第407話/逃亡者くん⑲
捕えられ、しばられて顔にカバンをかぶせられたまま放置されるマサル。
丑嶋によれば、こうすることで時間が長く感じられるそうで、恐怖心が増していくようである。
そして、じっさいマサルも時間の感覚がなくなっていき、これからどうなるのだろう、丑嶋はどうするつもりなのだろうと考えるようになる。ただ、どうもおびえてはいないようである。それよりも、マサルは考えを深める。愛沢に袋をかぶせられた二度目のとき、それまで泣き顔だったマサルは袋のなかで表情を変え、丑嶋への復讐を決意していた。丑嶋がマサルの人生を「袋かぶりっぱなし」といっていたのは、マサルがそうしてずっと丑嶋たちの前で本心を隠し、芝居をしていたことも意味している。つまり、袋の下では、マサルは本心でいることができる。比喩的な意味ではなく、じっさいに袋がかぶせられるとなれば、その下の表情や、じっさいの思考が、彼の本心ということになる。おもてに出る表情とか言動と本心が一致する唯一の状況が、じっさいに袋をかぶせられているときなのである。
恐怖心は身の危険にかかわるところで、それがどういう基準で行動しているものか不透明なときに生じてくる。おばけが恐ろしいのは、それがふつうの生活感覚では説明不可能な現象だからだ。心霊現象が科学的に説明されるようなときがくれば、きっとわたしたちはおばけをおそろしいとは感じなくなる。ゴーストバスターズがちっともこわくないのは、あくまでおばけを科学的に説明可能なものとしてあつかっているからだろう。このばあいでいえば、丑嶋がなにを考えているのかわからない、これからじぶんがどうなるかわからない、ということが恐怖心を生むはずだ。しかし袋をかぶったマサルは、むしろ落ち着いて思考することができる。論理的にそれしか考えられないという結論が導き出せれば、恐怖心もわいてこないのである。
まず丑嶋の目的だ。それは加納の死だろうか。たしかに、マサルの裏切りは、ハブの仕返しを強くサポートしたし、その責任の一端はマサルにある。仮に加納の死がなくても、丑嶋はこんな状況を呼び込んだ「裏切り」それじたいを見過ごさないだろう。もしこれについての復讐なのだとしたら、丑嶋はさっさとじぶんを殺すはずである。そうでないとしたら、こんなところでまで仕事をしている丑嶋のことであるから、マサルがもっている加納の金だ。始末するとしても、丑嶋はこの金を回収する気にちがいない。マサルはそう踏む。しかし、この思考は少し焦りすぎだったかもしれない。まず、復讐が目的だったとしても、丑嶋がすぐにマサルを始末するとは限らない。げんに丑嶋はこわがらせるためにマサルを放置している。加えて、うろ覚えだが、丑嶋は加納に渡した金の行方を知らないのではないか。もちろん、描写のないところで高田などから聞いたという可能性もないではないが(家にあった金がなくなっていることに加納のお嫁さんが気づき、高田に知らせる、など)、少なくともマサルは丑嶋がそれを知っているという確証をもっていないはずである。この逃亡にかんして、原因であるとともに今後も左右するかもしれない非常に重要な要素としてつねにあたまに入れていたからこそ、マサルはこんなふうに考えてしまうのだろう。
そのころ、金城のところにやってきた安里が、新城も連れてマサルの家にきていた。金城が案内したようである。金城は、携帯もつながらないし、こうやって安里も出向いてきてるわけだし、なにかやらかしたのかと聴いている。けっこう他人事っぽい感じだが、表情の描写などもないので、金城の心理は読み取れない。
マサルの部屋を廊下からのぞいて、安里は「生活感がない」という。布団みたいなものが使用感を出したまま敷いてはあるが、ほかにはなんにもない。というか、廊下から部屋が丸見えというのがよくわからない。ブラインドっぽいものも見えるが、窓は半分しか隠れないし、マサルはじっさいここでは生活していなかったのではないか。
安里は金城に、マサルはほかにも部屋を借りてるだろうが、知ってるなら言えという。マサルの部屋が、以前組の金を持ち逃げして沖縄に逃げてきた人間の部屋とよく似ているのだという。よそ者がやたら羽振りよくふるまっていたのでつけたら、部屋をもうひとつ借りていて、金が隠してあったらしい。たしかに、マサルはもうひとつ部屋を借りていて、そこに金を隠している。すごい洞察力だな。やっぱり一筋縄ではいかなそうだ。
金城は知らない。それで、安里は例の丸メガネの探偵に電話する。探偵は、新城や安里のことを調べる前に、マサルじしんを尾行し、彼をつけているものがいないかどうかを見張っていた。だから、マサルの隠れ家もおそらく知っている。安里は大金のにおいをかぎつけているのだった。こういう描写をみるといかにもヤクザっぽいけど、どうなんだろうな。
のんびりのどかは引き続き杏奈と街をうろうろしている。約束の時間に支援センターに行くためか、荷物をまとめて運んでおり、子どもも連れてきている。
ふたりは市場で雨宿りしているところだ。のどかはその市場について語るが、杏奈はさっきまでのにこにこ愛想のいい感じをなくして、興味なさそうな返事ばかりしている。のどかのおばあさんが野菜を売っていたそうで、もし生きていくのに困ったらここで野菜を売れといっていたそうである。しかし再開発が決まってこの市場も取り壊しが決まっているからさびしいと。
それを聞いて杏奈は間髪入れず「じゃあやっぱり東京行こうよ」という。生きていくのに困ったら野菜を売ればいいが、それもできないのだから、東京行こうと、こういう理屈である。東京にいけば、旦那も貧乏もすべてリセットできる。マサルはたよりにならないぞと。ずっと生返事だった杏奈は、こういう話題を待っていたのである。杏奈はのどかの前で、東京行きの真意をマサルに明かされてしまったが、べつにそれで彼女をだましていたわけではない。いっていなかっただけで、東京に行くことでのどかの生活がリセットされるであろうことは、杏奈の真意にかかわらず同様である。だから、へんな作り笑いとかをやめて、直球で誘いをかけるようになっているのである。
足音が聞こえたのだろうか、マサルが、目の前にいるであろう丑嶋に交渉しはじめる。目的が金なら、それはぜんぶわたす。ただ時間を少しくれと。じぶんはそれだけのことをしてしまったのだから、そのあとどうなってもかまわない。金について加わっただけで、基本的にはこれまでいっていることはかわらない。ただ、返事がないからだろうか、マサルはけっこう余計なことをいう。丑嶋も追われている身であるのだから、とっとと済ませませんかと。
それを受けて、丑嶋が重いブーツをマサルの顔が入ったカバンにふりおろす。そして、そのまま後頭部をふみつけるようにして、マサルを前傾させる。何を偉そうに話まわしてるんだと。
つづく。
おもった以上にキレモノらしく、安里が徐々にマサルに近づき始めている。
36巻を読み返してみると、マサルはたしかに、今回安里たちがやってきた部屋にいる(逃亡者くん②冒頭)。今回ブラインドみたいに見えたものはエアコンのようだ。その描写のすぐあと、別の家にいって、風呂場の天井裏に隠してある金を確認している。寝泊りじたいはこの部屋でしているはずなのだが、逃亡者としての緊張感が、部屋においても持続されるために、生活感がないのかもしれない。
探偵はおそらくマサルの隠れ家を知っているし、マサルに雇われていたことをすでに吐いてしまっていることからしても、すぐにこの情報もわたしてしまうだろう。安里ならすぐあたりをつけて風呂場の金を見つけるだろう。もしこのあと、丑嶋がそのマサルの金を手に入れようとしたら、安里たちと鉢合わせする可能性もある。丑嶋をいまの隠れ家に案内し、逃亡用の船まで用意した迷彩服の男は、ふつうに考えて新城か安里のどちらかなので、かなり気まずい状況になる。逃亡者として、丑嶋は新城(仮)に弱みを握られている状況になるから、強くは出れないはずである。金どころか、その、捕まえたばかりのマサルもわたせというはなしになるかもしれない。
そのあたりも含めて、今後あるかもしれないこの金のはなしは、丑嶋がいまの状況をどう考えているのかということをおそらく示すものである。丑嶋は、加納にわたした金をマサルが持っているということをおそらく知らない。まず、金が加納の家に「ない」ことに気づきうるのは、加納のお嫁さんだけであるが、もし彼女が気づいて、高田なり柄崎なりに伝えたとしても、そもそも加納を拉致したのはマサルを含む「ハブ達」である。金が「ない」ことが判明するのはふつうに考えてハブや肉蝮とのたたかいが片付いたあとだが、仮に、どこかの段階で丑嶋がそれを知り得ても、そうした会話をハブたちとはいっさいしなかったし、彼らを倒してから丑嶋はすぐその場を離れているので、あの現場に金があったのかなかったのかということもわからない。だからこれについては、「あの現場に金がなかったとしたら、マサルかもしれない」くらいの推測しかできないのである。
だが、マサルがこのはなしを持ち出したことで、丑嶋はそれについてようやく知ることになった。マサルは「俺の金」「持ってる金」としかいっていないので、「あのときの、加納にわたした金」のことをいっているのだと、丑嶋が確信をもてる前後の状況があるわけではない。しかし、加納に金をわたしたあのとき、社長は尾行に気がついていた。加納を「丑嶋サイド」だとしたとき、この金はたしかに丑嶋社長のところにもどるべき金であるかもしれず、もろもろを合わせれば、丑嶋の洞察力をもってすれば、マサルの思考をトレースすることも不可能ではないかもしれない。
ただ、おそらく丑嶋は金が必要だ。仮にそれが「加納の、あの金」だとわからなくても、なんだか知らないがどうせマサルは死ぬのだからと、すべての金を奪おうとはするかもしれない。つまり、こんな反応を見せながら、丑嶋社長はマサルのはなしに乗る可能性があるということである。
金をわたしたとしても、マサルは始末されるだろう。だが、もしマサルの望みどおりにするとしたら、金のかわりにマサルを一時的に自由にすることになる。あるいは逃げられるかもしれない。このときなにが起こるか。丑嶋は、かえのきかない社員であった加納の存在価値を、部分的にではあれ、金と交換することになるのである。「かえがきかない」というのは、量化できないということである。値がつけられないということだ。それを、マサルから金を受け取って自由にした瞬間に、「交換可能」なものにしてしまうのである。
そもそも、マサルがいうように、丑嶋がけっきょくのところどうしたいのかということがわからない限り、こんなことをいっても意味はないのかもしれない。丑嶋はヤクザものではないが、それでも、「なめられたらおわり」という、裏稼業の人間には普遍的にある思考法をしている。だから、感情的なものをおいたとしても、加納の件をなんとなくで済ませるわけにはいかない。それが「ケジメをとる」ということのはずである。
そして、そのケジメの原動力となる感情的な機微は、加納が「かえのきかない」社員だったということからきている。もちろん、それ以上のことをマサルはした。したというか、加担した。げんにこうしてカウカウは崩壊しているわけであるから、ひとつの原因にひとつの結果を対応させるような単純な図式では、丑嶋の行動を説明することはできない。しかし、カウカウ崩壊、またあの事件の主犯としてのハブ組は、丑嶋がみずからの手で皆殺しにした。じっさいに加納を殺した熊倉も、多少のカマかけもこみで、丑嶋が殺した。それである面では「ケジメ」はとれている。では丑嶋はマサルからなにを回収しようというのか。それはマサルの「裏切り」以外考えられない。なにをどう裏切ったかは重要ではない。「裏切った」ことそのものが、今回の丑嶋の原動力なわけである。「裏切り」は、カウカウの紐帯を裏切ったことを意味している。丑嶋はマサルの裏切りの可能性さえこみでこれを雇っていたが、それはマサルもまた「かえのきかない」社員だったからである。ここには、丑嶋において父親的な忍耐の姿勢が見えていた。そんなセンチメンタルな表現はぜんぜん似合わないけど、おそらく丑嶋は、マサルもいつかそれがわかるときがくると、そんなふうに考えていたにちがいないのである。それもこれもカウカウのスタンスが「個の尊重」にあって、それが会社の絆を強めていたからにほかならない。ある求める利益をもたらすものだけを集める会社では、このようなことは起こらない。「個の尊重」は、たんに優秀であれば浴することのできる方針ではない。結果的にはそうなるのだろうが、じっさいには逆で、社員を「かえのきかないもの」として扱うことで、彼らは優秀になっていく。優秀だから「かえがきかない」のではない。能力を基準にするのでは、けっきょくはひとは量化され、交換可能になる。大きな企業ではそれもまた自然な選択なのだろうが、少なくともカウカウでは、個々のありようを認めることで、「この場所はじぶんが立っていなければならない」という自覚・無自覚を問わない責任感を各自に芽生えさせ、信頼関係を育んでいったのである。
マサルが裏切ったのは、その「信頼関係」にほかならない。丑嶋がマサルの二心もこみで彼を雇い続けたのは、原理的にいって正しいわけである。じっさいマサルは丑嶋の息子みたいなもので、だとしたら、反抗期の息子がオトナになるのを待つ父親みたいな感覚だったのかもしれない。ともかく、それもまた「個」のいちぶであるにはちがいない。カウカウの原理からして、それは必然だったのである。そう考えると崩壊もまた必然だったのかもしれないが・・・。
しかし、反抗期だからといって、そして父親がそれを大きな器で受け止めるからといって、刃物を振りかざし、腹を刺していいわけではない。それは、けっきょくのところ、息子が父親の大きな器を理解できなかったということにほかならず、息子は父親の「いつかわかるはず」という期待に応えることができなかった結果となる。「個の尊重」は、なにか権威的な、最終的にはそれがこたえであるといえるような真善美とはなじまない、ポストモダン的なありようだ。だから、息子の反抗期をだまってみている父親は、その意味では息子と対等であろうとしている。相手の個性を尊重しようとする意志は、相手にもじぶんの個を尊重するよう、ひいては「人間」の個を尊重するよううながすものなのだ。なにか大きな意志のもとで尊重される個は、ただ父親に甘やかされている息子でしかない。マサルはそれを乗り越えることで、カウカウの信頼関係にほんとうの意味で与することができたはずなのである。
しかしマサルは息子のまま父親に刃物を向けてしまった。これを認めれば、「個の尊重」は一方的なものとなる。それは対等でなければ、つまりみずからを認めてもらうかわりに相手も認めるようなものでなければならない。まだ続ける気があるらしいカウカウを復活させるには、マサルがもたらしたこの非対称性を解消しなければならない。それが「ケジメ」に含まれる感情的な動機だろう。問題はそれをどのように行うかである。
今回の丑嶋のカカト落としの描写からは、なにか余裕のなさも見て取れる。丑嶋の意図はなんでもわかるとでもいうように、勝手にマサルのほうではなしをすすめるのが気に入らないのである。ここには、くりかえすように東京を離れて全能性を損なわれた丑嶋のもどかしい気持ちが含まれているだろう。これまで、相手の考えを見透かして先回りするのは、丑嶋のほうだったのだ。
そして、この余裕のない丑嶋が、なにかを忘れようとするようにカリカリ電話で取り立てをする丑嶋が、加納の命や損なわれた「信頼関係」に値段をつけるのはかなり危険なことだ。ヤクザにさらわれた加納を金で助ける、というのとはわけがちがう。丑嶋はいま、「そうしなくてもいい」わけである。マサルが壊したカウカウを、丑嶋じしんがもういちど壊してしまう可能性が出てきているわけである。
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