第122話/最大ノ弱点
嚙道を極め、屈指の強者である宿禰を倒したジャック・ハンマー。しばらくいいところのなかった彼だが、これで父や弟、ピクルや武蔵に並ぶレベルにもどったといってよいかもしれない。
観客の歓声を堪能しつつ、すぐに気をとりなおしたジャックは、立ち見をしていたバキを呼びつける。彼をたいらげるというのであった。
噛みつくではなく、喰っちまう。ジャックはそういい直す。ジャックは光成に向き直り、試合を組んでくれるようにいう。もちろんかまわないが、バキはどうなのかといちおう光成が訊ねる。バキはいつものこたえだ。いつでもどこでも誰とでも、「俺は断れない立場だから」と。チャンピオンだからということだろう。はっきり「立場」といったぞ。「立場」は非常に第三者的な言葉選びだ。
ジャックは少し笑いながら、思い上がってると、核心をつく。相手は必ずしもバキである必要はないと。そうして指差すのは、やはり観客席にいた本部以蔵である。気付かなかったが最前列だったようだ。
ジャックはいう。この「嚙道」は本部のお陰で生まれたと。たしかに、あの敗北は大きかった。負けただけではなく、たんに「服のうえから嚙む」という二度目の失敗をしただけで歯をぜんぶもっていかれたのだ。嚙みつきを選んだことじたいが根本的にまちがっていると考えなおしてもよい場面だったが、あくまでジャックは嚙みつきにこだわり、ここまでたどりついた。お礼に嚙みつきたいという。本部は無言だがうれしそうでもある。
続いて本部のとなりにいるガイアである。白兵戦における最終決着は、君等の採用する徒手格闘術ではない、太古より自然界が嚙みつきの有用性を証明していると、なんだかよくわからないいいがかりだ。この「君等」のニュアンスは、ガイアというより軍人一般ということだとおもうんだけど、軍人的な最終決着は一般的に徒手なのか・・・?
次は愚地独歩。渋川と並んでやはり最前列にいたみたい。空手は全方位体術である。武器にも、多人数にも対応する。しかし嚙みつきはどうだろう。
同じ空手でも克巳はどうか。独歩の隣には渋川がいるのに、それはとばして文脈優先で次に後列で立ち見していた克巳を見上げる。克巳ならあるいは・・・?みたいな言い方で、ジャックは克巳のことはかなり評価しているのかもしれない。年も近いだろうしな。
で、達人に戻る。以前のたたかいでジャックは達人のアキレス腱を奪った。次は足をまるごといきたいと。ジャックは既に達人に勝利しているわけで、スルーしてもよさそうなものだが、たたかいたいという気持ちはなくなっていないようだ。
以上、優れたファイターがたくさん集まっている会場だが、彼らでは無理だとジャックはいう。美しく、スマートに、堂々と、カッコ良く。そんな君等では無理だと。それが「最大の弱点」だともいう。ケツの穴をさらしてでも勝つ。ジャックからすればそういう気持ちに欠けているのだ。
つづく。
最後にジャックは、「アノ男デモソレハ出来マイ」という。この「あの男」とは、ふつうに考えると勇次郎だが、なんかこのシルエットだとちょっと武蔵みたいにもみえるな・・・。それに、勝利のためになんでもする、という流れ的にも、ちょっと武蔵っぽい。武蔵がまさにそういう人間だからだ。そんな男でもじぶんほどにまでにはなれまいと、そういうふうにいっているのかもしれない。
ジャックが指差してファイターたちに評価をくだしていくのはよかった。また、そうされて、彼らがぜんぜん負ける気なさそうのもまたいい。以前のジャックでもそうとう強かったものが、いま宿禰を倒すほどになったわけだが、独歩たちはそれでも負けるつもりはないみたいだ。だが、ジャックがいっていることを考えるとそう喜ばしい描写でもないのかもしれない。ジャックが彼らのなにを「スマート」といっているのかは、いまのところはよくわからない。しかし、彼が額に血管を浮ばせて、うらみさえこめていう必死さの欠如のようなものは、ちょっとわからないでもない。バキや独歩にも、勝ちへの欲望はある。だがたしかにそれは、ジャックに比べればどこかスマートなのだ。その場では負けても、「おうよ、あの勝負はあんちゃんの勝ちでえ」とかいってみたりするようなことは、ジャックではとても考えられない。失神から目を覚ますなりピクルに向かって走り出すのがジャックなのだ。
このちがいがどこからくるのかというと、やはり第三者性なのではないかとおもわれる。バキが「立場」という語を用いたことも今回は印象的だ。彼らはどこか、「他人」の視座を経由してじぶんを眺めているのである。もちろんバキたちはそういうイロモノキャラではない。いつでもじぶんのために、じぶんの勝利のためだけにたたかっている。だがそれでも、ジャックだけがもちえた必死さを、彼らはどこか欠いている。欠いているというより、人類としてふつうに生きていたら自然とそうなってしまうとでもいったほうがいいだろうか。自己とは、そもそもフィクションである。ラカンでは鏡像段階を通じて、鏡の向こうのじぶんと同期することで自己は成立する。その、じぶんが外部から眺めている自己を、他人も眺めていると確信することで、認識はすりあわされ、どうやらたしからしいそれぞれの「世界」は仮説のまま明確に一致する。誰もがごく自然に、「他人から見たじぶん」を生きているのだ。ジャックはそこにスマートさをみる。それもそうだろう。「他人から見たじぶん」を生きながら、その期待に応えるかのように圧倒的に強者となっていった彼らは、この意味では成功者にほかならない。「バキ」ときけば、誰もが強い少年をイメージし、背後の強大な父を思い出し、その血統を意識する。「独歩」ときけば、道を探究しすぎて催眠術にかかってもみずから過酷なたたかいを設定してしまう偉大なる空手バカを思い浮かべる。そして、げんに彼らはそういう人物である。これがスマートでなくてなんだろう。とりわけジャックからすればそうだ。前回考察したとおり、ジャックには「評価」の目線がなかった。強いとか弱いとか、いいとかわるいとか、その価値を正確にはかるような他者が外部になかった。理由はいくつかあるが、ひとつには母親の不名誉ということがある。ジェーンは勇次郎に強姦されてジャックを生んだ。ジャックが、勇次郎の息子であるということを世間に示すということは、この件を公表することと等しかったのだ。もし彼が、バキ同様、「勇次郎の息子である」ということこみで評価をまとっていたなら、強かろうと弱かろうと、このようなファイターにはなっていなかっただろう。だからジャックはこれを内面化するしかなかった。じぶんでじぶんを鼓舞するしかなかったのである。これが彼の異様なストイックさにつながる。前回彼が意外にも観客の声を喜びとともに受け容れたのは、じしんで打ち立てなければならなかった緊縛のようなものをほどくことがようやくできたということなのだと考えられた。不足ぶんをリビドーで調整していた「評価」を、ついに外部から正しく受け止められるようになったのだ。これはたんに「外部」がジャックを正しく評価するだけでは実現しない。彼自身が、それを受け容れる準備を完了させなければならない。あなたが天才的な作家で、誰も評価してくれない、見向きもされない状況にあるとして、それでも毎夜じぶんのちからを信じて、恨み節とともに書き続けた小説がついに世間に評価されるようになったとき、あなたはそれを素直に受け取れるだろうか。そういうことなのだ。
これが実現するためには、つまりジャックが他者の評価をすすんで受け容れることができるようになるためには、「他者の感受性」を尊重することができるようにならなければならなかった。これが嚙道によって達成されたというのがぼくの考えである。嚙道はカウンターの技術である。相手の考えられるあらゆる動き、もっといえば想定できないような動きにまで対応し、嚙みつきを練りこむ、そういう格闘術だ。これが、他者の身体をじぶんのもののように感じさせたのかもしれない。ともあれジャックは、他者が不如意なものであることを学び、そこに対応する技術、すなわちコミュニケーション技術を身につけたのである。これが準備を完了させた。
こう考えてみると、ジャックのうらみは歓声をそのままに受け容れることができるようになった時点で解消されたようでもあるが、そうではなかったというのが今回のはなしだ。いや、厳密には解消されたのだろうが、いざバキのような“恵まれた”人間とたたかうとなると、いまこうして同列に並ぶに至るまでの過程がどうしても想起されるわけである。ジャックがようやく素直に受け止めることができるようになった歓声を、バキらはほぼ自明のものとして受けてきた。大手事務所所属となった新人歌手が、作曲も作詞もやってもらったうえでヒットを出しているのを、20年近くアマチュアで活動している歌手が歯がみしながら見ている感覚だろうか。そこにはまた、彼にはわからない種類の苦労があるかもしれないが、それは当人からすればどうでもいいことだ。ジャックが人生をかけて獲得した第三者性、これを、彼らは生まれたときから自然に身につけていて、しかも上手くつかっているのである。
これが、いままではうらみのエネルギーにつながっていた。しかしいま外部の評価をそのまま受け止めることができるようになったジャックでは、自信につながっている可能性がある。バキらがほぼ無意識に享受している評価のプールとそれがもたらす成長を、ジャックはすべてじぶんのちからだけでやってきたのだ。彼からすれば独歩や渋川さえ甘いのである。そのいっぽうで克巳のことは評価しているっぽいのが気にかかるが・・・。
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