今週の九条の大罪/第11審 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第11審/家族の距離③

 

 

 

 

いつもの運動着スタイルで、どこかの河原に、九条がブラックサンダーと遊びにきている。そこへ、烏丸から電話がかかってきた。曽我部の父親が弁護士費用を届けにきたと。休日なので烏丸も事務所にはいなかったはずだが、薬師前が呼び出したらしい。父親は休日しか来れないのだそうだ。

感謝の気持ちを示したいということもあるのだろう。もともと烏丸は資料を整理していたということで事務所にいたようだ。スマホ越しに曽我部父が九条にお礼をいう。だいぶ挙動不審な感じの、申し訳ないけど書店にきたらマークしちゃう感じの曽我部父だが、とても善良そうな人物である。

曽我部父はお金以外におでんのたまごばかり25個ももってきてくれた。コンビニ4軒買い占めて廻ったらしい。

そこでブラックサンダーが吼えたので、薬師前が犬の存在に気がつく。烏丸が、金本の犬を預かっているというのを聴いて、最初はかわいいと喜んでいた薬師前も、スンとなる。まあ薬師前のいってることはわかるけど、ワンちゃんに罪はないしさ・・・。

この会話で、曽我部父が金本の父親のことを思い出す。曽我部が金本にいじめられていたように、曽我部父は金本父にいじめられていた。その彼が、最近曽我部父を訪れたのだという。だが、以前とは様子がちがう。息子が死んでしまったからだ。すっかりしょぼくれて弱くなった彼は、曽我部にいままでのことを謝るのである。それを、曽我部父は許せないとやり返すのだった。とはいえ、曽我部父は「俺にしてきたことはもういい」というつもりではあるようだ。息子への、金本卓を通じたもろもろが許せないのである。曽我部父の金本父の乗り越えは、まずひとつには、これを打ち倒すことで可能ではある。となれば、彼が弱っているいまは好機と考えられる。だが彼は、あとでまた書くつもりだが、じぶんの弱さを、金本父を経由した相対的なものではないものとして引き受けることで乗り越えようとした。そういう視点では、いま金本父が弱っていることは別に好機ではない。

 

 

そのあとのことなのか、九条が山城に呼び出されてどこかの高そうなクラブにきている。

ある種リアリストの山城のような弁護士はヤクザとも深い関係がある。といっても悪徳であるということではなく、仕事でかかわりがあるということだ。羽振りのよかったころ、要するに暴対法が出てくる前のヤクザは、とても払いがよかった、というはなしをしている。そこへ、運動着のまま九条がやってきた。同席している菅原遼馬という男を紹介したかったようだ。介護施設「輝幸」代表という肩書きの菅原は、ぱっと見はふつうだが、冷たい目をした男だ。長袖の口からは刺青が見えており、遠目にはガタイもよさそうだ。半グレのようである。山城は九条を事務所から独立した弁護士でいちばん優秀だと紹介する。

クラブでしばらく飲んだあと、山城と九条はラーメン屋みたいなところでもう少し飲むことにする。菅原を九条に紹介しはしたが、彼がどういう男かを説明するのが今回の呼び出しの目的だったようだ。菅原の本業は詐欺と強盗だという。そのカモフラージュに警備会社などでなく介護施設というのが新鮮だが、ともあれ、いまちからを持っているのはそういう半グレだ。だがヤクザと異なるのは、メンツや義理立てという発想がないので、払いが悪いということだ。菅原のことではないようだが、面倒をみていたものが急に飲み屋で割り勘などと言い出して、財布を持ち歩いていない山城は恥をかいたことがあるという。俗物のきわみのような山城だが、そのぶん、払いの悪さには敏感だ。山城からすれば彼らは純度100パーセントの害悪であると。九条はこの愚痴っぽい山城の発言に戸惑っているのか、顧客ファーストはやめたのかという。それに、山城は「弁護士とは何か」と問いで応える。

 

 

 

「法律の勉強は富士山のように綺麗な思想。

 

だが実際は富士の麓は自殺の名所青木ヶ原。

暗い暗い森の中。

 

昔 山城先生から教わった言葉です」

 

 

 

「顧客ファースト」は理念であり、言葉である。法律も、言葉である限りでは、富士山のように美しい。しかし、それが成り立つ足元には、目を背けたくなるような現実も広がっているのだ。

山城は話の途中で寝てしまっているし、もう帰ったほうがいいので、まだ飲もうとするのをかわして九条は家まで送るという。だが、山城はなんだかさみしそうに家に居場所なんてないという。そして、九条を息子だと思っているというのだった。

 

 

別の日、事務所に家守華恵という依頼人がやってきた。コンサルティング会社経営ということで、父親の遺産を取り戻して欲しいという内容である。社団法人に4億遺贈するという遺言があったそうだが、そんなはずはないというのが華恵の考えである。父親は認知症で施設にいた。それが、菅原の介護施設であり、彼女は菅原と山城を疑っているのだ。

 

 

 

つづく。

 

 

 

たんに法理念の衝突というだけでなく、事件の登場人物として師匠の山城がかかわってくることになるのか。これはまた九条のスタンスが新たに問われる感じだ。

 

山城は、九条を息子のようにおもっている。山城とは対照的な人権派の流木もおそらく同じ気持ちだろう。流木と九条の関係はよくわからないが、たぶん学校の先生だったとかそんなことだろう。彼らは九条の父親・鞍馬と同期だった。九条はまず山城の事務所で働き、5年前に独立して、鞍馬の名前を捨てて九条事務所を開いたのである。

息子のように思っているといわれて、九条はふつうにうれしそうだ。山城は、おそらく九条を実務面で育てた人物である。今回のたとえでいえば、富士山がいかに美しいのかを示したのが流木で、青木ヶ原にどれだけ死体がのこされているかを示したのが山城というわけだ。弁護士はただ富士山を遠くから眺めているだけでなく、近くに寄ってつぶさに観察しなければならない。そのためには、必ず麓を通るわけである。そのときの弁護士しぐさのようなものを、九条は山城から学んだのである。そして、これは端的に父性の仕事だ。『闇金ウシジマくん』で、丑嶋がマサルにほどこしたように、現実の出来事においてどのようにふるまえばよいのか授けるのが、この人類学的機能ということになる。これはフロイトの精神分析においても、第三者的なものとして評価できるだろう。ふつうはこれを超自我と呼ぶが、うちの読者は耳にタコだろうから、別の表現をすると、母親との甘い宇宙を相対化して立体的にするのが父性の仕事なのである。こういう読みからすると、流木は母性のポジションになるのかもしれないが、彼についてはまだ情報が少ないので、保留しよう。

父性は、実務、第三者、現実、相対化というような語が似つかわしい。そして事実、九条は山城の視点を経由することで、仕事を行っている。それは「落としどころ」を見つけるということだ。「罪刑法定主義」は、法律で犯罪とされていることを犯罪と定義する方法のことだが、これをふつうに考えると、ある事件とある法律を組み合わせれば、自動的に判決が出てくることになるわけだが、事実はそうなっていない。法律は直線的な文章なので、微妙な揺れまで拾うことはできない。法律は、世界の表面をあまねく覆う巨大な掛け布団なのではない。部分的に特徴的な地形を拾ってきて構成されているだけなのだ。ここに現実の入り込む余地が生じる。世界が母親と共有された快楽だけで完成しているものではなく、他者の満ちた不如意のかたまりだということがつきつけられるのが、法と現実の接点なのだ。ここに、矛盾のない解釈を落とし込んでいくのが法律家ということになる。

 

今回のはなしはどうやらその実務を仕込んだ山城を、実務でもって九条は解釈のなかに落としこむのか、ということのようだ。これはマサルが丑嶋を打倒しようとしたときの景色と似ているようでもあるが、もちろんぜんぜんちがう。マサルには丑嶋に対する大きな負債感があって、それの解消と復讐心が一体となってあの状況が生じたが、九条と山城はそういう関係ではない。ここで問題となるのは、方法を授けた人物をその方法で倒すことは可能か、また、そもそもそうすべきなのか、ということだ。ここに、今回の「家族の距離」というタイトルが浮かび上がる。この「家族」にはいくつもの意味がこめられているが、そのひとつが九条と山城の関係である。はなしを単純にすれば、九条の技術は、山城の技術ということになる。それを用いて、九条は山城を追及してよいのか、というはなしなのだ。そしてそれは、子は父親を超越できるのか、そして、それはすべきなのか、ということなのだ。

ひとつには、人間が一定ではない、また一面的ではない、ということがポイントとしては考えられる。万有引力の法則で万有引力の法則を否定することはできない。弱さなり、あるいは経年による劣化なり、なんらかの変化が生じた、あるいは浮き出てきた、そういう結果として、相手がもとの姿と異なってしまっているときに、これは可能になる。そして、この視点で重要なことは、技術は属人的なものなのか、ということである。もし、九条の授かった技術が属人的なものであるなら、山城を破ることはできない。彼自身の、師匠は山城だという感覚は、これを強化してもいるだろう。だがじっさいには、実務面での九条の技術は、もはや山城のものとは異なっているはずである。それでもって山城を否定したとしても、その技術を否定したことにはならないので、矛盾は起こらない。だが同時に、それが達成されたとき、人間が一定ではない、一面的ではないということも、九条は露骨に体験することになるはずである。この感覚は珍しいものでもなく、たとえば父親の老いを感じるときとよく似ているだろうとおもわれる。山城は、かつての羽振りがよかったころのヤクザのはなしをしていた。現在がもうかっていないわけではないとおもうが、なにか元気のなさのようなものが感じられるのだ。

 

九条の兄・蔵人は、鞍馬の名前に強い自負心を抱えていたが、九条はおそらくみずからその名前を捨て去ることで、いまの仕事を続けている。これは、通常超えがたいものである父に対する2通りの態度と考えられる。つまり、同一化するのか、回避するのか、ということだ。こう考えると、九条が山城に父を見ている状況は、一種のあこがれのようなものとして解釈することもできるかもしれない。しかし、そういうことでもないだろう。九条と山城の関係は、親子というほどには深刻でもなく、もっと気楽だ。文字通りに擬似的なものなのだ。そして、九条の実の父は、すでに死んでいるということも重要かもしれない。というのは、死んでいることによって、父・鞍馬は、人間的な変化から逃れているからだ。超えがたい存在のまま、弱ることなく、父はいなくなってしまった。こういうところで、九条が山城を経由して、あくまで擬似的にではあるが、予行演習的に父越えを果たすのが、今回のおはなしなのかもしれない。九条は、いってみれば山城の事務所で生まれなおしたわけである。そこで、正しく山城が老い、弁護士的な文脈で法的な検討の対象になってしまったのだ。

 

 

『九条の大罪』は、ウシジマくんのようにエピソードが終了するごとに時間軸がリセットされるようなことはなくて、ふつうに海外ドラマ的に連続していくようである、今回はまったく登場を予想していなかった曽我部父があらわれた。

曽我部が警察に協力したのは、正義のためではない。じしんの弱さに向き合うためだ。そしてどうしてそういうことになったのかというと、父がそうしたからである。額に掘られた刺青を消すために、痛みについてひとことの文句もいわず耐えたということを薬師前から聴いて、彼はおそらく決意したのだ。曽我部父はどうして刺青を消そうとしたのかというと、もちろんみっともないからだろうが、それよりも、息子の非行について責任を感じたからである。じぶんが弱いから、息子もそうなってしまった。刺青は「弱者の烙印」である。これを「消す」ということは、まるで金本家の所有物であるかのようなしるしを消し去るということでもあった。そのことで、彼は、金本家との相対的な関係による「弱者」から逃れようとした。「金本」というしるしを消そうとしたのだ。かといって彼が強くなるわけでもない。けれども、そのことによってはじめて、「金本より弱い」というしかたによる「弱者性」ではない、じしんのほんとうの弱さに直面することができるようになる。それを見つめなおさなければ、息子の非行について感じている責任を負うことはできないのだ。

こういうことなので、曽我部父が金本父に「許さない」ということができたのは、金本父が「弱っていること」が直接の理由とはならない。以前と同じようにからんできたとしても、彼は抗うことができたはずだ。けっきょくのところ彼は弱いので、同じように暴行を受けるかもしれないが、それは以前の結果とは異なったものになるだろう。ここで注目すべきなのは「許さない」のは正しかったのかということだ。曽我部父は怒っているのだから、こういうことばが出てくることじたいは自然なことだ。いままでいえなかったということを含めれば、健全であるとさえいえるだろう。だが、あの状況の特殊なポイントとしては、金本父が息子を失って弱っているということがあるのである。曽我部父にそのつもりはなくても、結果としては弱っているものに対して強く「許さない」といってしまった状況になっているのだ。それは、強弱の関係性に苦しんできたものとして正しかったのか? 

ここでは曽我部父が自分のことはいいといっていることも重要だろう。彼は、息子のことで怒っている。しかしながら金本父もまた、息子のことで弱っているのだ。そういう意味では、このはなしはまだ続くかもしれないという気がする。

 

そして、彼らが息子のありように左右されている状況であるというのもおもしろい。「家族の距離」というテーマからすれば、彼らは非常に近いもの、ほとんどじぶんのいちぶとして息子をとらえている。これが、損なわれたり、死んだりして、怒ったり弱ったりしているのだ。そのいっぽうで、親から勘当され、勤務先の上司に息子あつかいされる九条と、親と同一化しようとする蔵人のような息子たちの物語が描かれているのだ。いっきにいろいろな論点が出てきて、全体にとっちらかった記事になってしまったが、今作もまた、ウシジマくんとはちがったアプローチで、父子の関係が重要なものになっていくようである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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