今週の九条の大罪/第42審 | すっぴんマスター

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第42審/事件の真相②

 

 

 

 

京極がホテルのベッドに全裸・うつ伏せで横になっている。背中の刺青、不動明王?がぜんぶ見えている。キツめの煩悩にとらわれた人間を力づくで帰依させたりするパワー系の仏様らしい。やせがたに見えた京極だが、こう見るとまあまあガタイもいい。

 

部屋にいるのは「消費の産物」笠置雫がAVデビューした会社の小林社長だ。ヤクザは記名が必要なホテルには泊まれない。かといって偽名を使うと詐欺になる。だから基本的にラブホテルにいることが多いという。このホテル暮らしは小林が計らったものなのだ。

小林は別に脅されているというものでもなさそうだし、げんにヤクザものが必要になることも多いのかもしれない、京極とはうまくやっているっぽい。京極は、頼まれていた件を片付けたという。しずくの義父の、外畠のことだ。しずくは超人気女優だった。これをつぶした外畠を許すわけにはいかないのだ。行為じたいは壬生が行ったが、股間を焼ききって宦官にしてやったと。その写真も京極は確認して、一生人工管で排泄だという。小林はそれで外畠が生きていることを知り、くちを割らないか心配になるが、殺せってことかという京極に気圧されて前言撤回、ちょっと前に黙って差し出されたコップに水を注ぐ。京極は小林にまではぜったいたどりつかないと約束する。あのとき壬生は、あくまで外畠がデリヘルの女の子に手を出したということで制裁を加えていた。だから股間なのだ。外畠の理解として、この出来事にしずくはからんでおらず、当然小林の名前が出てくることもないのである。

京極が人気女優を1日貸してくれという。京極の相手をするわけではなく、妻子持ちの社長とハメ撮りさせて恐喝するのだと。小林は用意する気まんまんだが、女優の意思は、ないんだなあ・・・。

そこから会社を乗っ取って、九条には法的ホワイトニングをやってもらう計画のようだ。京極ならまわり他の優秀な弁護士もいるだろうに、ここはやはり九条にこだわるのだな。

 

外畠と衣子の描写だ。セックス大好きの外畠がナニを失ったわけで、廃人になってるかともおもわれたが、おもったよりぜんぜんピンピンしており、いつも通りである。毎日だらだらして働いてもいない。衣子にいわれて生活保護受けるというが、これもずっといっていることのようだ。衣子が怒って、事後報告してくれという。財布から金を抜いてパチスロの日々らしい。外畠も怒って衣子を殴るが、衣子もぜんぜん負けてない。これは、やっぱり衣子は衣子で、外畠との性的関係に依存していたということなのかな。それがなくなってしまって、いよいよ「こいつなんでここにいるんだろ」となってしまったのかも。家を追い出された外畠も、全ての元凶は股間が惨めになったせいだと考えている。やられたらやりかえす、ということで、外畠は行動に出る。といって彼は壬生を見てはいないので、彼に制裁を加えたデリヘルのオーナーの車に火をつけて報復するのだ。

 

しかしこの行為は防犯カメラにうつっており、外畠はすぐ捕まって嵐山から取り調べを受ける。オーナーというのは、「家族の距離」で、壬生のスパイとして菅原を探っていた久我である。連載時には「こが」というふりがなだったが、今回は「くが」になっている。

嵐山は「車の持ち主を調べた」といっているので、車の持ち主である久我が通報したわけではないっぽい。たんに、燃えすぎて大事になり、119番されたということなのだろう。

壬生を追っている嵐山にはいい糸口である。外畠は久我の車に放火した。その久我は壬生の部下だ。ここから壬生に迫れるかもしれないということで、嵐山が出張ってきたわけだ。

というわけで突かれきった外畠はすべてを嵐山に話したらしく、久我が逮捕される運びとなり、即座に九条の出番となる。久我は「職業安定法」違反で捕まったようだ。これは、公衆道徳上有害な業務につかせることを目的でスカウトすることを禁止するものだ。ふつうに通る職業が「有害」というのもなんか変だが、ともかく捕まった。だが久我は冷静に、これは別件逮捕だという。スカウトのことではなく、外畠への暴行について取り調べを受けたと。

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

嵐山の娘・信子の回想からはじまった本シリーズだが、表面ではいつも通りの複雑な展開が進行するようである。

 

外畠が京極からの報復を受けるであろうことは以前から考えられた。じっさい、彼は壬生に股間を燃やされたわけだが、その理由は、デリヘルの女の子に手を出したからということになっていたのである。それが、意外というか、因果応報というか、外畠の弱者性、けっきょくはやられる側であることを示していたようにもおもわれたが、今回判明したように、この制裁の主体性はやはり京極にあって、動機はしずくの件だったわけである。だから、経緯としては、まず外畠のしずくに関する慰謝料云々があり、そういうことが再び起きてはいけないので、京極側には制裁を加える必要が生じた。京極が外畠の股間を焼くことで、彼は別になにかを得ることはない。小林も、特に損害が回収できるわけではない。だからこれは、丑嶋が小川純を葬ったのと同じ理屈であるはずである。しかし、これは同時に、小林のケツモチとして京極が行ったものであるということが表に出てはいけない件でもあり、パフォーマンスとしてはなかなかアクロバティックなメッセージ性をもつことになる。「以後このようなことが起きないように」という、“メンツの文脈”でいえば、表ざたにはならないにしても、丑嶋がハブを殴った件が広まったようにして、「なぜかみんな知っている」状態が望ましい。ところが、小林はそれを望んでいない。特に外畠はアウトローの世界に片足をつっこんでいる半端者なので、「なぜかみんな知っている」ような情報を耳にする可能性は高い。そのために、京極は壬生を使ったはずである。これはたまたまなのだろうが、外畠は久我がオーナーのデリヘルでドライバーをしていたことがのちに判明したわけである。そういうことなら適当な理由をつけて壬生にやらせてしまおうということになったにちがいないのだ。この行為が制裁として意味をもつためには、外畠がなぜこうなったのかを「なぜかみんな知っている」状態が望ましいが、同時に、「なぜかみんな知っている」はまずい。これが成り立つためには、情報を受け取る側に論理的な飛躍をしてもらう必要がある。つまり、現実としては外畠が「京極の息のかかった会社にちょっかいを出したこと」と「股間を焼ききられたこと」は無関係でありながら、関係性を遠く感じてしまうような状況である。この飛躍を埋める役を、今回は壬生が担ったわけである。外から事態を見ているものは、壬生が関わっているという一事をもって、無関係のふたつの現象を無意識に結び付けてしまうのだ。

 

京極は、全裸でベッドに横になりながら、空のグラスを音をたてておくことで、小林に水をいれることを要求する。これは強者のしぐさである。ただ、絶対的な強者というよりは、そばに弱者がいるときの、相対的な強者のものだ。ここでグラスを置く音が「空である」という意味は、そばに小林という弱者が受信者として存在することではじめて成立する。関係性のなかにおける狭義の「空気」は、このようにして強者がつくりだすものだが、その「空気」もやはり、それを読むべきものが存在していなければ意味がない。飲み会のあと、「空気を読んで二次会にも参加する」という状況があるとして、この「空気」は、感覚としてはまさしく空気として各人から等間隔のところにつかみとれないものとして現れているようだが、じっさいにはそうではない。それを「読むもの」がいることではじめて成り立つのだ。だから、飲み会の参加者が「これは二次会にも行ったほうがいい空気だなあ」ということを誰一人として感じなかったとすれば、そこにはそういう空気はないことになる。当たり前のことである。もし誰も感じていないのにその空気があるのだとしたら、逆に「これは二次会には行かないほうがいい空気だなあ」という空気も同時に存在可能ということになってしまう。

極端なことをいえば、強いとか弱いとか、そういう、ある程度量的な物事は、どんなときでも相対的なものだ。しかし、執拗に小林に気付くようグラスを鳴らし続ける京極からは、そこへのこだわりのようなものが見られるわけである。要するに、じぶんを強者たらしめるのは弱者であるお前たちだ、ということだ。こだわるというよりは、その自覚があるといったほうがいいだろうか。彼は、弱者に弱者としてのふるまいを貫徹させることで、じしんの強者性を強化する。おもえば壬生におもちを殺させた件にも、壬生を屈服させるとかじぶんの強さを示すとかいうことより、彼におのれの弱さをつきつけているようなぶぶんがある。

 

外畠にかんしても似たようなものが感じられる。彼は、小林には外畠の目が向かないであろうということを、じっさいにはそこまで深く考えていないのかもしれない。外畠の近くにたまたま壬生がいたことも、別にどちらでもいいことだろう。重要なことはただ、外畠のような、彼からすれば小さい存在を、鬱陶しい虫を潰すように不能にしてしまうということだ。あとのことは弱者が勝手に「解釈」すべきである。そして、おそらくげんにそうなる。その仕組みが効果を発揮するのは壬生がいるからだが、それも、京極はあんまり深く考えてはいないのではないだろうか。これを受ける弱者は、みずからの弱さをじぶんの手で再生産することになる。小林はグラスの音には気付かなかったが、ほんらいであれば彼はそれを耳にし、みずからすすんで水を注ぎに行かなければならなかった。弱者が、積極性をもって「じぶんは弱者だ」ということを表現しなければならないのである。これはやはり壬生とおもちの事件ともよく似ていることだ。あのときに京極は別になにもしていないわけだ。形状としては、壬生がみずから、「じぶんは京極には逆らえない」ということを、おもちを経由して表現したものになるのである。

これは、げんに京極が強者であることからはじまっているらせん状の強化システムである。権力者のつくりだす「空気」を、そうでないものたちが読むことで、その権力はさらに強くなる。ただ、ここには危うさもある。つまり、空気の読めないものがひとり交じるだけで、事態はそうとうに揺さぶられるのだ。いってみれば外畠が今回その役目を買ったことになる。彼はあまりに無力だったために、なにも起こらなかったわけだが、メンツ云々を考慮したとしてもあまりにもうまみがないこの制裁を京極が行うのは、こうした空気の読めないものがもたらすものを知っているからかもしれない。京極に限らず、ある程度までは、メンツ云々でヤクザものが行動に出るときというのは、基本的にKYを粛清しているパターンが、考えてみれば多いようである。

 

そしてそのKYポジションの外畠が、嵐山の作戦通りにいまは動いていることになる。久我が捕まった理由は労働安定法だが、このあたりの空気感はよくわからないが、ある程度までは「自明」なのではないかとおもわれる。逮捕のネタはいくらでもあるがキリがないのでしていないだけなのではないかと。ただ今回は、外畠という切り札があるので、嵐山はとりあえずこれで逮捕して、そのあとで暴行の件を詰めるという邪道を採用しているわけである。これはいってみれば、そうでもしなければ壬生や、嵐山の念頭にはないだろうが京極には接近できないということでもある。それだけきれいに「ホワイトニング」されているということなのだ。ただでさえ「空気」というものは、それの源泉であるところの強者の「強さ」がわからない場合には、意味をもたないだろう。あなたが会社の飲み会にいって、部長がかなりご機嫌で、これはどうも二次会も行ったほうがよさそうだなあと考えているとき、そこにまぎれこんだ無関係のぼくは、「は?なんでこんなしらないおっさんにあと二時間も付き合わないといけないの?」と、当然なるのである。そこでは、ある種の前提事項や文法が共有されていなければならない。それだけに、ただでさえ京極の発するメッセージは読み取りにくい。そのうえにかれはホワイトニングをほどこす。彼はその仕事を九条にやらせたいようだが、そうでなくても彼は、弱者に弱者的なふるまいを強制することで自身を強化しているので、彼のふるまいがそのままに警察の目にとまるということはほぼないのだ。これを崩すのが、KYの外畠であり、また法的アプローチとしては異質な別件逮捕ということになるのである。

 

タイトルの「事件の真相」は、おそらく嵐山が信子の件を調べた結果目撃したものを指すとおもわれるが、こう考えると、彼が探し求めているものは、まさに「真相」という大形な表現がふさわしいものということにもなる。壬生はともかくとしても、京極は、そもそも姿すらぜんぜんおもてに現れない。現れるとすれば「気前のいいヤクザ」としてである。こういうものを、嵐山は追っている。久我の担当になっている以上、九条は嵐山と対決することになるとおもわれるが、依頼人の側に立つという九条にとってはけっこう判断の難しいものになるかもしれない。それは、ただヤクザがこわい、面倒であるというようなこととはまた別のはなしだ。つまり、京極のようなものがからむときには、依頼人‐弁護士というような単線的なはなしにならないからである。こういう、物語そのものがぶつかってくるような事件に九条はどう対応するものなのかが、今回はわかるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

管理人ほしいものリスト↓

 

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1TR1AJMVHZPJY?ref_=wl_share

 

note(有料記事)↓

https://note.com/tsucchini2

 

お仕事の連絡はこちらまで↓ 

tsucchini3@gmail.com