第9審/家族の距離①
職場の屋上にテント生活の九条のもとへ、烏丸が犬を連れてやってくる。ブラックサンダーという名前のドーベルマンだ。どうやら金本の犬だったらしく、金本が死んで同居人のミヨコが殺処分するとか言い出したので、飼い主が見つかるまで九条が預かることになった。これを依頼したのは壬生だそうである。金本を殺した彼だ。つまり、金本を殺した彼が、残ったワンちゃんが殺されそうだったので、「九条先生、しばらく預かってもらえませんか?」と持ちかけたということである。いろいろ倒錯していて混乱するが、とりあえず壬生は犬が好きなようだ。それなら壬生が飼えばよいが、死んだ愛犬の「おもち」が忘れられないそうである。前回、情報量が多すぎてうっかりスルーしてしまった壬生の刺青だが、いきなり部分的に意味が判明した。彼の背中には、ブルドッグだかパグだかの犬の絵と、「RICE CAKE」の文字があったのである。あれは死んだ愛犬だったのだ。
今日はいまは離婚して離れてくらしている莉乃という娘の5歳の誕生日だそうだ。今月、12月6日が日曜日だが、これはそういうことでよいだろうか。そこへ、流木信輝(ながらぎ のぶてる)という、「師匠」と呼ばれる老弁護士から電話がかかってくる。メガネをかけた、全体的に白っぽい、乾燥した感じの男だ。流木は九条を「鞍馬」と呼ぶ。九条の名字はもともと鞍馬のようだ。それがいまは、どういう事情か、別れた妻の名字である九条を名乗っている。
そして、今日は九条の父、鞍馬の命日でもあるそうだ。娘の誕生日と父の命日が同日、12月6日ということになる。鞍馬と流木は同期ということだが、九条はあくまで師匠は流木だという。「依頼人の話をよく聞く」は流木の教えのようだ。無意味におもえる情報からもなにかをすくいあげ、ポイントをおさえつつ信頼関係を築く。流木は、九条は悪い噂もあるが一番魅力的で印象的だったという。要するに、流木のこの教えを、オリジナルなものを加えつつ、よく実現しているということだろう。父親の血かなと流木はいうが、さっきから九条の表情はかたい。父親とは仲が悪く、和解しないまま死別したようだ。
九条のキャリアだが、山城法律事務所というところで3年働き、独立してから5年ということだ。その山城というのもまた、鞍馬や流木と同期なのだが、クセモノのようである。とりあえず流木は大嫌いのようだ。ひとことでいえば、お金を稼ぐ仕事としての弁護士業に徹底しており、職業的使命感には乏しいということになる。もうかりそうな顧問先をたくさんつくり、くちではそれなりのことをいいつつ厄介な仕事は回避、とにかく金になるかどうかだけで仕事をするかどうか判定しているようだ。弁護士がみんなそれでは困りものだが、それはそれで仕事のスタンスということになる。しかし、流木は依頼人の人権を重視する良識派である。マイノリティの人権を守ってこその弁護士だ、というようなスタンスだ。まあ、それじゃあ山城のようなタイプとは合わないだろう。九条は意見を求められるが、興奮してむせかえる流木を心配することで微妙に回答から逃れるのだった。
流木からなにか頼みたい仕事があるようだが、今回はここで通話終了。今度はその山城から電話がかかってくる。鞍馬の命日だからだ。流木が弁護士的感性の師匠なら、山城は実務の先輩ということになるだろうか。パンツだけ履いてガウンを羽織った山城のそばには半裸の女性がむにゃむにゃ眠っているが、別のところにはちがう女性が起きて立っており、またソファには山城がブスという女性が丸くなって眠っている。流木は「いまだに銀座に事務所 鎌倉に自宅 葉山に別荘が上がりと思っている」と皮肉っていたが、事実、意識的にやってるんじゃないかというほどの俗物のようである。
で、やっぱり山城も流木のことは嫌いである。まあ、そうだろうな。貧乏人ばかり相手にしてなんになると。なんになるって、貧乏人が助かるわけだが、山城的にはお金にならない仕事は眼中にはないのである。「俺より稼いでから物を言え」と流木についていうところからもそれは見て取れる。流木からすれば弁護士の使命という視点では稼ぎというのは副次的なものでしかないので、そのものさしをあてがえといわれても心外なわけだが、山城は逆に弁護士的使命なんてものを基準にものを語られてもどうしようもないのだ。
山城は、どんどん顧問先を増やせと助言する。刑事弁護もやりようにやってはわるくない。流木のはなしではややこしい刑事は山城は回避しているというはなしだが、「やりようによっては」というのは、要するに取捨選択のことだ。刑事事件では被告人はとても困っているから、名のある弁護士を選ぶ、そして言い値が通ると。しかも民事よりチャチャッと片付くようだ。
九条のもとで勉強中の烏丸にもこのはなしは伝わる。九条は、烏丸とブラックサンダーをおいて、日課のジョギングに出る。
走る九条は、目を向けるわけではないが、道行くカップルやファミリーが目につくようである。もちろん、莉乃の誕生日であるということが影響しているのだ。立ち止まった九条が、どこかを見ている。さきほど九条は烏丸に、莉乃とは「会えない」といっていたので、遠くから家を眺めているのかもしれない。窓から風船のようなものも描かれているが、これは九条にも見えているのだろうか。走り去るまで、通して九条の表情は別に変わらないのだった。
つづく。
屋上でブラックサンダーはおとなしくおすわりして待っているが、烏丸がお手をさせようとしても反応しないようだった。まあ、金本がそういうしつけをしているわけはないよな。でもおとなしくはしているみたいだ。じゃっかん天然気味の秀才・烏丸とのやりとりがなごむ。
九条が家のほうを見ているときに、莉乃のバースデーケーキが描かれている。そしてその隣にはやはり風船。しかし、そこには「10」という数字が浮いているように見える。「YEAR」もあるな。莉乃は5歳のはずだが・・・。
壬生の刺青ばりに情報量が多すぎる回でパニックになりそうだが、ひとつひとつ見ていこう。壬生と犬、流木・山城、九条・鞍馬の順で見ていこう。
まず壬生だが、今回は彼が意外に繊細であることが明らかになった。これは、キャラクターを愛好するにあたっては重要なポイントとなるが、物語の読解においては、犬が彼らにおいてなにを意味するか、という視点になってくる。壬生では、「おもち」という愛犬がいたが、これが死んでしまい、彼は背中にその姿を刻印することになった。しかしそれは、「rice cake」という具合に、かっこよく、クールに読み換えられている。つまり、現実には彼はその繊細さで愛犬の死に苦しんだのかもしれないが、それが刺青になるにあたっては、いわゆる不良が永遠なるものを身体に刻み込むという典型的みぶりをとりがちである、ということも含めて、「壬生らしいふるまい」に変換されているのだ。すなわち、壬生の「愛犬の死に苦しむ姿」は、外部からの目線を経由したものとして、ワンクッション置かれたうえであのように刻み込まれているのである。むろん、ぼくもそれが戦略的なものだとはおもわないが、ここからは、「意識」が無意識や感情を駆逐する壬生のありようが見て取れると考えられるのである。壬生は丑嶋タイプといってよいかもしれない。
良識と俗物の両極端のような弁護士、流木と山城の対比も非常におもしろいが、どちらも信念に振り切っているぶん、どこか逸脱している。流木は九条の直接の師匠ということになるようだが、実務面ではいっしょに仕事をしているぶん、山城からの影響もあるだろう。これは、九条が「落としどころ」を探し出す弁護士である、という、前回までの考えと矛盾しない状況であるといえるだろう。九条からすれば、どちらのありかたも一理あるとしても、極端すぎて必ず見落としを生むことになる。人権派の流木はまず金にならないし、金にならなければ持続も困難になるし、持続が困難になれば仕事も雑になる。また、貧乏人ばかり相手にするのはいいが、では金持ちや悪人は法のもとで不平等にあつかわれるべきなのかというと、それもちがうわけだ。山城のほうがもっとわかりやすいが、弁護士の仕事で儲けるのはいいが、それが存在目的ではないだろう。それなら株でも勉強したほうがはやい可能性もある。また当然、彼はほんらい救うべき貧乏人を切り捨てることになるので、ここにも不平等が発生するだろう。両者の影響を受けた九条は、結果として究極にドライになる。二元論で割り切れない複雑系としての世界、それが九条が烏丸に伝えるこの世の姿である。貧乏人は救うべきであり、同時に無視すべきである。お金はもうけなければならないし、同時にどうでもいい。これが九条の住む世界なのだ。日曜の朝ということもあって、通話中の三者はみんな勤務外の状況にあるが、流木と山城はそれぞれの安らぎのなかにいるなか、九条は職場の屋上にいるというのもおもしろい。だからといって事務所の電話に出るということはないとおもわれるが、九条にはそこにあまり差がないのだ。なぜなら、九条にとって「世界」は、信念を通して読み換えるものではないからである。流木は、依然として是正されない格差社会に憤るだろうし、山城はあしもとの貧乏人をあざ笑うだろう。しかしそれは、彼らの信念のフィルターを通して世界を読み換えた結果である。ある貧乏人は格差社会なんてどうでもいいとおもっているかもしれないし、金持ちのことをうらやましくおもってもいないかもしれない。それを、げんにどうであるのか聞き出すのが、九条の仕事だ。だから、彼には仕事とプライベートに落差がない。仕事人間というとまたなにかちがうが、理不尽こみで、みずから切り開いたり変えていこうとしたりするものではなく、ただあって、そこに対応すべきものとして、彼にとっての「世界」はあるのだ。
さて、九条と父親の鞍馬である。九条と鞍馬は、なんらかの理由で決定的に断絶しており、それはけっきょく回復されなかった。鞍馬が亡くなったのがいつなのかはわからないが、莉乃が5歳であるということがヒントになりそうだ。というのは、九条法律事務所が開かれたのが5年前だからだ。最初は鞍馬法律事務所だった可能性もあるが、ここでは最初から九条法律事務所だったと仮定する。このとき、たんじゅんに考えると、莉乃は生まれたばかりである。もちろんそういうことがないではないが、九条の反応をみると、どことなく、すでに莉乃がある程度成長してから離婚したのではないかという感じはする。つまり、「九条法律事務所」を名乗るのは、離婚とは関係がないのだ。逆に、離婚しても妻の名字を使っているのはどうしたわけか、という疑問は残るが・・・。
ではなぜ5年前に彼が「九条」を名乗ったのかというと、妻の件は関係ないわけだから、父との関係が問題であるということになる。彼は独立するにあたって、父の名字を使うことに耐えられなかったのだ。これだけでも、なにか重いものが感じられる。そのじてんで父親が存命だったのかどうかはわからないが、いずれにせよ、流木や山城が、おそらくは一目おいていたであろう鞍馬の名字を、彼は使おうとしなかったのである。
父との確執がどのようなものであるのか、それはこれからの展開を見なければならない。弁護士として認められなかったのかもしれないし、ウシジマくんのような父子関係の歪みがあったのかもしれない。鞍馬はたぶんそうとう強大な存在であったろうから、九条はこれを克服できなかったろう。とすると、それが存在することを認め、内面化し、別の方向性で生きて行くほかないわけだが、彼は父と同じ弁護士になっている。そして、それでいて、父の名は継がないのだ。だとするなら、彼は父のやりかたとはまったく異なった弁護士像を希求しているということになるかもしれない。すると、論理的には、「落としどころ」を探さない弁護士像が、鞍馬のものということになる。「落としどころを探さない」だけではほとんどなにもいっていないも同然だが、ひょっとすると彼が亡くなってしまっていることもここに関係しているかもしれない。彼は、「このあたりがベスト」と計算することができず、ひとつの原理にしばられ、身動きがとれなくなってしまったのではないだろうか。もし鞍馬が、強大な、つまり優秀な弁護士でありながらそういうことになってしまったのだとすれば、それは信念に誤りがあったということになる。それが、彼を“悪徳”弁護士にするのかもしれない。
そして、「九条法律事務所」と「莉乃」の誕生が5年前で、「莉乃の誕生日」と「鞍馬の命日」が同じ、ということも、いかにもあやしげな符合である。このぶんだと父の死んだのも5年前じゃないのかという気もしてくるが、その判断はまだ待とう。象徴的には、外部的な要請で離れることになった「莉乃」という要素が、九条を鞍馬でなく「九条」たらしめているということになるだろう。あてずっぽだが、これもまた屋上生活と関係している。世界をありのままに受け止めて「落としどころ」を探すスタンスにはプライベートというものが存在しない。金本の飼っていた犬がふつうに生活に食い込んでくるというのもそういうことだろうか。莉乃という要素は、彼に聖域をもたらすはずだ。それは、通話中の流木や山城の背後に広がるような世界だ。難しいはなしではない。仕事人間にとってのプライベート、という言い方をすればごくかんたんにイメージできることだろう。ただ、気になるのは、この理屈でいうと、父の鞍馬にとってのプライベートは九条だったはずだということだ。父が九条と反対の生きかたをしていたのであれば、彼は九条を保持していたはずである。そこからどのようにいまの九条に至るのか? 鞍馬の弁護士としての姿がいまはもっとも気になるポイントである。
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