第53話/地上最無差別
巨鯨の作中最大レベルの肉体をも宙に浮かせる渋川剛気。だが巨鯨も力士として膝はつかない。仕切り直し、小柄な老人ということでわずかにでも加わっていた手心も排除するのだった。
そのまま体当たりのようにして胸をぶけていたらまた展開もちがっていただろうが、巨鯨は右の張り手を突き出していく。胴体を接近させる恐怖みたいなのもあるのかもしれない。前回ラストの渋川の「まいったなあ」は、巨鯨の張り手に脅威を感じているのか、あるいはどうにでもなりそうと感じているのか、2通りの読み方ができたが、今回になってもけっきょくどちらだかわからない。達人は深く深く身を沈め、ほとんど平らになり、前傾している巨鯨のスネのあたりに身体を寄せて、躓かせる。小柄であればあるほど使いでのある、達人が得意とする流れである。
だが巨鯨は転ばない。何度も地面を踏みなおして体勢を立て直す。これは、足裏以外がついたら敗北である力士として身についた反射みたいなものだろう。それが有効なばかりではないとおもうが(あとでみれば倒れたほうが有利になりえた、ということはある)、ともかくここでは倒れなかった。
とはいえ、正確に達人の動きを追えてはいなかったであろう巨大の喉に、達人の貫手がささる。ふつうにふかぶかと刺さっており、通常なら勝負ありになるところだが、巨鯨はそれでも倒れない。力士はふつうに喉輪とかで喉もたたきあってるもんな・・・。喉が鍛えられるとは思えないけど、耐えられる限度みたいなものがあって、それが常人よりはるかに広いのだろう。ふつうなら痛みというか呼吸ができなくなったことに動揺して戦意喪失してしまうかもしれないが、彼らなら多少はそんなこと無視して動けそう。
倍くらいの身長の巨鯨へ貫手をしたわけで、渋川剛気はこのときを宙を舞っており、これはじゃっかん失策だった。どこにも逃げ場がないからである。達人もこれで勝負を決めるつもりだったのかもしれない。独歩だったら、ここから蹴りや突きでじぶんじしんを遠くに飛ばすくらいのことはあっさりするだろうが、達人は打撃の人間ではない。そこへ再び巨鯨の左手が突き出される。ふつうに張り手だけど、おおきくふりかぶった感じでもなく、押し出した感触だろうか。達人は腕をクロスさせてこれをガードし、うまく着地する。が、コントロール外の衝撃というのはどのような場合も激しく消耗するものである。構えた達人は汗だくになっているが、巨鯨も、あの巨体で転倒を回避するためにあれほど動き、ふつうならダウンする攻撃も喰らって、汗だくだ。例の力士が動ける10秒みたいな問題もあるだろう。
両者がふたたび構えなおす。なんだか互いに、相手の呼吸が整うのを待っているようでもある。と、達人がサクサクふつうに歩き始める。殺気がないので、巨鯨もそれを待ってしまう感じだ。戸惑う巨鯨に、構えを解いた達人は、「俺と組まねぇか」と持ちかける。巨鯨はなにをおもったろう。表情が微妙すぎてなんだかわからない。喜んで・・・るのか?これは。どういう顔なんだこれ。
そういうわけで、わずかに開いた渋川の手のしたに巨鯨は腕をさしこみ、帯を両手でわしづかみするのだった。
つづく。
何度も書いたように、渋川剛気は複雑なちからの働きを瞬時に把握して、わずかな調整で、全体を殺したり、反転させたりすることができる。そのためには、相手と接触しなければならず、打撃のばあいはかなり緊張感をともなったものとなるはずである。なぜなら、打撃戦で「接触」とは、技が少なくとも間合いのなかに入っていることを示すからである。
ところが組んだりつかんだりとなると、その状況はもっと静的な、無時間的なものとなるだろう。相手がじっとしているも同然の状況なのであるから、打撃よりははるかに技をかけやすくなるのだ。ここまでがっつりつかまれてしまうと、巨鯨からすれば大きめの猫を抱えるような感覚だろうから、それこそ範馬一族の秘技「ドレス」とかできてしまうレベルだろうし、かなり彼に有利ともおもわれるが、無時間的な接触状況になっていると考えれば、達人ならなんとでもなりそうともおもえる。でも、組むというからには、達人も廻しをつかむのかな。サイズ感がちがいすぎて、まったく絵が浮かばない。しかも巨鯨したから手を入れちゃってるしな。だが、達人は合気の限界を求めているので、状況が不利で困難であればあるほど望ましい。彼は自主的に腕を上げているっぽいので、たぶんこれもあえてやっていることだろう。
今回引っかかったというか、気になったのは、「組む」ということばである。その渋川剛気のセリフは全体で「他でもねぇ 大関・・・」「俺と組まねぇか・・・?」というものだ。ここを読んだとき、ぼくはこう、あたまでは四つに組まないか、という提案だとわかっていても、同時に、共闘しないか?と誘っているように見えて、ちょっと笑ってしまったのだ。いやなにと戦うんだよということだが、しかし、おもえば、両者にはあまり差がないのかもしれない。つまり、力士は、がっぷり「組む」ことで、ある特殊な状況を発生させて、そこから力比べ、技術比べを開始し、勝敗を決めるのだが、これは、あるひとつの状況に向けて、同意のもとに「共闘」しているとも、たしかに考えられるわけである。四つに組むという状況は、偶然に加えてある種の意志が働かないことには成立しない。はっけよいからのぶつかりあいで組むことになるのも、互いの意志が相手を方向に向かって、その状態に落ち着くことではじめて成立するものだ。
そして、この「合意」に基づいてある状況をつくりだす、というのは、実をいうとまず「試合」というものがそうである。相撲では取り組みということになるだろうか。試合上に立つものは、本心ではそうでないとしても、とりあえずここで行われることに関してはルールにしたがうことに同意したということを、その状況そのもので示している。今回の試合も、相撲ルールではないにしても、互いに細部を理解したうえで実行された「相撲」にほかならない。つまり達人は、こうして紳士的に提案することで、偶然的ではなく、必然的なものとして、もっとも洗練されたものとしての相撲的状況、四つに組むという状況を、巨鯨の合意のもと、実現したのである。
どうしてそういうことを望んだかといえば、くりかえすが、合気の限界を知りたいからである。そのために求められたのが、これはバキたちにおいてもそうだが、ファイターとしての力士ではなく、相撲という状況だった。ここでは、バキたちが日常行ってきた「いのちのうばいあい」とはまた異なった実践的状況が現れている。それがどんなものになるかは、バキたちにもわかっていない。おそらく神秘性もこみで、なにか、彼らがこれまで触れてこなかったようなものがあるのではないかという期待もあって、この試合は実現される運びとなったのだ。渋川剛気もそうなのだ。彼は、どこまでも、徹底的に「相撲的状況」に身をおくことで、合気の向こう側が見えるのではないかと確信している。いまのところではいい勝負になってはいるが、おそらく、これじゃいつもと変わらない、とおもったのかもしれない。いつもと同じ技術を、通用しないまでもくりかえすだけで、そのうち巨鯨のスタミナも切れてしまう。それじゃだめなのだ。だから達人は、みずからすすんで、究極に相撲的な状況に身をおく。しかも相手との合意のもとに、であるから、実質、試合はいま開始されたも同然ということになる。逆にいえば達人は、四つに組んで、相撲の典型的かたちに持ち込まない限り、これ以上はない、と見切りをつけたことになるかもしれないが。
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