NHK100分de名著 オイディプス王 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

ソポクレス『オイディプス王』 2015年6月 (100分 de 名著)/NHK出版
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NHKの100分de名著は、取り扱う作品や番組を任せる講師のチョイスにセンスが感じられて、見たことはないんだけど、書店員としてテキストを販売しつつ、気になる番組だった。今回は、読んだばかり(というほど最近でもないけど)で、それ以前からもずっとフロイトなどを通して重要な作品として考えてきた『オイディプス王』であって、講師も島田雅彦という、よくわからない、逆にいえばどういう内容になるのか楽しみな組み合わせでもあったので、ついにテキストを買ってみた次第である(番組は見ていない)


折りしも宝塚歌劇団では夏に『オイディプス王』のバウホール公演が決まっていた。バウホールというのは、組をいれかえることで穴をあけることなく年間通して行われる本公演とはまた別の、選抜メンバーによる公演を行う小劇場である。本公演と本公演のあいだのある時期に、組メンバーがたとえばトップスターのディナーショーとか、全国ツアー組とか、このバウホール組とかにわかれることになるのである。今回は専科公演となっており、そこに若干の月組生が混じることになるようだ。いちおう説明しておくと、専科というのはどこの組にも属さない、おもに各組組長以上の学年のベテランが属する専門家集団のことであって、いろんな公演にいろんなかたちで参加することになる。僕が子供のころのイメージだと専科というとほんと最上級生ばかりという感じだったが、ちょうど宝塚を観ていなかったころ、新専科制度というよくわからない企てが立ち上がったことがあり、ときの2番手が全員専科に異動するという、デモ行進が起こらなかっただけマシとおもわれるようなこともあったようだ。2番手のファンとしては「もうすぐトップになれるかも」という期待を胸に劇場に足を運んでいるわけで、そこからトップとしてもどっていったひともいるようだけど、印象としては「飛ばされた感」がぬぐえないわけである。

そうした企てがいまもあるわけではないとおもうが、現状、いまの専科もまた僕がむかし知っていた専科ではなくなりつつある。ひとつには専科の頂上になにかこうトップ・オブ・トップみたいな風情で轟悠というひとがたたずんでいるのがあるだろう。すでにいちどトップスターとして務めを果たしてから専科に移ったという異例のポジションにあるのである。このひとはいまでも現役とかわらない輝きと技能をもっていて、そのたたずまいはもはや神仏の類に近く、こうした「専科公演」みたいなことをイロモノとしてではなく通常の枠組みのなかで行うことができるのである。さらに、星組の柚希礼音のあとを継いだのが北翔海莉であるのだが、このひともついこないだまで専科に属して多忙な日々を過ごしていた、技術的には現役トップクラスのタカラジェンヌである。ほかにわれらが華形ひかるや沙央くらま、星条海斗といった、ふつうにかっこよくて、うまくて、ファンもたくさんいて、まだまだ現役生としてやっていけるであろう学年のひとが専科に移るなんてことが頻繁に起こるようにもなっている。そうしたひとたちのファンとしては、このまま在団していてもどうやら「トップ」という感じではないっぽい・・・、ということはどこかで理解していたりもする。が、そのいっぽうで「もしかしたら」と、考えずにはいられない面もある。そうしたところで専科異動というのは、トップとして返り咲きという事例があったとしても、若干のガッカリ感は否めないわけである。わけであるが、それはそれとして、僕のばあいでは華形さんにどうしても感情移入してしまうわけだが、専科に異動することであらわれるよい面ということもある。たとえばこないだの星組風と共に去りぬのアシュレとか、ずっと花組にいてもたぶんなかったとおもうのである。身もふたもないが、一長一短なのである。


はなしがずれたが、その専科における轟悠をはじめとしたメンバーと、凪七瑠海などの月組生によるオイディプス王が行われるということである。いまはじめて配役を見たが、華形さんはクレオンを演じるらしい。神託によってライオス王に捨てられた赤子のオイディプスは、じぶんの出自を知らないまま成長し、じしんもまた神託をうけて(実は義理の)父母のもとを去り、そのあとで父であるライオス王を(やはり事情を知らないまま)諍いのあと殺してしまう。そして、じぶんとしては外国人のつもりで故郷のテバイにやってきて、スフィンクスの呪いを解いて空位の王座につき、母であるイオカステと互いに正体を知らぬまま結婚してしまう。クレオンはそのイオカステの弟、血縁的には叔父にあたり、真実を知る前の認識では義弟ということになる。そのイオカステは男役の凪七瑠海がやるようである。

今回このテキストを読んではじめて知ったが、ソポクレスのオイディプスには続編があり、目をつぶして放浪の旅の果てに悟りをひらくオイディプスを描いた『コロノスのオイディプス』というものがそれらしい。その時点ではテバイではクレオンとオイディプスの息子たちによる王位をめぐる争いがはじまっており、そうした野心もクレオンにはあることだろう。というか、ことがことだけに、これは役者の解釈力が問われる公演となるかもしれない。だって、ほとんどのひとは、知らずに近親相姦してしまったなんてことはないわけだし、それに似た経験もありえないし、それが目の前で暴露されたりという経験もないのだから。いきなり目の前でそんなはなしがはじまって、僕だったらいったいどんな顔をするだろう。

まあ、僕は8月が一年でいちばんいそがしいので、まずまちがいなく見にいけないとおもうので、DVDを待つことになるとおもう。出るよね?


さて、もはやなんのカテゴリの記事だかわからなくなってきたが、やはり非常に勉強になる一冊だった。島田雅彦によれば、父殺し、近親相姦、自分探し、貴種流離譚やファミリーロマンスにも通じる捨て子の物語などの文学的要素がもりだくさんであり、「起承転結」などの、物語を構築する基本中の基本がはじまったのもここであるということだ。映画や小説や舞台で、わたしたちが当たり前に目にする物語、作り手としてももはやそこまで厳密に意識はしていないであろう、ほぼ内面化されているといっても過言ではない構成の基本が最初に立ち上がったのが、本作だというのである。

人物関係や地図などもわかりやすく提示されており、もともとそんなに複雑なはなしではないのだが、さまざまなテーマが入り乱れているぶん、深く読み込もうとおもったら細かなことがしっかり理解できていなければならないわけで、その意味でも大きな手助けになる。読んでいた当時もおもったことだが、オイディプスはほんとうにいろいろな読み方のできる作品である。表層的なテーマを掘り下げるのもよいし、たとえば、オイディプスは「知らず」父を殺し、「知らず」母と姦通したわけであるが、だとしたら「知る」とはなにか、そして罪とはなにか、というような問いもたてられるわけである。知る前と知ったあとで、オイディプスがそれらの罪を犯したことに変化があるわけではないのだ。それでもオイディプスがじしんの目をつぶさずにはいられなかったことについて、当時の歴史的な事情や、作品が神話を背景に成立していることなどが無関係であるはずもなく、ほんらいの意味での批評はこういうふうにはじまっていくのだなと感じたのだった。





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