今週の闇金ウシジマくん/第399話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

す第399話/逃亡者くん⑪






のどかの勤務先である風俗店は、唯一マサルの正体を知る仲間という男のものだ。初登場時はちゃらちゃら軽くて信用できない感じがしたが、仕事はしっかりしているようだ。そして、そこには、フーゾクくんで芳則を守るために沖縄に飛ばされた杏奈の姿もあったのだった。

杏奈は美人なので、東京でも一時的にナンバー1になって大金をかせいでいたことがあった。しかしそれは美人であることだけがもたらす偶然のようなもので、その原理について省みることもなく、調子にのって客のケアもプレイの研究も怠っているうちに売り上げは落ちていき、「すごい美人だけどプレイは淡白」というイメージが定着してしまっているところだった。その後、杏奈に比べれば「もたざるもの」である瑞樹との交流などもあったし、ある程度学ぶところもあったのかもしれない。性病をうつされて当然の生本番のお店に売られてしまったというはなしだったが、なぜか杏奈は元気で相変わらず美人である。今回もその経緯について語られることはないのだが、とにかく事実として元気でやっているということを受け入れてはなしを読んでいこう。


杏奈はこれから7時間コースである。交通費などもろもろ合わせてジャスト10万ということだ。のどかはそのはなしを横で聞いていてすごいというが、仲間的にはのどかにもその素質はあるということのようである。ただ、のどかは地元の主婦なので、広告に顔出ししたりできない。顔さえ出せたらなと、仲間は前回と同じようなことをいっている。単行本で読んだらこれ、2ページ連続で同じこといってる感じになるな。大事なことなのである。


ローションの礼をいって杏奈が出発する。運転手は前回の男と同じひとかな。のどかなんかと比べると稼ぎ方がぜんぜんちがうんだろう。うーん、かわいいな。

待っていた客は常連とかではなく、広告で杏奈を見て指名したはじめての客である。それでぽんと10万出すというのは、よくわからない金銭感覚だ。

男は、なんだろう、どういう世界観なのだろう。アフロというか、ものすごい毛量のぼさぼさ頭の上にちょこんとキャップをのせて、シマウマの絵が描かれたタンクトップに、ヒョウ柄?のブリーフ・・・。小太りで小汚いけど、妙に明るくて、劣等感のようなものはなさそう。杏奈ににぎりっぺをかがせて喜んでいる。そして、なぜかその流れで、杏奈の仕事を「売っちゃいけないものを売ってる最低な仕事」という。何度読んでも握りっぺからのつながりがわからん。

むかしだったらそんなことをいわれて、杏奈はツーンとなって「そッスネ」とかいってたかもしれないが、杏奈は笑ってごまかし、逆に男の職業を訊ねる。男はニーとだとこたえる。しかし親から引き継いだ軍用地の借地料で毎月数百万入ってくる富裕層だともいう。なにか不思議なやりとりである。たしかに、働いていなくてもそれだけお金が入ってくれば貧乏ではないわけで、引け目みたいなものも薄いのかもしれないが、いままでだったら、たとえば瑞樹のところの常連とかだったら、仕事のことははなしたがらなかったり、あるいははなしを盛ったりするところのはずだ。だいたい、じぶんから指名しなければもう会うこともない風俗嬢相手なのだから、みずからすすんで真実をはなさなければならないということもない。働かないで暮らせるなんていいなという杏奈に対して男はそうでもないというが、これもぜんぜん絶望感のようなものが感じられない。諦念すら見当たらない。東京のような所得や文化資本の格差がほとんど意識されない、沖縄らしい価値観ということかもしれない。

やることがない彼は毎日朝からパチンコをしている。沖縄にはパチンコがたくさんあるそうだ。そうでなければ、今日のようにデリヘルで長時間遊んでいる。心底飽き飽きしているのだが、ほかにやることがないのでやめられないと。うーん、そんなに時間と金が余ってるなら筋トレでもすればいいのに・・・。




「俺も沖縄も、

今の現状は親に依存しながらそこそこ食えるニートと一緒だ。


できるなら人生をやり直して

年収1億超えの超人気ユーチューバーになって、

自力で稼ぎたい」





杏奈は聞き流しているが、いやな感じはとりあえずない。まあ、どうでもいいのだろう。


いっぽうで指名のないのどかは、店でおなかを鳴らしている。息子の航平がぐずって朝ごはんをひっくり返し、その足で出勤したので、なにも食べてないのだ。それを聴いて仲間が急にかっこいい表情になって沖縄の格差社会を告発し始める。平均所得は最底辺なのに高額納税者の割合が地方にしては高い。終戦直後とかよりはマシだろうけど、それでも金がないやつはほんとうにない。副業とはいえ、保育士の収入もある程度決まっているだろうし、仲間はのどかの雇い主だから、彼女がトータルでどれくらいの稼ぎかをほぼ完全に把握していることだろう。千円をわたし、なにか食べるようにいう。のどかは町の食堂まで行くが、そこで、急に不安がおそってくる。今日指名が入らなかったらどうしようと。2軒目のお店は沖縄そばの小が100円となっていて、大でも200円である(ホットコーヒーは250円・・・)。ほかに100円そばというような貼紙も見える。しかしのどかは我慢する。じぶんだけ臨時収入で満たされるのが嫌だったということもあるだろう。おそらく目のはしにうつったハンバーグの文字を受けて、それならひき肉とたまねぎをいっぱい買って、航平の好きなハンバーグをつくってあげようと、そのように考えるのだった。


男の要求に応え、杏奈が男の顔の上で力んでいる。男は、おしっこが飲みたいといい、大きいほうでもいいというふうに求めたのであった。よくわからないいいかたである。どちらかといえばおしっこのほうが抵抗がないとおもうのだが、この言い方だとおしっこがだめなら大きいほうを、というふうに聞こえる。そして、なぜか杏奈は大きいほうにチャレンジしているのである。それともこれは、もうおしっこの案件は片付いたあとなのだろうか?たぶんそうだよな・・・。「おしっこはいやです()でも大きいほうならいいですよ」っていうことになっちゃうもんな。

しかし、力みながら、杏奈は壁に立てかけられたスマホに気づいている。盗撮しているのだ。ひょっとすると、もっと早い段階で杏奈は盗撮に気づいていたのかもしれない。おしっこの場合、なかなかでないということはあっても、力むということがない。不自然な位置取りとか動作を通して、盗撮されていることを確認するために、時間をかせごうとして、杏奈は力む方向にいったのかも。

とりあえず杏奈はすぐ仲間たちを呼び出す。7時間も運転手が外で待ってるというのは考えにくいので、あるいはすぐ近くに営業所があるとかで、いったん帰っていたのかもしれない。すぐに仲間と運転手がやってきて、男に罰金50万を要求する。悪徳業者ではないようなので、それが嫌なら警察という、当たり前の反応だ。しかし男は、収入以上に遊びまくっているので貯金がない。限度額超えているからキャッシングもできない。ということで仲間はマサルを呼び出し、軍用地を担保に50万借金させるのだった。





つづく。





仲間が杏奈の名前を呼んだところで、マサルがわずかに反応している。マサルは杏奈のことを覚えているようだが、まさかな、というところの認識だ。たしかに、マサルは美人の杏奈のことを知っているが、彼女が沖縄に売られたこととかは、考えてみれば知らない。あの時点で芳則はカウカウと無関係になっていたし、杏奈も借金があったわけではない。鷺咲と芳則の問題だったのだ。モコが完済してからも、カウカウの客があの店に送られていたであろうことは想像に難くないので、杏奈がいなくなっていることを彼らが知った可能性はある。しかし、杏奈は沖縄行きを店長やまわりの人間に話していただろうか。



今週は、小汚い男の印象もあって、なにかこう、饐えた臭いのする回だった。気になったので軽くググってみると、仲間のいう高額納税者というのは、今回登場した男のような軍用地借地料での収入を含むものがじっさいあるようである。もちろん、なにごとも一概にいいきることはできないのだが、とりあえず、仲間の言い分として、沖縄は格差社会である。金があるものはあるし、ないものは全然ない。で、ここでいう金のあるものというのは、今回のスカトロ男ということになる。しかし、この男も、遊びにすべてを使い込んでしまっているから、手元にはぜんぜんお金がない。燃やしたりなくしたりしてるわけではなく使っているわけだから問題はないようだが、重要なのはその使い方である。男は、ほとんど危機感もないまま、ひまつぶしに湯水のように金をつかっている。まあ、原理的にいえば、お金は動いているときにしかお金としての価値をきっちり現さないのだし、低所得者の風俗嬢に使っているわけだから、少なくとも格差を広げるようなことにはならないかもしれない。この手のことにはまったく明るくないので、深入りしない。ただ、男のお金の使い方には生産性が見られない。性欲が強すぎて毎日風俗に通わないと気が狂ってしまう、とかのほうがまだいいようにさえおもえる。男は、ほかに使いようがないからという、よくわからない理由で、深く考えずに10万円も出してしまうのである。このことと男のスカトロ趣味には、関係がある。もっといえば、空腹に耐えるのどかとも関係している。いや、関係しているようにおもえるので、それをいまから考えていこう。


まずしっかりとらえたいのは、スカトロ男のいう沖縄の体質である。男は沖縄の現状をじぶんと重ねニートといっしょだという。男は土地を米軍に貸すことで生計を立てている。米軍の基地問題については、いまのところ言及は見られないが、これについて重ねて論じることは可能だろう。しかし僕にはできないので、あくまで一般論的なレベルでこれをとらえていきたい。つまり、ごく当たり前に考えて、米軍の巨大な基地が未だに沖縄にある状況で、そしてそれが問題であると一般的にされているような状況で、しかし米軍が存在していることそれじたいによって収入を得ているものがおり、しかもそれが高額納税者で、仲間のいう「超格差社会」は、相対的にこの高所得者によって成立しているものだと、ここで告発されていると見ることが可能なのである。いつもいうように僕は経済については小学生以下の知識しかない素人なので、感覚的なものだけをたよりに考えていくと、格差社会は相対的にそうであるというところが問題であるとおもわれる。国民すべてが、いまの貧困層と同程度の所得だとすれば、それはただ国全体が貧乏であるというはなしで、格差社会とは呼ばれないだろう。この問題意識の底には、ほんらいなら、あるいは可能であるなら、貧困層に分配されてもよいであろう資源が、もういっぽうの富裕層に独占されているという、偏りの感覚なのである。

男は、高額納税者ではあるが、それにふさわしい生産をしているかというと、そういうことはない。むしろ、一般に問題とされている米軍基地問題になかばやむを得ず加担するかたちで富をなしている。男が「沖縄」を「ニート」とするのは、こうした意味においてである。「ニート」は、なにも生産しないが、親に依存することで、生計を立てることができる。しかし、「ニート」でいることそれじたいは、米軍基地問題と同様、一般的には社会問題となっている。男ばかりでなく、沖縄全体が、問題となっている米軍に依存するかたちで、その生計を立てているのである。この比喩でいえば、「親」というのは「米軍」のことだ。そして、「格差社会」という、資源の分配のアンバランスは、あるものたちが米軍に依存することによって生じている。もし仮に、米軍による収入が沖縄にいっさいなければ、同じ格差社会でもそれはもう少しちがったかたちをしていたかもしれない。というのは、男がこのように虚無的に金を垂れ流すのは、それが汗水たらして労働の結果に獲得したものではないからである。このことについて一方的に男を責めることはできない。最初から働かなくて良い選択肢が目の前にあったら、誰だってそれに飛びつくし、そうであるべき理屈を細かく立てていくことだろう。だから、そこからはなしをはじめてもしかたがない。ともかく、沖縄にはすでにそのような収入形態が広く根を張っている。金の使い道を思いつかない男は、それを貧困層である風俗嬢に払う。杏奈はたぶん相当稼いでいるとはおもうが、たとえばのどかはあのようにかなり窮しているわけである。格差社会といえば、ふつうは、その階層どうしの断絶のようなことが問題とされる。高所得者と低所得者では幼いころから受けている教育が変わってくるし、友達もちがえば通う学校もちがい、知り合うこともなく、さらにその溝は深まっていくという寸法である。けれども、東北における原発のような「ニート」的体質、つまりある排除すべき問題に依存せざるを得ない生活環境が生んだ「格差社会」は、おそらくそういうものではないのではないだろうか。

では、「沖縄」を「ニート」とする比喩の文脈において、風俗嬢とはなんだろうか。それが、おそらく、あの唐突に挿しこまれた「売っちゃいけないもの云々」のことばにかかっている。男は、米軍に土地を貸すだけで、なにも生産していない。すでにもっている、先祖から伝わる大切なものを明け渡すことで、沖縄経済を成すお金の循環の外部から金を受け取っているのである。これは、風俗嬢のことではないだろうか。杏奈やのどかも、ほんらいであれば大切なものとして隠匿される聖域を開示することで、つまりいまもっている身体そのものを少しずつ損なっていくことで、生計を立てているのである。

もし、たんじゅんに、この外部からのお金をもとに沖縄経済の循環が開始しているとすれば、そして沖縄にこの極端な二者しか存在しないと仮定すれば、お金は男の手から杏奈に流れ、それはプレイへと変換されたことになる。では男はそこになにを求めたか。それが排泄物である。フロイトでは、肛門期における幼児にとっての糞便は、彼がみずからのちから唯一することのできる「贈り物」である(子どもというのは、立派な糞便を排出できたことを自慢げに報告してくるものだ)。基本的に排出は快楽なので、ある種のものはこの時期からみずから便秘を選びとり、快楽をより大きなものとしようとするが、それは同時に、世話をしてくれるもの、つまり端的には愛する母親の望むタイミングで排泄をしないことを意味する。そうして、あるときから、愛するものの望みに応えるために、子どもはそれを制御することを学ぶ。





「さらにわたしたちは、みずからの糞便や排泄物の価値が引き下げられるとともに、肛門を源泉としていたこの欲動の関心が、贈物として与えることができる対象へと移行することを確認しました。それというのも、糞便は乳児が贈ることのできる最初の贈物であり、自分を世話してくれる人への愛情から、これを手放すのです。また言語の発達における語義の変動の場合と同じように、糞便への古い関心は、黄金と金銭の尊重へと転化します」光文社古典新訳文庫『人はなぜ戦争をするのか』所収「不安と欲動の生」228から229頁





ただ、ここでいうスカトロ趣味の糞便は、そこに金銭としての価値を見出しているというよりは、なにかこうウロボロス的な、あるいはスティーブン・キング的な、無人島に置き去りにされた人間がみずからの身体そのものを食べて消化していくような、グロテスクな消耗が感じられる。なぜなら、男の視点からすれば、風俗嬢と借地料で暮らすじぶんは等しいからである。労働があり、生産があり、消費があるという、ごく当たり前の経済活動ではない、「ニート」的な金銭の循環が、不労所得を風俗嬢の排泄物に変えて取り戻すという状況に読み換えられているのである。


こうしてみれば、等しくスカトロ的循環のなかにいるのどかが、労働への給与ではないという意味では同様に外部から受け取ったものである1000円を食事に使わなかったことには、やはり沖縄の陥りつつある構造への抵抗を見ることができる。少なくとものどかは、それをじぶんのためだけには使わなかった。空腹は生産云々以前に万全の状態から欠けているので、またはなしは異なるだろうが、のどかの意識としては、航平という弱者を助けなくてはならないという母親の意識がある。いまこの1000円を使ってごはんを食べても、現実的にはこの日一日のエネルギーとなるわけだが、微視的にみれば、ただ欠落が満たされ、非生産的なスカトロ的循環に組み込まれるだけである。しかしここで少し我慢してハンバーグをつくれば、航平は喜ぶのである。そしてそのことこそがのどかには重要なことなのだ。







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