなかったようである。というのは、描写が、直前までの独歩対蹴速戦にもどるからだ。完全に終了した試合の、続きである。独歩が会場をあとにしているところだ。その前に、前傾姿勢の蹴速がたちはだかる。独歩は、両耳なくしたばっかりで、両目までなくすことはないと、指を伸ばしつつおどかす。この状況でやっても蹴速に勝ち目があるとはとてもおもえない。独歩なりの優しさだろう。

蹴速は耳がないので、なにをいっているのか正確にはわからない。だが「仕切り直し」だという。いや当麻家の「仕切り直し」ってそういうジャック的なやつじゃないよね。やるなら日を改めて独歩が酒でも飲んでるときにしようよ。

 

蹴速が前に出る。だが、前に出るとほぼ同時に気絶しているか、ほとんど意識がない状態になっているようだ。右足の踵は粉々、正拳の連打で肋骨の大部分にヒビが入り、両耳をむしられ、さらに貫手で両脇をやられている。日本語をしゃべっているだけで超人といえるレベルのダメージだ。当然の成り行きである。独歩は、嫌な夜だとしながら、目突きを放つのだった。

 

 

 

つづく。

 

 

 

嫌でもやるのが独歩のいいところでもあるが、どうだろうな、さすがにここで両目はいかないか・・・。

 

おそらく単行本で続けて読んだほうが流れがつかみやすいところかもしれないが、どうやら今回の勇次郎描写はありがちな強い描写ではなかったようだ。似ている感じのでいうと、柳の実力を語る国松とか、スペック戦中に街のチンピラに説教かます柴千春とか、あんな感じかもしれない。どうも、今回の勇次郎は、前後に伸びる独歩・蹴速戦におけるなにかについて語っているものとおもわれるのである。それがなんなのかは、正直言ってよくわからない。たとえば、蹴速が猪突猛進型でとにかく力任せに独歩へドスコイして、独歩が年の功でそれをいなす、みたいな試合展開だったならはなしはわかるが、なんというか、独歩はふつうに正面衝突しているようにみえる。いや、見えるだけで、じっさいにはかなり蹴速は翻弄されていたのかもしれない。けっきょく、蹴速はほんらい逃げ出してそれこそ「仕切り直し」をするべきタイミングで、砕けた足のままたたかい続けてしまったのだ。だから、わからない。わからないが、たぶん蹴速の、あるいはまた宿禰の未熟さのようなもの、捕鯨砲のようにじゅうぶんな威力を孕みながら、横から思いがけず突かれるとよろめいてしまうような拙さを、勇次郎は物語を通して指摘しているものなのかなというふうにはいえるかもしれない。

 

そもそも、今回の「仕切り直し」は、ほんらい当麻蹴速が用いてきたものとはまったく別におもわれる。彼らが用いてきた「仕切り直し理論」は、けっきょくのところ「詭弁」である。試合は、勝つまでやる、だから負けてない、そういう言い分を正当化するために、彼らは「仕切り直し」という言葉を用いてきたのだ。だが、今回の蹴速では、ことばのそのままの意味での「仕切り直し」である。目覚めるなりピクルのもとにダッシュしたジャックと変わらない。要するに、ぜんぜんずるくないのだ。もしかすると勇次郎はこのことを示しているのかもしれない。蹴速はこれで独歩の強さがじゅうぶんわかったはずだ。だとすれば、対策のしようもある。この場はそのまま退散し、怪我が治るのを待ち、拳のかたさを想定した稽古を重ね、さらにタイミングまで狙って「まだ負けてない」宣言をすれば、可能性はある。それがほんとうの「仕切り直し理論」のはずだ。しかし、そうせず、誤った意味での「仕切り直し」という語をくちにしてまで連続してたたかうことを選んでしまったのは、意地とかプライドとか、要するに若さがもたらすぶぶんが大きいだろう。それでは独歩には勝てない。バキには勝てるかもしれないが(バキはよく油断して負けるので)、渋川や本部にも勝てないだろう。勇次郎がいっているのはそういうことかもしれない。

 

ただ、あの目突きが目に突き刺さっているものかどうかというのは、微妙なところでもある。今回直線的な攻撃を放っているのはむしろ独歩のほうである。とすれば、それは横からの不意の衝撃に弱いはずである。以上のようなことを読者や独歩に考えさせることじたいが蹴速の目的であり、罠にかかってまっすぐに歩いてくるところを横からつっつくことが、最後の攻撃だった、なんていう展開もありえる。だいたい、二本指の目突きというのは高いリスクを伴う技だ。すぐ近くに鼻の穴や口があるので、はずすとそうしたところにひっかかるし、もし相手に技が見えていたら、顎を引かれて額を突き出されたら指を失うのはこちらである。だから、目突きはたいてい補助的な技術として学ぶことが多い。ぼくの道場でも、目をねらうときは5本の指ぜんぶを開いて顔の前にばらまくようにして使うよう指導していたし、大山倍達は薬指を含めた三本指を使い、中指を鼻筋にすべらすようにして使用していた。突き刺す必要はない、ほんの少し触れればよい。目は非情に繊細な器官なので、威力は不要なのである。そうして視界を奪ったところで、逃げるなり金的を打つなりする、そういう技なのだ。描写的にはなにかがつぶれるような音がしてもいる。それが、目なのか指なのか、というところだろう。

 

 

 

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