第97話/生殺与奪
ジャックの猛烈なラッシュは、勇次郎から逃れ、バキの背後をとった煙幕玉をつかってもとまらなかった。そもそも、ジャックは玉が投げられ、煙が発生したことさえ気づかなかったのだ。
そのことで本部は気持ちを切り替える。ほんとの本気の実戦モードである。手裏剣を複数投げつけ、防御をしたジャックの足に鎖をかけて転がしたのだ。
まだ倒れた状態か、ジャックはとりあえずからだにささった手裏剣を抜く。手などにささったものは倒れた衝撃で落ちたようだ。歯がないので、アゴを食いしばるとくしゃおじさんみたいになるのだが・・・こんな、下あごで鼻が隠れるくらいにまでつぶれるもんなんだろうか。
その間、先端の分銅を回収した本部が次の攻撃を仕掛ける。ジャックが完全に立ち直るのを待つ理由はない。分銅が眉間を直撃し、血がふきでる。木刀とはまたちがった攻撃で、常人なら致命傷になるような一撃かもしれない。ジャックもこれはかなりこたえたようだ。
次の一撃は右頬をえぐるような攻撃だ。歯がないぶん、逆に歯へのダメージはないわけだが、どうだろう、食いしばれないわけだから、脳へのダメージが深刻だったりするのかもしれない。
攻撃を受けながらも立ち上がりつつあるジャックが無理に笑みを浮かべている。ダメージは隠せない。瞳が揺れて、全身が震えている。アライジュニアとたたかったときも、膝にきていた瞬間があったが、なぜか乗り切ってしまったことがあった。そういう精神性みたいなものがジャックにはあった。しかし、片足が利かず、食いしばる歯もなく、からだのいたるところから出血している状況で、その精神を支え、実現させる肉体が万全ではなく、それもできないようだ。
不用意に差し出されているジャックの右手を本部がとり、鮮やかな背負い投げる。ジャックはもう、からだのあっちこっちが痛くて、集中力に欠けている状態なのかもしれない。本部は倒れたジャックをちゃっちゃと裏返し、脇固めみたいな体勢で固定する。膝で肘のあたりをおさえているから動けないんだろうか、ジャックはなにもできないままでおり、本部は上着を開いて、さまざまな道具のなかから縄を取り出す。武蔵に続き、ガイアにたいしたときにも本部が見せていた縛法である。じっさいに実戦でこれが使われたとき、どのくらいの速度で行われるものかわからないが、ともかく、ジャックはあっさり結ばれてしまう。両手が背中で固定され、そこから伸びた縄が首に引っかかっているので、力任せに腕を動かすと首が絞まる仕組みである。じっさいに首がしまってしまわない程度に、それでいて腕の自由がほぼない程度の強さで縛るには、かなりの技量が必要だろう。こういうのってじっさいにひとを縛ってみないと身につかない技術だとおもうんだけど、本部はどうやって練習してきたんだろう。
呆然として、倒れたままでいるほかないジャックに、本部は勇次郎のことばを聞かせる。決着の際の頭の位置、標高の上なものが勝者であるという、勝敗の定義である。座り込んでも、地面にアゴをつけるジャックよりまだ本部のほうが頭は上にある。この意味では本部が勝利者である。しかし、本部の見解は異なるという。勝敗についてではなく、その定義についての見解である。
「生殺与奪
殺すも自由 生かすも自由
生殺与奪の権を
先に手にした者
それが動かぬ勝利者だ
議論する気はねぇ
―――が
必ずお前は守護る・・・!」
そういい残し、本部は去っていくのであった・・・。
それとは別の日、別のはなしだ。去年の暮れあたりから出始めた噂で、神田川の鯉が姿を消したというのである。原因はある生物にあった。ひとびとが川にかかった橋のうえからその生物の影を視認する。船よりでかい、四本足の巨大ななにかなのであった。
つづく。
これは、ワニだろうか。15メートルくらいあるのかな。とりあえず魚ではないっぽいから、やはり空気で呼吸するのかな。一般人の飼っていたワニが逃げ出したか、あるいは育て切れなくて捨てられたかして、神田川の鯉を餌にして異常成長したとか、そんなところだろう。
脈絡なくこんなはなしが挿入されるわけもなく、もちろん、次のはなしにつながっているはずである。最初に思いつくのはやはりピクルである。巨大生物といえばピクルだし、ほとんどの強キャラが出尽くしたいま、あと出ていないのはピクルとオリバくらいというのもある。巨大生物はいまのところなんなのかわかっていないようである。鯉がいなくなった以上、この生物は鯉を食べていたとおもわれるのだが、いなくなったということは、食うものがなくなったということである。としたら、川からあがってひとを襲いはじめるかもしれない。もしこの凶悪な生物を「退治」するというのであれば、ほかのキャラの出番の可能性もある。でも、たがいに捕食を目的とするという点で、この生物が川の外に出るという行動が、ピクルを呼び込む可能性も高い。じぶんみたいに捕食を目的にたたかうものが、現代にはいないのだ。しかし相手も捕食が目的なのであれば、バキたちとのたたかいで芽生えたかもしれないどのような遠慮もいらない。ピクルは誰よりもはやく、このことに反応するのではないか。
意地悪な見方をすれば、技術よりとりあえずパワーを優先させるという意味で、ピクルはジャックやオリバに近いものがあるにはある。けれども、たんなる量的な、ジャックの相似形ではないところも、同時にピクルにはある。勇次郎やバキと同じ枠に入れる唯一のキャラ、という感じがあるのである。なによりあの立体的な、防御と攻撃を兼ねたような超スピードのステップだ。作中で具体的に説明はなかったが、あれは、身長が極端に異なる恐竜を相手にしてきたピクルならではの動きと考えられる。ふつうに地面に突っ立っているだけでは、恐竜の足や、目の前の顔しか攻撃できない。木や岩を足場にして、立体的に攻めることができないと、ただでさえあらゆる点で劣るのに、恐竜に勝つなんてことはとてもできないのだ。ジャック以上のパワーと耐久力を持ちながら、この動きができるのはかなりの強みである。たんに攻撃するだけなら、武蔵はよけてしまうだろうけど、とりあえず致命傷を負うことはなさそうな感じがする。
ジャックは本部に完璧に負けてしまった。ふと思い出したのだが、このたたかいの最初でジャックは、じぶんを競技者として規定していた。これはおそらく相対的な表現だったろうとおもわれる。素手の試合で、素手であるというだけで、つまりルールブックに記されていないというだけで、特に否定も肯定もされていなかった噛みつきを敢行し、たたかうもののことごとくに致命傷を負わせ、また死刑囚がたくさん来日したときも、烈と並んで圧倒的な強さを見せていたジャックを競技者と呼ぶことには、じっさいかなり抵抗がある。が、これは、ジャックの自己認識なのである。じっさいにたたかいがはじまれば、競技者であろうと戦士であろうとかんけいない。いずれにせよ、本部はホンモノの戦士であるようだ。そして、それに比べたら、じぶんはたしかに競技者かもしれないと、そういうことを認めた発言だったのだ。
こういうことを思い出したのは、ジャックが今回おくすりを使用しなかったことに気づいたからである。まあ、日常的な服用はしているだろうし、だいたい使ったところでどうなるというものでもないだろうけど、ピクル戦でのあの、マックシング反応が、今回はなかったわけである。というのは、最大トーナメントでジャックは、歯に糸をしばりつけて、おくすりが胃に落ちるぎりぎりのところで固定し、試合中にピークがくるようにコントロールして、タイミングを見て糸を切って飲むということをしていたわけだが、これは実は、大会に最高のコンディションをもってくる競技者的発想だったわけである。今回の本部戦はいつ、どこでたたかうか決まっていたわけだが、ほんとうの実戦ではそれさえも決まっていない。あのくすりがどのくらいの時間で効きはじめるのかわからないが、つねにそれを食道にぶらさげたままでは食事も難しいだろうし、やはりここぞというときにそういう使い方をするのが正しいのだろう。しかしジャックはそれをしなかった。意味がないと考えたか、もうそういうやりかたはしてないのか、はっきりしたことはわからないが、ここにジャックらしい葛藤を見れないこともない。もし彼が、競技者に徹底して、時間と場所が決まっているのをいいことに、「実戦」という名のこの試合に肉体のピークをもってこれるよう、最初から仕込んでいたら、結果も少しは変わっていたかもしれない。でも、そうしなかった。というのは、すんなりじぶんが競技者であることを認めたことから考えて、たぶんジャックのなかで葛藤があったからではないかとおもわれるのである。いまから行うことは、試合っぽいけど、戦士を相手にした実戦なのであり、そうした現場では、なるべく競技者的に有利な方法はひかえたほうがいいかもしれないと、たぶんそんなふうに考えて、糸をつかった例のやつとか、あるいは直前に注射をいっぱいうったりとかをやらなかったのである。でも、本部だって、噛みつき対策のあの上着を昔から着ていたわけではないのだし、このたたかいに向けて準備をしていたわけである。もし彼がそういう理由で、競技者的行動をとらなかったのだとしたら、それは失敗だったと考えられる。今回はいろいろな意味で本部が上手だったといわざるを得ないのである。
今回は勝敗の定義について、もうひとつ明確なものがあげられることになった。勇次郎の「頭の高さ」も、非常にわかりやすく、また全人類をみずからに含むものとしての勇次郎の傲慢さがあらわれたものとして象徴的だったが、本部は「生殺与奪の権」をあげる。相手を生かすも殺すも、そのひとの判断に全面的に任せられる、そのような状況になったとき、彼は勝利者だということである。「権」はふつうに漢字だからともかくとして、「権利」というとき、これはrightの訳語として使われ、ふつう、法的なものが「与える」力という意味をもつ。構図的には、それまでそれをもっていなかったものが、なんらかの契機により強いものからそれを授かるのである。法的なものといっても憲法典的な意味での逐語的な法律に限らず、その場を支配するパワーのようなものと考えればよいだろうか。ここでいえば、本部に「権」を与えるのはまずジャックである。なぜなら、本部がそのパワーを持つことを妨害していたのがジャックだからだ。ふつうはここにじっさいの法的機関がからんでくるとおもうが、今回の観客はこれを撮影だと考えていて、止めたり邪魔したりするものはいなかったし、幸いというかなんというか、通報もされなかった。そう考えると、本部が完全な勝利者になるためには、第三者の邪魔がないことも重要になる。たとえば、ちょうど縛りきる直前くらいに警察がきて、たたかいが中断になったら、いくらジャックが完全に無抵抗でいても、本部は勝利者にはなれなかった。生殺与奪の権を握る状況が、その時点では完成していないからである。となれば、この「権」は、たまたまであれ、あるいは光成からの圧力があったものであれ、じっさいの警察などからの機関からの賦与も必要とすることになる。たとえば、むしろここが試合場であるなら、法律が機能しない架空の状況を考えることができるので、ジャックを縛りきった瞬間に本部に勝利は確定する。しかし現実の野外での闘争では、なにがあるかはわからない。そう考えれば、なんでもないことのようだが、実戦派である本部がこれを達成するのはかなり困難なことであるだろうとおもわれる。
構造としては、当のジャックが、本部に「権」をわたすことになるが、もちろんそれを「認める」ということではない。「認めない」というしぐさが不可能になった瞬間に、原理としてそれは「認める」ものになるのだというおはなしである。「生殺与奪の権」を獲得しようともがく本部に抵抗する唯一の人物がジャックであり、であるから、ジャックがこれに抵抗できなくなったときこれは可能になるのであり、結果としてジャックじしんがその権利を本部にわたすことになるのである。これは、「奪う」ものではない。こうして縛られたジャックの前に、本部でも逆らえない師匠とかがいっしょにいたとして、これがその権をもっているとき、本部がこの師匠を殺せば、ジャックについての「生殺与奪の権」を本部は師匠から奪うことになる。しかし、その状況であっても、もともとのその権は、たとえばその師匠がジャックから奪ったものではない。じぶんの命をどうしようが勝手である、というような意味合いでいえば、ジャックについての生殺与奪の権は常にジャックがもっていることになるが、もしそういう意味合いをも含むとすれば、本部はジャックの「死ぬ権利」も奪う必要が出てくる。具体的には、舌をかんだり(かめないけど)、はなしを長引かせて出血多量をねらったりというような方法もすべて遮断する必要がある。しかしこうした考えはいくらなんでも現実的ではない。したがって、この権利はジャックにはないものと考えられる。とするなら、これはやはり奪ったものではない。この場、この状況になってはじめて発生したものなのである。
たとえばバキとピクルのたたかいはどう解釈できるだろう。技術で圧倒しながらなぜかちからの勝負に出たバキだったが、追い詰められたピクルはどこかの過程で覚えた技術を使用し、バキを気絶させた。しかしピクルは戦意喪失している状態だった。この権利は、最初から、二者の関係のなかに内在していて、奪い取られるようなものではない。両者の意志の先に、抵抗するものがいなくなったときに「発生」するものだ。もしこれが物体のようにバキのなかに潜んでいる権利で、気絶することによってピクルに奪われるのだとしたら、これはピクルの勝利である。けれども、いま見たように、もしバキのなかにその権利があって、それを奪おうとしたら、生きる自由以外に死ぬ自由もきれいに奪いとらねばならない。これは現実的ではない。とするなら、この権利が成立するためには、それを獲得しようとする意志と、それの抵抗のいっさいが失われることが同時に成立しなくてはならない。ふたり仲良くならんで寝ている夫婦の、ふと目を覚ました夫のほうが、妻にかんしての「生殺与奪の権」を握っている、とはふつういわない。そんな意志はないからである。それがほしいと意欲しないかぎり、それは生まれてこない。そうした意味では、バキとピクルの勝負は本部的にはまだ決着がついていない。権利を獲得できるチャンスに、ピクルは背を向けてしまっているのだから。
いちいち勇次郎の勝敗観をあげてから述べているのだから、本部にもなにか考えがあるとおもわれる。ここで重要なのは、生殺における「生」のほうだろう。じっさいには、本部と勇次郎には、おそらくたいしたちがいはない。勇次郎の言い方は、要するに、相手をひれ伏させることができればそれで勝ち、くらいの、深い意味のないこたえと考えられる。あたまがじぶんより低いというのは、倒れているとか、技が決まっているとか、いろいろ状況が考えられるが、それでも、ほとんどの場合それは「生殺与奪の権」を勇次郎が握っている状態と考えてよいだろう。ちがうのはそれをどうとらえるかである。勇次郎は、それを「殺すことができる」ととらえる。しかし本部は「生かすこともできる」と考える。そのちがいだ。とりわけ、いまの本部の主務はみんなを守ることだ。本部は、積極的に「生殺与奪の権」を獲得しにいくことで、彼らを生かそうとしているのである。
こういう展開しかなかっただろうなとはおもうが、しかしこれは本部にはけっこうな戦果かもしれない。相手がジャックだったからだ。ジャックはもちろん強者のひとりだが、それ以上になにをやられてもあきらめない男である。たぶん、そのことはみんな知っている。それを、じっさいにはただ縛っただけだが、結果として五体満足で、強制的に同意をとりつけるかたちで、制圧し、五体満足で帰ってきたのである。前回考えたところでは、本部の守護はいま第2段階にある。みんなを守ると決め、そう宣言しても、そもそも誰も守ってほしいなんておもっていないし、本部への信頼もない。それは、本部からいわせれば、「わかってない」ということにほかならないわけだが、だからこそ、本部はじぶんの強さをバキたちにわからせる必要を感じたわけである。それが第2段階だ。結果どうなるかわからないが、武蔵とたたかって死ぬよりはましだろうという考えが、烈戦をふまえたうえで芽生えたというのもあるだろう。彼らが説得に応じないのは、本部の強さを知らないからだ。だとしたら、次にすべきことは、じぶんの強さを見せることだ。たぶんそんな思考法で、本部は行動に出始めたのである。そして、その抵抗の最初の相手がジャックであり、それを制圧したことで、この目的はおそらくほぼ果たされただろう。ジャックのその強さゆえではなく、その根気、あきらめの悪さゆえ、である。いってみれば、「もっとも説得に応じにくい人物」がジャックだったわけである。そして今回、本部はそれを「説得」した。その効果は絶大だろう。ただ、もし次にピクルが出てきたら、本部も困っちゃうだろうな・・・。なにしろ言葉が通じないし・・・。
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