『憲法の「空語」を充たすために』内田樹 | すっぴんマスター

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■『憲法の「空語」を充たすために』内田樹 かもがわ出版






憲法の「空語」を充たすために/かもがわ出版
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「日本国民は「憲法の主語」たりえているのか―著者初の本格的憲法論。日本国憲法のもつ本質的な脆弱性を認識し、主語にふさわしい重みを獲得するために。法治国家から人治国家への変質、グローバル化と国民国家の解体を許さない」Amazon商品説明より






前から気になっていたものを一気読み。リーフレットというはなしだったから、なにか緊急出版の小冊子的なものを想像していたが、ふつうに本です。ただサイズはハードカバーより若干大きく攻略本より小さいというへんな判型で、100頁足らずのうすいもの。


内容としては2014年5月に神戸で行われた憲法集会での講演を文字にしたもの。内田樹を追っているとどうしてもブログのコンピレーションやブログそのものが中心となるので、一冊で通してひとつのテーマというのはなかなか新鮮だった。


僕個人として、立憲主義については、その「そもそも」について学んでいるところなのではあるが、内田樹では日本国憲法が抱えている固有のものというところからはなしがはじまる。憲法というのはその国家の「あるべきかたち」を端的に示したものである。いまはまだ存在していないが、こうあればきっと国民すべてが豊かに、幸福に暮らすことができる、そういう理想の形のようなものをことばにしたものが憲法である、そして憲法のリアリティは、そうした国の姿に国民みずからが「身銭を切って」いくことで保証されると。その意味で憲法とは、日本に限らずどこでも「空語」である、カラッポのことばである、しかしその示された方向にとりあえず向いて、事実を積み重ねていくことですきまを埋めていく、そのことそれじたいが憲法を憲法たらしめる。ところが日本国憲法は戦後70年たっても空語のままであったと、そういうおはなし。なぜそういうことになったか、日本国憲法の本質的脆弱性の起源はなにかというところで、各国の終戦時のしたたかさを示しつつ、「日本のひどい負け方」が理由にあげられる。ふつう戦争というものには「おとしどころ」があると。どんなに強大な国であってもすべての戦争に勝てるわけではない、勝ったり負けたりするのが「ふつう」だと。だから、それを行うにあたっては当然負けたときの準備もしておかなければならない。勝ったり負けたりが普通であるのに、負けたじてんで全国民が餓死寸前というところまでがんばってしまうのはまずい。これを日本国憲法の議論の文脈でいうと、敗戦後に国民がすがることのできるなにか「物語」、ひいては憲法の主体となるような、復興のための政治的基盤、こういうものを用意しておかなければならない。あるいは自然と用意されていくものである。けれども日本ではそうはならなかった。戦争が終わったあとに、その戦争責任を引き受ける主体が立ち上がってくることはなかった。その呪いのようなものが、いまのいままで日本国憲法を空語のままにし、総理大臣にさえも憲法を軽く見た発言をくりかえさせると。


憲法の成り立ちのそもそもからいえば、憲法以前に憲法の語る「国家」というものは存在しない。だから「日本国民」も存在しない。ルソーによれば戦争は相手国の憲法、価値観への攻撃にほかならないということだから、完膚なきまで敗北した国が憲法を丸ごと書き換えられるというのは道理なのかもしれない。それだから、少なくとも日本国憲法が発布されたその瞬間にはまだ「日本国民」というものは存在していない。無数の価値観を統一することはできない。できないから、それはあきらめて、まずひとの生の領域を「公」と「私」に二分し、「私」の領域で各々の価値観にしたがった生き方を存分にしてもらい、たほうの「公」において憲法にしたがって想定される模範体のようなものにからだを馴染ませていく、僕の理解では憲法とはそういうものだが、つまり戦争によって憲法が書き換えられるということは、その「公」においての「わたしのありよう」の模範であるところの「国民」という姿、このかたちじたいが書き換えられるということだ。あるいは「公」と「私」の面積にも変化があるのかもしれないが(たとえばそれが独裁政治だったら、「私」の領域は極端に狭められるかもしれない)、いずれにせよ想定される「国民」の姿は変容する。そして、立憲主義においてわたしたちはその姿に向かっていく。向かい続けることで徐々に憲法や「国民」は空語であることをやめ、重みを増していく。

憲法についての議論でもっとも感情的になりがちな原因のひとつとして、これがアメリカから押し付けられたものであるということがある。その感情じたいはわからないでもない、というか理解できるけれども、しかし、いわれてみるとたしかに、この70年いちども内戦や他国との戦争を行わず、自衛隊が海外でひとを殺したこともいちどもないという事実もまた驚くべきことである。ニュースを見ると世界の戦争のはなしでいっぱいで、毎日たくさんのひとが死んでいるのに、この国では、70年戦争がないのである。


解釈改憲や秘密保護法など、僕のような無知な人間ではただむやみに不安な日々が続いているが、そのいっぽうで多くの国民は現政権を支持している。その理由として内田樹は「株式会社的マインド」が日本人全員に染み付いてしまっているということを指摘する。ほとんどの日本人は株式会社の会社員として働き、思考することに慣れてしまっているから、国家が株式会社的な運営をされようとしているのを見てもあまり不思議におもえなくなってきているのだ。ちょっと短く説明するのは困難なのだが、なるほど。


ごく短くてすぐ読めるので、いま読んでいる憲法の本を読み終えたらもういちど読み返そうとおもいます。





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