ミュージカル 『MESSIAH(メサイア) −異聞・天草四郎−』
作・演出/原田 諒
ショー・スペクタキュラー 『BEAUTIFUL GARDEN −百花繚乱−』
作・演出/野口 幸作
そのなかでもひときわ美しく大輪の花を咲かせる明日海りお率いる、比類なき美の宝庫・花組の魅力の全てを盛り込み、「花美男子(HANAOTOKO/ハナオトコ)」の誘惑に心ときめき、「花美乙女(HANAOTOME/ハナオトメ)」の優美な姿に酔いしれる、絢爛豪華で大人の雰囲気のショー作品。
野に咲く花々のように麗しく美しく芳しく、夜空を彩る花火のように熱く激しく妖しく、そして鮮烈に!
古今東西の名曲と美しいコスチュームの数々で、花にまつわる恋人たちの愛と夢とロマンを描く、めくるめくエンターテインメント・ショーにご期待下さい
以上公式サイトより
花組東京公演『MESSIAH―異聞・天草四郎―/BEAUTIFUL GARDEN―百花繚乱―』観劇。10月5日金曜日13時半開演。
花組トップスターの明日海りおは「みりお」という愛称で親しまれているが、とりわけこのひとにかんしては、みりお不足としかいいようのない症状を宝塚ファンは覚えがちである(ように感じられる)。ぼくは、こういう言い方も問題あるとおもうが、特別明日海りおファンということは(たぶん)ないとおもうのだが、しばらくDVDなど含めて明日海りおに触れないでいると、なにか欠乏感のようなものを覚え始めるのである。美貌はもちろんだが、あの丸い歌声や、ちゃんとひとのはなしを聴いているのか不明瞭な浮世離れした空気感や、男役としての独特の耽美的ありようなどを、どうしても摂取しなければならない、という気持ちにさせるのである。たしかに、その感覚は摂取なのである。ふしぎなひとだ。まあ、ぼくはひとにいわれるまでじぶんが早霧ファンであることとか、ニコール・キッドマンが好きなこととか自覚できなかった人間なので、それはお前が明日海りおのことをけっこう好きだからだろといわれたら否定できないわけだが。しかしそれにかんしては、いやそりゃ好きだよ、と開き直りたいぶぶんもある。はじめて宝塚を観劇した次のやつだったかな、月組時代の明日海りおを見た相方は、「あんなに美しいひとがこの世に実在するのか」という、小説の帯文句ばりのセリフをリアルにくちにしていた。そのくらい美しいかたなのだ。そりゃ好きでしょ。
お芝居メサイアで明日海りおが演じるのは、島原の乱の総大将、あの天草四郎である。本作ではもと倭冠という海賊出身で、お宝を探して天草・島原のほうにやってきたが嵐で難破、現地のキリシタンたちに救われるという設定になっている。くわしくないので調べてみたが、天草四郎が海賊というのはまるっきりオリジナルな設定のようである。信仰も、史実(といってもわからないことのほうが多い人物なのだが、定説ということ)ほど深いものではなく、キリストの思想に触れつつ、恩あるひとの受難に耐え切れず、信仰の矛盾をつきながら、彼らを鼓舞して立ち上がるという感じだ。根本的にはアウトローだが、生還した仲間と再会したところでまたお宝のはなしをしているところなどは、悪党というよりワルガキというような印象で、そうした法の枠にとらわれない生き方が、あのようにひとびとを鼓舞する方向に導いたのではないかというふうに感じられる。そして、彼の背景には「海」がある。この2点が、宝塚版天草四郎が海賊であるゆえんだろう。天草の民たちは、松倉勝家の苛政に苦しみ、それを試練ととらえることで、現状を乗り越えていた。その信仰も、現在では弾圧されるものである。そういうなかに、信仰というほど篤いものもまだない四郎が、法の外、また海という自由のイメージを背負って降臨する。キリスト教は、現世には直接の幸福をみない。事情があって踏み絵を実行した四郎を、民たちはすぐに懺悔するようにいうが、彼は断る。民は、いんへるの、つまりインフェルノに堕ちて焼かれることをおそれているが、いまのこの現状が、まさしくいんへるのではないか、というのが、外部から飛来したものとしての四郎の主観である。このとき、彼はキリスト教をたしかに「あなた方の」と呼ぶ。あなた方の神は、そうやってがんばって信仰を続けているのに、なんにも助けてくれない、ただ見ているだけじゃないかと、このように、民たちは弱っているので、非常にショッキングな展開ではあったが、四郎はみんながうすらうすら気づいていたことを告げて啓いていく。しかし、彼らにはそうするしかなかった。そうでも考えねば、それこそ「いんへるの」にちがいない現状を生きていくことはできなかった。「神は耐えられぬ試練を与えぬ」、したがって、この苦難も、いつかは乗り越えることができるはずであると、そう考えるほか生きる道はなかったのである。けれども、藩主の圧制はもはやただの重圧ではない。かんたんにひとが殺され、蹂躙される。キリストの教えにすがるだけでなんとか呼吸を続ける彼らに、その外部の思想に自発的に目覚めよというのは酷なはなしだ。四郎は、そこに「自由」を知るもの、海を背負うものとして、やってきたのだ。「海」は、文明的な分節の以前の世界を象徴する。「神」はむしろ海のように眼前に広がる世界のうちから人間によって見出されるものだ。圧制は、民たちを損ない、新しい視点を持ち込むことなど不可能なほど彼らを弱らせている。その硬直した現状に、信仰以前の場所から、四郎はやってくる。じっさい、彼は「メサイア」なのである。彼は、神は天の彼方にいるのではなく、じぶんを救ってくれたあなた方のなかに宿っているのだと、契約を更新したのだから。
ぜんたいの感触としては『カリスタの海に抱かれて』と似た印象もないではない。あれも、主人公は「故郷」をもたぬ男で、生まれとしてはその現地になるが、外部のものとして帰還することになった。ある枠組みのなかに属しながら覚醒するというのは、なかなか難しいことだ。つまり、神との契約の更新を、もとの契約に与しながら実行するということは、かなり難しいのである。それが、このオリジナルの脚本では、天草四郎に「アウトロー」と「海」という要素を託し、彼に民を「あなた方」と呼ばせたのだろう。
しかし、その兆しもないではなかった。柚香光演じる絵師のリノである。彼は、みんなとは離れた島に住んで神々の絵を描いており、それを通じて島民たちは信仰を続けている。どういう関係だかよくわからないが、彼はマリア様のモデルを流雨(仙名彩世)に見出していて、ほかのものがみてもそれは一目瞭然みたいだ。彼は、位置関係としては外部の人間のようではあるが、じっさいはもっとも硬直した考え方をしており、四郎の台頭を受け容れるのがだいぶ遅くなってしまう。しかし、同時に、歴史のかなたに葬られかねなかった天草四郎の物語をのちに伝える、島原の乱唯一の生き残りともなる。天草四郎の神にかんする新解釈を「新約」だとすれば、それを書いたのはリノなのである。
そのリノが四郎を信じられなかったのは、信仰というより、彼が海賊あがりであるということが大きかったようである。つまり、外部のものであるからこそ外部の着眼が可能になった四郎に対して、彼は外部のものだといっているわけである。だが、彼自身、南蛮絵はもちろん、キリスト教にかんしても、それが生まれた遠い地を夢想する日々であり、ここには微量ながら嫉妬のような感情もあったのかもしれない。しかしそのぶん、足場が全面的に島原にあるというタイプでもなかった。こうしたことが、おそらく彼に「唯一の生還者」という立ち位置を与えたのである。
ショーにかんしては、残念な事情があって、あまり集中して見れなかった。うしろの席のかたがずっと咳をしていて、その風で髪の毛がふわっと揺れるようなことが続いていて・・・。せめて腕でおさえるかマスクするかしてくれよ、前面に散布するのはやめてくれよ・・・というようなことでもやもやしているうちに終わってしまった感じである。こういうときは、なによりパフォーマンスをしているかたたちに影響がないか心配だが、頭にふりかかってくるものだからそれ以上にもやもやしてしまった。あとで相方と感想をはなしていて、柚香さんが女装している場面があったことさえじぶんが知らなかった、見ていなかったことが判明して、ため息しか出なかった。でも、あのパリの傘のやつはすごくかわいかったです。仙名さんも、芝居含めて存分にうたえて気持ちよさそう。マイティもめきめき頭角をあらわしているし、瀬戸かずやの燕尾さばき(そんなことばがあるのかどうか知らないが)は圧巻だった。なんでも上手にやっちゃう鳳月さんは、今回は笑っちゃうほどいやなやつの役だったな(藩主の役)。上手だった。花組はメンバーが減るいっぽうというか、鳳月さんは入ってきてくれたけど、安定しないなあという印象もあったので、その点安心できた。次回も楽しみにしてます。
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島原の乱の指導者として多くの伝説を残し、今もなお謎多き人物として異彩の魅力を放つ天草四郎時貞の姿を、新たな視点でドラマティックに描き出した作品。従来の日本物の枠にとらわれず、衣装や美術に現代的なエッセンスを加味した、新たな日本物オリジナル・ミュージカルとしてお届け致します。