第408話/逃亡者くん⑳
ついに捕まってしまい、いよいよ殺されるかというところのマサルだが、丑嶋の思考を想像し、すぐ殺さないのはじぶんの金をねらっているからだと推測して、やや無防備に金のはなしを持ち出す。が、それを受けた丑嶋は、勝手にはなしを進めていることを咎め、マサルのあたまを踏みつけるのだった。
最初からマサルがいってることはひとつだけだ。少しだけ時間をくれと。そのあとどうなってもいいから、2時間だけほしいと。さすがになにか具体的な目的があるらしいことはそれだけでもわかる。そう訊ねられて、マサルは、どうせ殺されるなら、最後にかわいそうな母子を助けたいのだと説明する。
いままで黙ってたのが不思議なくらいだが、柄崎がそれにつっかかる。一人前の金融屋に育ててもらった恩を忘れて裏切った人間をどう信じろというのか。加納はむごい死に方をしたのだから、マサルもそうならないと気がすまないと。柄崎はだいたいいつも一般論をいうので、意外と作中では誰も指摘していなかったようなことをいったりすることがある。「恩を仇で返した」っていうのはまさにそうなんだけど、この事件にかんしてそれをいえる人間って実は限られている。高田は沈黙しそうだし、丑嶋もじぶんではそんなことをいわないだろう。柄崎は、じぶんがいうべきことを、表層の感想にとどまる一般論のレベルでくちにしているのである。
マサルはどうぞそうしてくれという。じぶんはたいへんなことをしてしまった、償いたい気持ちはあるが、それをするには、柄崎がいうように、同じ方法で、同じように苦しんで死ぬ以外思いつかないと。ふーむ、顔が見えないのでマサルがなにを考えてるのかぜんぜんわからないな。というか、マサルじしんにかんしてはむしろ顔が隠れているから、すらすら流暢に言葉が出てくるという感じかもしれないが。
そしてマサルが、ちょっと前に「醜い」を連呼して悟った闇金業の虚ろさについてじっさいに口に出して初めて語りだす。人を不幸にして、金以外なにも生み出さない金融は無意味で空虚だった。それを埋めるために女やギャンブルに没頭しても、渇きがいやされることはない。なにも生産していない。なにも救っていない。それどころかひとを不幸にして金にしている、そんな無意味な人生。だから最後に人の役に立ちたいのだと。まあ、そらそうなんだけど、マサルの見方は極端に一面的かもしれない。ひとを救ったこともたまにはあるでしょ。ちょっと思いつかないけど。
その、のどかを救う時間をくれたら、金の場所をいう。それで足りないなら沖縄の闇金の情報も教える。マサルは丑嶋社長に、世の中は奪い合いだといってましたよねと確認する。これは丑嶋社長のルールのはずだと、マサルはいうのである。
丑嶋が、マサルのいう「金」というのがなんのことなのかわかっているのかどうかは不明である。前回考えたように、加納の金をマサルがもっていると丑嶋が推測するためには、かなりの飛躍をしなければならないのである。丑嶋の認識としては、誰の金とかではなく、たんに大金をわたすから、というところ以上のものはなさそうである。
そこで、丑嶋が不気味な確認の作業をはじめる。要求に応えないと金は渡さないということか、絶対逃げないのか、信じろというのかと。マサルはそのすべてに「はい」と短く即答する。しかし丑嶋は、マサルを前傾させ、血まみれになっている手首を示す。逃げる気満々じゃないかと。縛っているものをほどこうと抵抗したために血が出てしまっているのだ。たぶん、足で踏んづけて前のめりにしたときにちらっと見えたのだろう。うーん、そりゃあ、げんに沖縄に逃げてきているわけで、マサルがこんな提案をするのは捕まってしまったからなわけだし、マサルがいっているのは別に、沖縄にきてからずっと反省していて、丑嶋たちがきて罰をくだすのを待っていた、というようなことではないはずである。捕まって、観念したからこんな提案をしているわけで、理屈っぽいことをいえばこの血は「観念」する前のものである可能性もあるわけである。げんに逃亡していたひとが捕まったら、そりゃあ逃げようとあがくわけだから、丑嶋のこの理屈だと、いちど現実になったそのひとの行為は、そのあとの言動で覆ることはないということになってしまう。
マサルは前回チャンス云々といっていたし、解放されたら逃げるかもしれない。しかし同様にして、逃げないかもしれない。ほんらい等価であるそのふたつの可能性について、しかし丑嶋からすれば、げんに沖縄に逃げてきているマサルが逃げる可能性は非常に高いわけである。それを、当然といえば当然な抵抗のあとが証明してしまっているわけである。
外に連れ出され、両足にそれぞれコンクリートブロックを結ばれたマサルが、排水溝みたいなところに落とされる。なんだろうこれは、なかの水は流れている様子はない。雨が降っているのに水に動きがないのだから、排水しているわけではないようだ。消火用とかに雨水をためている施設なのだろうか。マサルは深く沈み、呼吸の泡がちょっとずつ減っていくのを丑嶋たちが見ている。
安里はマサルのもうひとつの家にきていた。例の探偵がもらしたのである。しかし、探偵はマンションに入るところまでしか見張っていなかったので、部屋はわからない。
安里はドアを観察し、生活感のなさからあたりをつける。ドアにはセロハンテープがいくつか貼ってあり、侵入があったかどうかがわかるようになっている・・・が、どうやらこれは二重のトラップのようである。安里はめざとくドアの前にあるマットをめくって、かわいた素麺が何本かしいてあるのを確認する。マットの上にのれば、それが折れる。セロハンテープにはたぶん誰でも気づくから、侵入し、出て行ったあとなおすかもしれないが、それに気をとられているぶん、素麺に気がつく確率は低くなるだろう。また、侵入までいかなくても、ドアの前に立っただけで素麺は折れてしまう。つまり、今回の安里のように金目当てでなくとも、マサルのことを調べているようなものがいればすぐわかるようになっているのだ。つけられていないか、監視されていないかよく注意していたマサルらしい、入念なトラップなのである。
捕まっていてマサルはのどかとの約束の時間に間に合わない。杏奈がせかすようにそれを指摘する。のどかとしても、貧困やDVから逃れたい気持ちがないわけではない。いろいろ決定的なことが起きているいまのタイミングで行動を起こすとしたら、マサルがこない以上、のどかは杏奈と一緒に東京にいく以外やりようがないかもしれない。杏奈はのどかの迷いを見透かして、東京に行こうとくりかえし誘うのだった。
つづく。
マサルがあらわれ、杏奈があらわれ、のどか的には「いまなにが起こってるんだろう」という感じはあるにちがいない。たぶん、このふたりがあらわれなかったら、のどかはじぶんの貧困を相対化することもなく、それが自然なことなのだとあきらめて、いまの生活を続けていっただろう。それは、よくも悪くも沖縄的な感覚で、厳しい東京の相対化社会のなかでは、ひとびとは神経をすりへらし、足をひっぱりあい、なにが正しいかを見失うかもしれないが、助け合いの精神を基本にする沖縄では、個人の勝ち負けのような概念がないだろうし、仮に生活が苦しくても、そんなもんだとして小さな幸福を感じることも難しくないだろう。その精神性それじたいには、落ち度はない。しかし、現状の貧しい沖縄では、東京の金属的流儀に対抗できるすべをもたず、しかもその侵食を自覚することがないから、ちょっとずつ弱い酸で溶けていくみたいに、眠るように堕落していく状態が続いている。それは杏奈のところにきていたアフロの男が示していたことで、排泄物を食べるように、外部からのなんらかの刺激ではなく、ほんらいであれば拒否しなければならないような、「売っちゃいけないものを売る」風俗とか、軍用地借地料とかで生計をたてるスカトロ的負の循環である。
しかし、ともに東京出身であるふたりの登場で、のどかの生活は一刻もはやく改善されるべきものとして相対化されつつある。のどかには、その悟りと同時に、もちろん不安もある。だから杏奈にマサルを待つともいえないし、マサルにじぶんは東京に行くと宣言もできない。どうすればいいのかわからないのである。
そしてマサルは、のどかがきっと「どうすればいいかわからない」であろうことを理解している。じぶんがついていて、少なくとも入口まで手引きしてやらなければ、というほとんど使命感のようなものがマサルを支配しているのは、たしかだろう。金融が醜く、虚無的なものであるという感想も、たぶん本音だ。たしかに、闇金が、というかカウカウが、客の無知や弱さにつけこんで金を貸し、そして回収していたぶぶんはあっただろう。しかし、そもそものところに立ち返ってみれば、あくまで1巻の丑嶋いわくということだが、闇金が高利であるのはそれで利益をあげるためではない。相手も、カウカウが違法だとわかっていて踏み倒そうとする連中や、あたまのおかしいものたちばかりで、非常にリスキーであるから、高利なのである。つまり、個別の状況を見ればそうとも言い切れないが、全体でみわたせば、じっさいに借りにくるものがあとをたたないことからしても、貸す側の醜さは借りる側の醜さでもあったはずである。
マサルはおそらく、そのことを無意識に見落としている。そして、度重なる自己否定の結果、すべての悪を闇金という業態そのものに求めようとしているのだ。
そうしたとき、マサルの脳裏には、無垢な人々の世界を汚染する、東京中の闇金、という図式が浮かんできたはずである。マサルの丑嶋への復讐は、もうなんども見たのでくりかえさないが、ひとことでいえば自己否定にほかならなかった。加えて、その復讐を実行したことについて、マサルにもおそらく、反省か、少なくとも後悔の感情が生じてきたはずである。彼が名乗る村田仁という偽名は、もちろん旧友の村上仁の名前を借りたものである。マサルは復讐を開始するにあたって、仁と訣別してしまっている。村上仁は、復讐を実行する主体である「愛沢以後」のマサルと連続する「愛沢以前」の、無垢なアドレッセンスな時代を象徴する人物である。本来であれば、失われたこの時代こそを足場にして、「ほんとうのじぶんはこんな生き方はしたくなかった」というふうに「愛沢以後」の、丑嶋に授けられた生を否定すればよかった。しかし、マサルは、背水の陣を敷くという意味があったのだろうか、これとわざわざ訣別の電話をして、ことにのぞんでしまった。かくして彼は、帰る場所をなくしてしまう。マサルが偽名に仁の名前を選ぶのは、後悔とか郷愁とかあきらめとか、いろいろな感情がごっちゃになって、行く場所がなくなったことの結果なのである。
いずれにせよ、「愛沢以後」である、丑嶋に授けられた生は、みずからの手で否定され、さらにおそらく、マサルはそのことを後悔している。そんな選択をしたじぶんを含む「東京の闇金」を、諸悪の根源(の象徴)であるとさえとらえているかもしれない。じぶんの行動を媒介にして、闇金の行為が悪であると、村田仁は解釈しなおしたのである。
ほんらいであれば闇金が成立しているということじたいが示しているように、業態そのものが悪ということはないはずであるにもかかわらず、一方的にそちらを悪と規定することで、マサルの脳内における図像では、彼らに汚染される世界のもとの様子の、その清浄さが際立つことになる。
順序として、マサルのそういう葛藤とのどかとの出会いのどちらが先かというのは、はっきりとはわからない。そんなことはいっても意味がないかもしれない。こういってよければ同時的に、マサルはのどかという無垢な存在に出会う。闇金を悪と規定したとき自然と浮かび上がる、清らかな善の世界、それの象徴のような人物として、のどかがマサルの前にあらわれたのである。
マサルのいいかたを借りていえば、たしかに、金融には生産性というものはないかもしれない。ある商品を、価値以上の額で売れば、手元に利益が入ってくることにはなる。しかし、そうなると、それを買ったほうの人間は損をしていることになり、国のような大きな規模で見たとき、総資本は少しも増えていないことになるから、海外との貿易などを通した外部の刺激を加えないと、やがて経済は停滞してしまう。しかし、大地や自然を経由させれば、一つの種子は何百もの新しい種をつくって、価値を増殖させていく。こういう思想を重農主義という。これを広くとらえれば、たとえば人間という自然を経由して、好奇心や虚栄心なんかによって価値が増幅していくことも、一種の生産性といえるかもしれない。生産というのは、その営みの最中には貨幣を必要としない。ただ、最初の種子を手に入れるためには、現状、わたしたちはお金を必要とするだろう。金融業はそういう意味では生産性に欠けるかもしれないが、別の意味では、生産性のある世界をきちんと循環させるための貨幣を司るのが、この仕事なのである。
ただ、マサルはそんな厳密なことをいっているのではない。もし彼が銀行員だったら、こんなことは考えないだろう。要するに、他人の不幸で飯を食っているというそのことが、1巻の丑嶋がいうような理屈をもってどう取り繕っても、いまのマサルには耐えられないのである。
じっさいには、加納の死はマサルひとりの責任ではない。マサルがいなくてもハブは丑嶋を追い詰めただろうし、そもそも丑嶋がハブをぶっ飛ばさなければ、こういうことにはならなかった。しかしマサルの感覚としては、まさに自然の摂理で子どもを生み、家庭を築こうとしていた加納の死に加担してしまったことは、おそらく言葉通り重く響いている。自由な2時間をマサルは金で買おうともしているが、これはマサルじしんがそう望むのではなく、丑嶋がそういう「東京の人間」だからである。
しかし丑嶋は信用しない。そしておそらく、マサルのほうにもまだあわよくばという気持ちがかなりある。しかしそれは、かなりのぶぶん、のどかのためだろう。支援センターでの手続きが済んだらそれでパーフェクト、というわけではない。マサルはまだのどかを見守りたいだろう。というか、ずっとのどかを見守りたいだろう。丑嶋がいま本気で殺す気なのかどうかはよくわからない。水のなかに沈めたのも、加納が水責めをされていたからなのかどうか、そういうことも不明だ。だいたい、丑嶋は加納への拷問についてどこまで見抜いているのだろう。この描写もまたなにかの比喩になっていきそうな予感がする。これまでの感じだと、マサルは死んだり生まれたりしてるので、また転生の描写がくるかもしれないし、キリスト教の洗礼的なものである可能性もある。とにかく、たぶん丑嶋は、引っ張り上げるとしてもほんとうのぎりぎりまで、死の恐怖を感じるまで、そうしないだろう。ひょっとしたらそうすることで、マサルがどこまで本気でいっているのか確かめようとしているのかもしれない。
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