今週の刃牙道/第128話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第128話/握りの要

 

 

 

 

 

 

 

投げたものはなんでも手でとってしまう武蔵の習性を利用し、本部は爆薬を仕込んだ鞘を投げつけ、武蔵に刀でキャッチさせることでこれを爆発させた。刀や武蔵じしんには大きなダメージはないようであるが、そのすきをねらって本部の鎖分銅が伸びる。いっかい放ったのを強くつかみとって引き、その回転のまま投げる感じでカッコイイ。

 

 

分銅は瓶で殴りつけられて裂けた頬に当たる。もともと深く裂けているところなので、ダメージの度合いはよくわからない。とりあえず、柳のときみたいに肉が削げたりはしていない。武蔵が吐き出した血が地面に当たって、なにか固形物が飛んでいるのが見えるが、これは歯だろうか?爪のようにも見えるから、闘技場に無数に埋まっているという例のアレかもしれない。

バキとガイアは本部の優勢を感じている。バキは、一気に叩き込めと心の中でいうが、しかし追撃はない。武蔵は、裂けた傷口に指を差し込んで、奥歯の具合を確認している。ってことはこの傷は、表面の皮膚が切れただけじゃなくて、肉まで裂けちゃってるってことか。戦闘中ということで、指先が清潔ということもないし、すげえ痛そう。

バキはそれを、「口から指を入れるより奥歯に近い」ための行動であると解釈する。合理主義ゆえなのだと。個人的には、あんな傷口に指を差し込むなんて想像しただけで痛すぎるし、ばい菌とか大丈夫なのかとか考えちゃうけど、それはあくまで個人の感想である。とはいえ、いくらそのほうが近いからといっても、たいしたちがいはない。「道を直角に曲がるより近いから」という理由で、角にある家を破壊してショートカットするようなものである。そのためには、家を破壊することが容易であることと、そのことによって生じる刑罰とか訴訟とか社会的信頼の失墜とかを考慮しなくてよい状況にあることが要求される。つまり、たとえば未来からきたターミネーターなら、それをしても合理主義で通るだろう。しかしふつうの人間が、ドリルかなんかを用意してそんなことをしていたらただの愚か者である。

ここには依然としてパフォーマーとしての武蔵と、身体を乗り物として想定する武蔵の両方が見えているので、あとで考察することにしよう。

 

 

奥歯はぐらついている。が、ぬけてはいないようだ。武蔵はかつて宍戸某という鎖鎌使いとたたかったことを思い返す。吉川英治の小説に出ていたのは宍戸梅軒という名前だそうだがこれは創作で、本名は宍戸という以外判明しておらず、じっさいのところはその実在さえあやしいようである。が、ともかく武蔵はこれとたたかった。しかしその分銅をからだに触れさせることさえなかった。「快挙なり」と。あくまで武蔵は、偉大なる宮本武蔵に果敢にも挑みかかる現代の実戦者・本部以蔵、という図式でじぶんたちをとらえているようである。

本部も少しそれにイラついたのかもしれない。分銅に地面を這わせ、ゆるく下げたままの刀に巻きつけてこれを捕る。鎖は複雑にからみあっており、ちょっとやそっとではほどけそうもない。

これをそのまま引っ張る。本部が動くのにあわせて武蔵がかまえなおしたり、刀を持ち直したりした様子はない。が、微動だにしない。まさか動かないとは、本部も考えていなかったようで、さすがに動揺している。いつもの、小指と薬指だけで保持した状態から、少しも刀が動いていないのである。

小指は握りの要で、むかし僕が学校で剣道やってたときも、先生がそんなこといっていた。空手でも小指の握りこみは非常に重要である。しかしそれは、小指に大きなちからが秘められているとかいうはなしではないだろう。親指や人差し指ほど小指が強固であるとはとてもおもえない。それで、「本部の剛力」にハリ合っているそうである。なんとも戸惑う表現で、ツイッターなんかで検索してみても戸惑ってるひとしかいなくてなかなか趣きがある。そりゃ非力ではないだろうけど、ふつうの感覚で剛力といえばオリバ、ピクル、勇次郎だろうし、せめて花山やジャック、ガーレンくらいないとちょっと・・・。おもえば本部は最大トーナメントで横綱の小指を捕って負けており、それが、わたしたちの本部評価を狂わせてきた。本部はじっさい剛力であるのだが、小指にかんしてだけ、なにかトラウマ的なものが働いて、それを半減させてしまうのかもしれない・・・。

 

 

武蔵はその状態からこともなげに刀を振り払って鎖を切ってしまう。本部が強く引いていたせいもあるかもしれないが、振りかぶってないわけだし、これは地味にすごい気がする。反動で本部がうしろに倒れ掛かる。

 

 

武蔵は、さっきまでしていた話を続けている。顔につけたこの傷、なにをもって購うかと。そして、「八文字」「本胴 腕諸とも」「大袈裟」「面割り面頬 胴体諸とも」と、いずれも豪快な斬られ方を餞別として提案する。それを受けてしばらく思案した本部は、「老衰」とこたえたのだった。

 

 

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

武蔵の握力の強さにはびっくりしたが、とりあえずまだ本部は負ける気はないらしい。じっさいのところ、前回と比べてそれほど劣勢になってるということはないような気がする。たんに気持ちの問題というか、演出の問題という感じがするのだ。

整理してみると、まず本部は、煙玉にまぎれていちど武蔵の刀を奪っている。そして武蔵に刀を投げ返し、続けて爆薬を仕込んだ鞘を投げることで、攻撃すると同時に鞘を破壊した。前回考えたように、この爆発の目的は、鞘や、あるいは刀を壊すというところにはない。それをするつもりなら、煙があるうちに武蔵のそばを離れてすれば済むことだからである。ではなぜそれをしたのかというと、これは本部のメッセージである、というのが前回の結論だった。刀を奪うより、刀を奪って返すほうが大きなものを得られるという計算がないかぎり、本部はこういうことをしない。なにをねらったのかというと、武蔵が必ず鞘を刀で受け止めることをじぶんはわかっていた、ということを告げるためである。武蔵は、じぶんがいかに優れているかを周囲に示すために、あえて面倒くさい曲芸的な動きをとりがちである。飛んでくるタバコも、たんに弾けばいいところ、わざわざ指2本でつまんでみせるのだ。それを、本部は見抜き、そして見抜いていることを武蔵に知らせた。ふつうに考えると、それを知らせることはむしろ武蔵にあったかもしれないスキをなくしてしまうかもしれない。考えうる武蔵の影響としては、本部がじっさいのところどこまで見抜いているかが、武蔵には正確にはわからない、ということである。そうすれば、あるいは、そこに生じた警戒心が、武蔵の踏み込みを甘くするかもしれない。

こうしたことを踏まえて今回を見たとき、なにが考えられるだろう。まずそもそも、鞘を失った刀を武蔵がだらんとぶら下げているという状況じたいが、本部が鞘を破壊したことで生じたものである。もっといえば、そこで刀に鎖がまきつき、それを切り捨てるのも、鞘がなかったからである。鞘のついた刀を片手にぶら下げているという状態は有り得ない(とおもう)ので、これは想定するだけ無意味だが、いずれにしてもこれは本部の作り出した状況なのである。そしておそらく、そのうえで再び刀を奪うというプランがあったにちがいない。刀が動かなかったときの本部の同様はホンモノだろう。だから本部としては、返した刀を再び奪うことで、それを奪うことはじぶんには容易い、ということを示そうとした可能性があるのである。

 

 

ところが予想した以上に武蔵の握力はすさまじいものだった。「本部の剛力」は解釈のわかれるところだとおもうが、これが成立するのは、それが相対的な表現であるときのみである。そうとうに甘口なファンであっても、ピクルやオリバの肉体を勘定にいれながら本部を「剛力キャラ」に含むものはいないだろう。つまり、これはそういう意味ではない。たとえていうなら、分銅をいくつものせた台車を引っ張るカブトムシを「剛力」と形容するようなものだろうか。虫界では最強にちかいカブトムシのパワーも、生物界というレベルでみたらもちろんたいしたことはないわけである。しかし、カブトムシを非力とおもうものはいない。やや苦しいが、それしか思いつかない。なにしろ武蔵は小指と薬指しか使っていないのである。それに比較すれば、両手でつかんで体重もかけている本部はたしかに剛力であるはずである。

本部の剛力をもってしても、刀を奪うことはできなかった。ここではじめて本部の計算が狂う。本部の目的はここでさらに更新された。つまり、「刀を奪うこと」より「刀を奪って返すこと」のほうが有効であり、またそれよりもさらに「返した刀を奪うこと」のほうが有効であるという考えが本部にあったはずなのである。しかし残念ながらそれは失敗した。だが、依然として本部ペースであるということはいえるとおもう。なぜなら、武蔵はいまだ、本部の行動に反応しているのみで、状態としては後手後手だからである。鎖を切る動作からして、鞘が失われていなければなかった状況なのだ。

 

 

本部が示した武蔵のパフォーマー気質だが、武蔵が気づいているのかいないのかは別として、それはまだ続いているようである。というのは、あの傷口に指をつっこむ、いってみれば「演出された合理主義」である。そのほうが近いからって、たいしたちがいはない。傷に触れれば痛いし、ばい菌も入るかもしれない。そういうことを無視してまで、距離を無駄にしないことが重要かというと、とてもそうはおもえない。これもまた武蔵のパフォーマンスなのである。じぶんには痛みは無効である(これはたぶん、じっさいそうなんじゃないかとおもわれる)、痛みもなにも無視した合理主義者である、こういうことを武蔵は示し、バキなどはまんまとそれにのっているわけである。

そしてこの動作が感じさせるのは、武蔵にとっての肉体というものの価値である。そもそもが武蔵は、人工的につくられた身体に魂が宿るしかたで誕生した異形だ。そこにおそらく、今回のような傷口をえぐる動作をしてしまう武道哲学も加わって、身体を乗り物であるととらえる思考法があらわになっている。じっさい、バキ世界では、合理主義的なひとほど、身体改造にすすむ確率が高い印象がある。ジャックなんかは、非合理といえば非合理だが、命とは無関係に、必要と感じたことはぜんぶやるという、強くなるということ以外に目的がないという視野では合理的だし、からだに刃を仕込んでいたドイルなんかも非常に合理的な人物だった。オリバの度を越した筋肉愛にも合理主義的なものを感じる。彼らには、親から授かった身体を云々というような古い思想は皆無である。肉体はじぶんの持ち物であり、じぶんに求めるつもりがあれば、それをどうしようと自由であると、そういう発想が根本にはある。武蔵にもそれにかなり近いものが感じられるのである。しかも彼はいちど死を経験している。いまの生はたまたま、これまでの生の剰余価値みたいなものとして抽出されたものであって、つきつめれば別にどうなってもいい、みたいな悟りが、武蔵にはおそらくあるとおもわれる。それが、痛みやダメージを無視してパフォーマンスに徹するという、普通人が首をかしげてしまうような行動をさせているのである。武蔵は顔を傷つけられたことを理由に、本部を豪快に切り捨てるつもりだが、それも、「武士の顔面」というように、どこか他人事である。車でも傷つけられたような言い方なのだ。

 

 

とはいえ、いずれにしてもこれで武蔵のスイッチは入ったことだろう。こんなことをずっと続けていれば、武蔵は負けてしまう。ぼちぼち、過剰な演出ではない攻撃に移るタイミングだろう。気になるのは本部の刀を奪うという行為の反復である。これが本部のプラン通りで、それがたんに武蔵の握りの前に失敗した、というだけのことならそれでよい。しかしこれが反復強迫だとしたらどうだろう。エロスで人間の行動原則を解明してきたフロイトだが、戦争帰りのもと兵士が、戦地での嫌な記憶をくりかえし夢で見るという症例が快感原則では説明できないことを受けて、死への欲動、タナトスというものを想定するようになる。戦争の記憶は、できれば思い出したくない嫌なものであるにもかかわらず、夢を起動する内部のなんらかのシステムは、なぜかこれをしきりに再生しようとする。現代では、基本的に幼少時の父母との関係が、いまの人間関係に反映されているものとして受け止められることが多いようだが、大雑把にいえば「毎回どうしようもない異性ばかりつかまえてしまう」というようなものにおいても、この欲動が発動していると見てよいかもしれない。それは、その不安をもたらすもの、戦争であり、幼いころの父母との関係であり、ダメな彼氏である、本来であれば遠ざけたいものを、みずから再び引き寄せ、反復し、次に似たようなことがあっても対応できるように、あるいはそうなってもショックが少なくて済むように、場合によってはなぜそこまで不安に感じるのか原因を解明し、乗り越えようとして、くりかえし、ほとんどみずからの手によって再現されるものなのである。

おもえば本部は、刀を奪ったとき、いやにあっさり奪えたなと、不安というほどでもないかもしれないが、微妙な違和感を表明していた。そしてげんに、奪った刀はそのままに、攻撃もせず、本部は棒立ちをしていたのである。鞘への爆薬の仕込みでさえ、おそらくは武蔵との会話がはじまってからやっている。あのとき、本部はほんとうになにもしていない。

そのときの不安が本部に残っているとしたらどうだろう。あれはなんだったのだろうと、もういちど確認したい、優勢であるはずのじぶんのポジションを点検したいと、再び刀を奪わせるのではないだろうか。

 

 

奪った刀を返す、という動作には、本部のメッセージが含まれているかもしれない。しかしそれを再び奪うという動作が、「いつでも奪える」という次のメッセージであるのか、「さっきのあれはなんだったのか確認したい」ということの結果であるのかという違いで、今後の展開も変わってくるだろう。不安は余裕をなくしてしまう。もともと余裕なんかないだろうが、当初のメッセージで構築した本部の不気味さは、余裕のないふるまいとは同居しないだろう。武蔵はこういう心理戦には長けているだろうし、かんたんに本部の不安を見抜くかもしれない。とはいえ、「老衰」という発言には、まだ余裕が感じられる。いまの本部の試合運びは悪くないので、出し惜しみしないでがんがん攻撃していってもらいたい。