今週の闇金ウシジマくん/第395話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第395話/逃亡者くん⑦






マサルが新城を調べさせている丸メガネの探偵と会って結果を聞いている。新城はのどかの夫で、のどかはもう別れたつもりでいるが、まだ離婚は成立していないみたいで、新城はずかずか実家にあがりこんでのどかに暴力をふるい、金をせびっている。マサルもそのことは知っている。そんなのどかを救いたい。そうしたわけで、それなりに使えるらしい探偵をつかって、とりあえず新城のことを調べているのだ。

新城は一日中パチンコ屋に入り浸って、夜になるとキャバクラと居酒屋をハシゴして朝まで飲んでいるという。金があるようなのだが、しかし同時に借金もある。後輩を保証人にして、事業資金や車のローンなどが1000万くらいあるらしい。その後輩というのが、金城なのであった。あとにセリフがあるのだが、新城はのどかの4つ上である。36巻を見ると、金城がのどかのことを20歳といっているセリフがあるので、とすると金城は24歳ということになる。それもなかなか驚きだが、もっと衝撃的なのは金城である。後輩というのが学校の関係だとすると、たぶんひとつかふたつ下なのだろう。だとすると金城は22か23ということになる。いやいや、30代半ばかとおもってたよ・・・。闇金の社長はみんな老け顔なのだろうか。

それはいいとして、なんだかややこしくなってきたぞ。あとで整理しないと・・・。


今度はのどかと公園で待ち合わせだ。飲みにいく約束をしたらしい。普段のどかが飲んでいるという、居酒屋に向かいながら、マサルが前の旦那について訊ねる。のどかは新城と別れたつもりでいるから、のどか的にはもう旦那ではないのだ。

新城をひとことでまとめると、「暴力をふるうしだらしないひと」ということで片付くようだ。なぜそんな男と、といわれても、なんとなくとしかいえない。ほかにいい人もいなかったと。知り合ったのが14歳のときで、新城は18歳だったから、不良がかっこよく見えたというのもある。ゴムをつけてくれないから15のときに妊娠してしまい、そのときは堕胎したそうだ。ぱっと見清楚なのだけど、なかなかの人生だな。セックスから妊娠、出産、子育てにいたるまでの性にかんする認識については、けっこう独特なものがあるようだ。マサルは聞きたくないはなしだが、状況を飲みこむためには必要なことだ。我慢してはなしを続ける。

新城は以降完全にダメ男に転落していく。パチスロに打ち込みすぎて高校を中退、祖父が免許をとれと寄越した30万もパチスロにつかってしまう真性である。二十歳になった瞬間に消費者金融3社から借金、パチスロには金を惜しまず、天生翔ばりの30万のパチスロ教材なんかも買ったりしていたという。しかし勝てない。やったことないからわからないけど、やはりパチスロにも実力というものはあるのだろうか。しかし生きていくのにお金は必要だから、やむを得ずキャッチの仕事をはじめたりした。昼夜逆転し、どんどん乱暴になっていったと。「弱い人なんです」とのどかはいう。じぶんはともかくとしても、新城の親もかわいそうだ。自宅を保育所にしていたがあまり稼げず、ずっと貧乏だったらしい。シングルマザーで、のどかの家系も似たようなものだという。




「沖縄はシングルマザー多いンですよ・・・


女が働き者ってのもありますが、親もそうだから、みんなシングルになれる・・・


一人じゃ無いから」




そんな状況でも、基本的にはみんなポジティブ、貧乏でも気にしない。なぜかといわれても、沖縄だからかなとしか、のどかにもわからないのであった。


別の場所、どこかの海辺にはだしで立っている丑嶋が電話をしている。今回はセリフが多いなぁ・・・。

電話の相手は戌亥である。これは・・・わかりにくいというか、わからないのだが、戌亥も沖縄にいるということだろうか?戌亥は国際通りのホテルをあたって「該当者」を探っているらしい。国際通りを調べると、那覇の繁華街らしい。このいいかたからしても、さすがに東京から電話で調べてるっていうのはおかしいし、やはり戌亥も沖縄にいるのだ。だが、互いの場所は知らない。万が一のとき、知らないほうがよいからだ。おそらくビジネスとして、また先輩後輩のような関係として、戌亥は滑皮ともつきあいがある。滑皮に丑嶋の居場所を聞かれたとき、もし知っていたら、戌亥は応えることになるだろう。いまの時点でも、聞かれたら、沖縄にいるらしいくらいのことはいってしまうのではないだろうか。

戌亥がなにをしているかというと、もちろんマサルを探しているのである。マサルと戌亥は、たぶんはなしたこともない。あったとしても、互いに顔を知っているというくらいだろう。以前、ハブといっしょにいるマサルの写真を呈示したときも、戌亥の言い方は微妙だった。

手掛かりは高田との会話しかない。マサルは沖縄で水商売をやろうと高田を誘ったことがあるのだ。そうでなくても、沖縄は本作において逃亡者の聖地である。丑嶋には「たぶん沖縄だろう」という考えがあったにちがいない。そこに、高田との会話の件が情報として加わり、まちがいないと断定したのだろう。戌亥によれば、水商売といえば那覇なのだそうだ。そういうわけで、とりあえず国際通りからあたっていっているということなのだろう。本当は、内地のヤクザから沖縄のヤクザに連絡をとってもらって探せばいちばん早いのだが、いまの丑嶋はどのような形であってもヤクザとかかわるのは危険である。それで、戌亥が直接歩いて探し回っているのだ。

しかし、そもそも水商売なのだろうか。丑嶋は正しく、マサルは金融しかできない、こっちでもやってるんじゃないかと言い当てる。事実、マサルは今日も、丑嶋流の「1円たりともおまけしない」キッチリとした取立てを続けているのだった。




つづく。




ようやく戌亥が出てきた。丑嶋は大きな動きができないから、ここは戌亥にがんばってもらうほかない。まだはっきりとした描写はないが、丑嶋を運んでいたのが新城だとすると、マサルも新城を調べる過程で丑嶋を発見するはずである。丸メガネの探偵も有能っぽいので、調査の過程でそうなるのではないかとおもわれたのだが、とりあえず今回の調査結果に丑嶋はあらわれなかった。あと一日でも戌亥の行動が遅ければわからなかったが、戌亥もある意味超人である。どうやればそんなことがわかるのかというような情報をあっさりもってくる男だ。これで、どちらが先に相手を見つけるかわからなくなってしまった。


さて、今回は金城の年齢がいちばんの衝撃だったが、同時になんだかややこしいことになってきた。一瞬、金城が金を返済したとかいう先輩というのが新城なのかともおもったが、こちらは金融で、のどかは金融のはなしはしていない。たぶん、別の先輩なのだろう。ちなみに、ここを読み返してみると、ヤクザに脅されて窃盗をして少年院に入り、出たのが22歳となっている。そして、2年間がんばって300万つくったのを先輩は知ってるから、いまは仲直りした、ということだから、少なくとも金城は24歳以上ということになる。としたら、早生まれとかの誤差を含めて、新城が25、金城が24、のどかが20、ということになるだろうか。

で、新城は金城の先輩で、金城はいろいろ保証人をやらされている。そんな金城は、高良栄子の借金を回収するにあたって、娘ののどかを高級ソープに売ろうとしている。ふつうに考えて、金城は、のどかが新城の戸籍上の嫁だということを知っているとおもうのだけど、そういうことして、大丈夫なんだろうか。とりあえず、売るにしても、新城を通してそういうことをしないと、面倒くさいことになりそう。

金城は保証人になっているから、新城が逃げ出したら、1000万の借金は金城のものになってしまう。そうしたら、なおさら彼は仕事に精を出さねばならなくなり、それはのどかを高級ソープに売ることと間接的につながっている。新城ってなんか、見た目以上にとんでもないやつだな。あらゆる方法でのどかを苦しめにかかっているわけなのだ。そりゃあんなふうにいわれちゃうよね。


沖縄はシングルマザーが多いというはなしだ。のどかは、みずからそう説明するように、沖縄女性らしくポジティブに、代々そうだから、ひとりじゃないから、シングルになれるというが、それは逆にいえば、困難な道のりを当たり前のことだととらえて常識として内面化してしまう危険性も含んでいる。代々そうだからと肯定していては、シングルマザーが減ることはありえない。本来は、夫婦で協力して家庭を守っていくのが望ましいところ、「そういうものだ」という認識がハードルをさげて、行動を安易にしてしまう可能性もあるのだ。じっさい、のどか独特の、のんびりした、なんというか「与し易し」の雰囲気は、そういう理由があるとおもわれる。しかしのどかの言い方は、そういう「無意識」を含んだものとしては表現されていないように見える。要するに、沖縄ではなかば常識化されてしまっているシングルマザーという形態が、彼女たちの感覚をマヒさせてしまっている、というようなありがちな問題意識は、どうもここにはないように見える。それはたぶん別の問題なのだ。ではなんなのかというと、それはおそらく見たままのことで、のどかは、シングルマザーに「なってしまった」のではなく、代々そうだから、シングルマザーになれる、つまり「なる」のである。そう言い聞かせているというぶぶんはたしかにあるだろう。現実にそれしかないとしたら、安心できる材料を探すのは人間としてふつうのことかもしれない。だが、そうしたこと加えて、どこか意志的なものも感じられるのである。

一般論として、家族といえば、父と母がいて、あいだに子どもがおり、夫婦が協力して子育てをしていくことになる。だから、そうした模範形を想定したあとでは、シングルマザーという形態はそこから脱落したものとなる。しかし、これは一種のファシズムかもしれない。たとえばからだの状態について考えたとき、「健康な状態」というものを明文化して定義することは公的機関の仕事ではあっても、客観的な真理ではない。当たり前に想定される「健康体」であってさえ、実はひとそれぞれである。本来、身体の不調は、自分自身に問いかける過程において判明することであって、みずからの身体や精神を模範型にあてがって、そのズレから不調を算出する、というふうにすることが必ずしも有意義であるとは限らない。身体を分厚い筋肉で覆われた男が健康診断で肥満と判定されることなどよくあるのである。

ごく素朴に、一般論を採用すれば、シングルマザーが通常の(といういいかたがファシズム的であるわけである)家族と比べてなにかと不自由であることはまちがいないとおもわれる。しかしのどかは、そして沖縄の女性はそうはとらえない。本来あるべき家族の姿からなにかが欠け落ちて、それの劣化したものとして「シングルマザー」という形態があるのではなく、まったく別のものとして、あたかも選択肢であるかのように、のどかはポジティブにそれを読み換えるのである。

そして、その発想を支える下地となるのが、「代々そうである」、つまり、そうした状況のものはじぶんだけではないという環境だった。これも、やはり「思い込み」ととらえることはそう難しくない。みんなそうだから、借金してても別にへんなことはない、という債務者を、わたしたち読者はこれまでいやというほど見てきたのである。しかし、おそらくそういうことではない。シングルであることが、ここではネガティブな響きをしていない。それどころか、シングルになることではじめて属することのできるコミュニティがあるかのようにさえ見えるのである。


シングルマザーは転落するものではなく、意志をもってなるものである。そういうことだと仮にして、これまで読み方を継いでいくとするなら、それは東京的な「食う/食われる」の構造からの距離感であるとおもわれる。マサルがのどかに見出し、結果恋心へと接続していった彼女の母性は、弱いものに対するまなざしから発生しているものだ。具体的には彼女の子ども好きというところからきているだろう。今回、のどかが若いときに堕胎をしていることも判明した。15歳といえば、いくら女の子のほうが男の子より精神年齢が高いといったって、実質まだ「子ども」であり、弱者である。選択肢は限られている。これも一般論だが、弱者が、弱者を守ろうとすることで強者になるということはたしかにあり得る。親というものは、子どもの存在に規定されてそのようになる。いまだかつて子どもの存在したことのない「親」という状況はありえない。人間は、子どもの存在によって、はじめて親になるのである。しかし、とはいいつつも、15歳というのは微妙な年だ。のどかの中にも、現在の弱者に対する「よしよし」の目線の萌芽のようなものは、すでにあったかもしれない。そうして、堕胎の経験をすることで、おそらくのどかの母性はより強力なものとなったのだろう。

そして、その母性は、沖縄人的特性としての「ゆいまーる」という心性のミクロの発現にあたるだろう。マサルがのどかの母性に触れて、守られ、そのことによって、これをむしろ守りたいと考えるのは、要はそうした人間的接触が東京では考えられなかったからである。のどかにとってはまあ仕事に過ぎず、語弊があるかもしれないが15歳で堕胎というある種の「ゆるさ」が、たんにそうさせただけかもしれないが、少なくともマサルはそのことで救われた。東京ではありえない、弱者を守ろうとするふるまい、これに触れることで、マサルじしんも感化され、のどかという弱者を守ろうと決意したわけである。なにから守るのかというと、毎週毎週くどいようだが、東京からの侵食である。「ゆいまーる」という呼称を、沖縄人じしんが好んでくちにすることからもどことなくそれがわかる。ゆいまーるは、もはや、誰にもある、名づけることのできない、また誰も名づけようと考えることすらない共通の思考法ではなく、「特殊」なありようなのである。

東京/沖縄の対比を自然状態/ゆいまーるの構造上の対比としてみたとき、ゆいまーるはどのように機能していくだろう。何度かみたが、相互に助け合うというありようは、助け合わないというありように勝つことができない。ゆいまーる的ありようは、総員がそれを内面化するなり、あるいは文明的に容れるなりしてはじめて機能が意味を宿す。誰も彼もが殺し合うなかでひとりだけ聖人になっても(竹本)、のちのちの影響はともかく、短期的にみたときに結果を出すことは難しい。そして、他者との協力のうちに、人為的に発生するこうした精神は、目の前のヤクザのおそろしさをくつがえすものではない。歴史を振り返れば、幾人かの聖人たちがひとりでこれに立ち向かい、世界を変えていったこともあったかもしれない。けれども、ミクロの視点で見たとき、わたしたちの良心は目の前の肉蝮のおそろしい顔貌を克服することはできない。そんななかで残った名づけられる以前の、つまり、東京の侵食によって相対化される以前の「原ゆいまーる」的ありようが選ぶ逃げ道が、シングルマザーのコミュニティなのではないかと考えられるのである。代々そうであるからポジティブでいられるというのは、現実的には危うい思考法である。しかしそれしかない。そして、そこにはまだ原的な姿のゆいまーるが生きているのである。

シングルマザーの歴史的コミュニティがなぜゆいまーるを保存することになるかというと、事実はともかくとして、本編では沖縄の男性がかなり悪く書かれている。沖縄を侵食しつつある東京流の象徴となるのが男性なのだ。だから、厳密にいえば、そのコミュニティにいけばまだゆいまーるが残っている、というのは正しくない。そうではなくて、男性的なものから切り離され、東京的なものから距離をとり、ただ弱者を守り育てるというふるまいに徹底したときにだけ、ゆいまーるは起動するのである。






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