第32話/動揺
バキの脳が発するシグナルを当のバキよりもはやく受信して技を封じ、バキを圧倒した宮本武蔵。イメージ斬りとはいえ、リアルシャドーではじっさいのダメージも再現してしまうバキであるから、彼がどうなったか気になるところだが、今回は街に出た武蔵の描写のみ。
光成邸を出た武蔵は新宿にやってきている。光成の家がどこにあるのかはよくわからないのだが、東京ドームは水道橋、電車で15分くらいだ。その間、もちろん電車や車を目撃しているはずだし、そうなると、あるいは光成邸は新宿の近くなのかもしれない。飛び出て、喧騒にひきつけられるかたちで新宿のほうに近づき、アルタ前に出たと。まあ、そうだとしても電車やビルはいやというほど目にするはずだが。
こういう展開ではお決まり、武蔵はでっかいテレビに驚愕している。映画にもテレビにも慣れてしまったわたしたちでは、それを、段階を踏まずにいきなり見たときどのような感想を抱くかというのはもう想像もできない。これからテレビがさらに進化したとして・・・400年後にはどうなっているだろう。舞台のお芝居を見るような空間の再現くらいなら、100年後くらいには実現してそう。映像のなかに入り込んでものを拾ったりしゃべったりできるくらいの。わたしたちがいまいきなり未来に投げ込まれて、ひとがふつうに会話したりごはんを食べたりしているものが、じつは片方が映像だったと知ったら・・・。でもたぶんそれよりももっとでかい衝撃だろうな。
「・・・・・・・・・・・え・・・・
絵ではない!!」
武蔵の受けている衝撃が無垢すぎて好感がもてる。絵、じゃないのだよ。ではあれはなんなのか。しかも動いている。しゃべる。どうなっているのだあの板はと、すばらしいリアクションを見せてくれるのだった。
武蔵には異様な事態である。しかし行きかう人々は誰もその板に注視したりしない。景色であり、日常である。そのことにも武蔵は感嘆する。ひとが、400年のうちに想像もおよばない高みに到達していることを感じないではいられないのだ。
そして電車。電車にかんしては前にも見ていたとおもうが、改めて目を見開いてしまうほどのはやさである。なかには大勢のひとが乗っている。じぶんの知っている文明、到達がなにかちっぽけなようなものにおもえて、少しみじめな気分になっているのかもしれない。ただ、それはなにかちがう。文明の進化は連続しているのだから、武蔵の知っている文明をぬきにして今日の成果はありえない。きわめつけは高層ビルである。都庁を見上げ、「人間の手でこんなものがつくれるものなのか」と圧倒される。いや、大きさは勝負にならないかもしれないけど、わたしたちもまたむかしのお城を見て同様の感動を覚えますよ。文明ってそういうことじゃない・・・とおもうが、まあここでは武蔵が圧倒されているということが重要なので、深入りしないことにしよう。
行きかう人々は裸足でヒゲ面の武蔵をこっそり観察している。武蔵もそれに気づいているのか、草履くらい履いてくるんだったと考えている。そして、やや落ち着きを取り戻す。たたかいとは無関係なことに動揺してしまった。じぶんは武人であり、戦いに生きるものである。そのことを見失ってはいけない。武人であるじぶんが気にすべきは建物の大きさや電車の速さではなく、人間の強さのはずである。
「人間(ひと)への勝ち方なら心得る
否――――
人間(ひと)への勝ち方しか知らない!」
立ち会う相手は人間なのだから建造物に動揺していてはいけない、という理屈は武蔵ならではという感じがする。これがたとえば、作家が圧倒的な音楽を聴いて、広い意味で同じ芸術であるそれに動揺してしまったとき、じぶんは小説家なのだから見失ってはいけない、というのならわかる。しかし小説家が高層ビルの高さに圧倒されて、じぶんは小説家なのだから・・・とはならないだろう。小説と建造物の大きさはまったく関係がないからである。つまり、武蔵では、逆に関係がある。それは、「建造物の大きさに驚嘆し動揺する」という心模様じたいが、彼の本質であるところの武のありようにかかわっているということである。関係ないことに驚嘆し、動揺しているときもまた、彼にとっては武人としてのひとときなのである。バキ世界ではよく行住坐臥つねに注意を怠らず、たたかうものとして緊張を保つ、というような言い回しが見られるが、それなのだ。「建造物」と「ひとを倒す技術」は無関係である、だからこそ、そんなものに動揺して、行住坐臥通さねばならない武術的ありようを崩すわけにはいかないのである。
さて、そんな武蔵に警官がふたり声をかけてくる。どちらも立派な体格で、明らかに強いオーラが出ている。裸足でヒゲ面でもじゃもじゃの髪の毛伸ばし放題、そんでなんか道着みたいのを着た男がことあるごとに大きなリアクションをとりながらうろうろ歩いているのだから、こうなるのも時間の問題だったろう。ピクルだってぴちぴちながら剣持なんとかという男の服を着ていたし靴も履いていたのだ。
警官たちはやわらかに声をかけるが、武蔵はまず「警察」という機構じたいを知らない。これはやっかいである。警察というのは、ある意味ヤクザとおなじで、遠くからでもひとめで警察だということがわかるように、制服からパトカーの色、語り口までが設計されている。犯罪が起こるのを待って逮捕するのが仕事の中心なのではなく、まず防犯ということが、警察の第一義だからである。「警察が来た」ということを誰もが即座に感知し、また「警察が来たということはどういう意味か」ということが広く合意されていないと、機能としてほとんど意味をもたない。特に捜査しているわけではない、通報でかけつける交番のおまわりさんなどはそうだろう。誰もが警官が来たことをすぐに察知し、犯行を中断し、聴き取りに際しては少なからず緊張する、そうでなくてはいけない。しかし武蔵は警察を知らない。「警察のような社会的機能」はあるいは知っているかもしれないが、その制服や語り口が示す「意味」はわからない。だって武蔵はこの時代の人間ではないのだから、その社会的合意など知るよしもないのだから。
このじてんで警官はただ事情を聞くだけではなく、「なんだコイツ」というふうに切り替わったことだろう。その合意を知らないということは、社会の成員ではない可能性が高いからである。
履物についてはうっかり忘れたと武蔵は応える。警察24時的な番組であれば、呆れたような口調で太い文字でテロップの出るところだろう。ふつうのひとはうっかり靴を履くのを忘れたりしないのだから。
身分証もない。名前をきけば宮本武蔵だと応える。警官的には「いよいよ」である。ハーブとかやってんじゃないかと考えるのも自然だ。
調べようと伸ばした警官の手を、武蔵はすっとかわす。ふたりは表情を変えて武蔵につめよる。調べられてなにか不都合があるからこそそうしたにちがいないからだ。そこにあわせて武蔵は連続して一撃ずつ警官に叩き込み昏倒させてしまうのだった。
つづく。
武蔵の攻撃は今回もどうやらイメージ攻撃のようである。だが、以前までのように架空の刀をふりかぶるものではなく、手刀と平拳である。これは、いままでの流れからするといささか奇妙である。どっちにしろイメージなのだから、いまの状態に沿った素手の攻撃にこだわる意味はないはずである。イメージの刀なら彼の振りに耐えることができるわけだから。
武蔵はなんのためにイメージ攻撃をするのか。じっさいの理由はいろいろあるとおもうが、まずひとつにはその、彼の振りに耐える刀がないということがある。そうまで全力で振らなくてもひとを斬ることができるということは「人斬りサブ」がその名前で証明しているが、武蔵においてはただ兵法者として目的もなにもなく技を追究するだけということがあるようだし、ただただ、一撃を極めようとしているだけかもしれない。ともかく、彼の振りに耐える刀はなかなかないし、現状では存在もしていない。つまり彼の攻撃を運ぶ「容器」がないのである。
もうひとつ考えられる理由としては、イメージ攻撃が通常の攻撃のたんなる「かわり」ではなく、技術のひとつだということである。今回、屈強そうではあってもバキ世界のレベルでいうと一般人とかわりない警官がこれを受けたことで、このイメージ攻撃が相手を選ばないものであることが判明した。もちろん、想像力豊かにシャドーのトレーニングをしてきたバキがふつうより大きなダメージを負う可能性はあるけど、ごく当たり前にいって、この攻撃には特にひとによっての差というのはないようなのである。そして、バキは袈裟懸けにからだを斬られて気絶し、今回警官ふたりも昏倒してしまった。つまり、ダメージがある。いや、肉体的な意味でのダメージがあるのかどうかというのはまだわからないが、少なくとも脳は、「袈裟懸けに斬られた」「喉をしたたかに打たれた」ということを事実として処理しているようである。この脳内での処理じたいをコントロールする技術を身につけるか、あるいは似た技術で代用するかしない限り、現実的にはイメージ攻撃とはいっても通常攻撃となんらちがいはない。しかも身体の動きが表面に出ていないぶん、たぶん回避は難しい。となれば、このイメージ攻撃は、もはやふつうの攻撃の補助的な、その場しのぎのものではない。れっきとした「攻撃」なのである。
刀(容器)がないために実際にその攻撃を表現する手段がない、そのことが、あるいは武蔵にこの方法を備えさせたのかもしれない。武蔵がはじめて刀を握ってばらばらにしたときの言い方からすると、当時でもめったにそういう丈夫な刀はなかったんではないか。振りを追究することで、それを実現できる刀がなくなってしまった、かといって身にかかる火の粉を振り払わないわけにもいかない、その過程で、たぶんイメージ攻撃が進化していったのだ。
だから、もしかすると武蔵にとってのイメージ攻撃は、ふつうの攻撃と比べて手を抜いているとかそういうものではないのかもしれない。しかし、そのイメージ攻撃の枠内ではいろいろなことができるし、手も抜ける。イメージのなかでも刀を抜かなかったことが、たぶんバキよりは弱そうな警官たちへの手心だったのだ。
とはいえ、手刀や平拳などかたちはきちんとつくられているようだし、じっさいに武蔵は素手での攻撃も研究している様子である。だいたい「喉を打つ」というのがちょっと現代的かもしれない。わからないけど、刀があって、相手が素手だったら、素手どうしのときのように、みぞおちだとか金的だとかを意識してたたかうことはないだろう。攻撃ポイントはもっとおおずかみになるんじゃないか。喉を打つとダメージが大きいことは知識として知ってはいても、たとえば刀の柄とかでこういうふうに冷静に狙うことはなかったろう。とすると、刀なしの当身もけっこう研究していたのかも。しかしそうなると脳震盪のダメージを知らなかったのはヘンだな・・・。
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