第13話/A君とB君
繁華街を花山薫が歩いている。太い首、厚い胸、巨(でか)い手、道行く無関係の通行人たちがつい振り返ってみてしまうほどの存在感。その手や顔には無数の傷が刻まれている。手術痕みたいに盛り上がったものからえぐれたものまで、大小さまざまな傷が、重なり合い、交わっている。明らかに普通ではなく、その日常も異様であるにちがいないと、見たものに確信させるような風体だ。
これから花山は喧嘩をするようである。光成との会話がよみがえる。勇次郎に挑戦したいとはなしたときのことだ。前後がよくわからないが、光成は「これは喧嘩じゃぞ」といっている。花山と勇次郎がたたかうんだから、それは試合ではなく喧嘩だろうと、そういう意味だろうか。だから人前でやるものではない、観客を集めて試合場でやるものではないと、そういう意味だろうか。光成としては、試合より、路上での喧嘩スタイルでこのたたかいを見たい。だからそのセッティングもすすんでやる。それに、ふたりにしてもそっちのほうがいいだろう。
そして、道の反対側からは、刃牙道がはじまってからは初登場となる範馬勇次郎がやってくる。花山同様、誰のことばか、そのなりについての説明が記される。獰猛、凶悪、高圧的。珍しくサングラスなんかしてるけど、服はいつもの拳法着みたいなやつだ。髪の毛は、初期のころみたいにわりとぺたっとしているのだが、これはあとの描写によるとワックスをつけているらしい。ふーむ勇次郎もそういうことするのか。
これは光成のセッティングしたことなので、勇次郎としてもこれから喧嘩をするつもりで歩いている。そのせいか、まだなにも起こっていないし、誰かが怒らせたわけでもないのに、額や腕には血管がもりもり浮かび上がっている。190センチ超えで100キロ超え。勇次郎の身長体重にかんしてはバキがときどきくちにするのみだったが、そうか、190はあるんだ。
そして、いつものように、勇次郎のからだの周辺が歪み始める。おもしろいのは、異常に高い基礎体温か、オーラか、闘気かと、それをナレーションが指摘することである。つまり、一般の目にも見えているのである。
「そんな・・・
スゴいA君と
スゴいB君が
まるで意図したかのように出逢ったのだから・・・
意図したのだろう
悲鳴があがるのも無理はない」
向かい合う花山と勇次郎。花山は落ち着いて、呼び出しに応えてわざわざ出向いてくれた勇次郎に「恐縮です」なんていってるが、それを合図に、勇次郎の髪の毛がメリメリと立ち上がり始める。そして犬歯を見せて笑う。それを見てか、また悲鳴があがる。そりゃー、髪の毛がこんなふうに急に動き始めたらこわいよな。
その様子を、遠くというほど遠くでもない、20メートルくらいの距離から光成が双眼鏡で見ている。興奮してからだが震えていて、迷彩服なんか着ているのもわざとらしいが、傍目には異様なおじいさんである。
さて、同じころ、ということだろうか。徳川寒子が武蔵のもとにたどりついていた。大事なところだというのに、光成はいなくていいのか。花山にはもうちょっと待ってもらうとかすればいいのに。
寒子はなにやら投与した薬品かなんかのリストみたいなものを見ている。それを霊能者の寒子が見てどうするのだと、僕もおもったが、意外なことに返事はまともなものである。十分とはいえないが条件は満たしている、なとは何々を何パーセント調整すれば完璧だ、などと言い出す。科学者たちも驚いている。これくらいならハッタリの可能性もあるけど、一応世界的とおもわれる科学者たちがあわてている様子なので、的確なのかもしれない。
「仏造って魂入れず
無教養な光成の言葉じゃが・・・
これなら
5分で目覚めよう」
つづく。
なんか風向きが変わってきたぞ。
寒子は魂を呼び寄せてじぶんに乗り移らせることができるが、それを武蔵に応用するためには、もともとそういう憑依体質のない肉体にそれを移らせなければならない。寒子がこういうからには、それを彼女はできるわけである。だが、そのためには「仏」が完成していなくてはならない。今回インシュリンがどうのといっていたのは、その準備のことだろう。できることはできるけども、そのためのベストな条件というものがあるのだ。
さて、花山と勇次郎がついに遭遇した。
申し訳ないが、今回は刃牙道がはじまってもっとも興奮した回だったかもしれない。
以前書いたように、花山というのはじっさいのところどの程度の強さなのかということがよくわからない。そうはいっても勇次郎にはちょっと歯が立たないだろう、とおもえるのだけど、「ほんとにそうか?」と確認されると沈黙するしかない、そういうタイプの強者である。
まずなにより勇次郎の反応である。流れからいって、花山が勇次郎とやりたいと光成にいい、光成はやっと勇次郎を呼び寄せる口実ができたと喜んで彼と連絡をとったことになる。そして、どこにいたのか知らないが、勇次郎はやってきた。花山と喧嘩をするために戻ってきたことになるのである。そしてあの血管やオーラ的なものを見るかぎり、やる気もじゅうぶんのようだ。つまり、うれしくてしかたないのである。そりゃあ、まともにやったら、花山はバキには勝てないし、ピクルにも勝てない。オリバだってあやしい。けれども、たたかいかたにはタイプというものがある。一撃で終わってしまう可能性もあるが、郭とはまたちがった方法で、勇次郎の打撃を正面から受け止めてくれそうな数少ない人物が花山である。他にはオリバ、ピクル、ジャックあたりなら(1発くらいなら)ぎりぎり耐えられそうだが、彼らともまた花山のありようは異なっている。仮にたたかいが芸術作品、相手とのインタープレイで創出される即興品のようなものだとしたとき、たたかいは、相手によってさまざまな姿を見せるわけである。その意味で、花山とつくりだす喧嘩はかなり高い確率で唯一無二のものになる、そんなふうに勇次郎は考えているのかもしれない。
といっても、この流れだと、開戦と武蔵復活がほぼ同時ではないかとおもわれる。武蔵についてはいいから早く目を覚ませよ、という感じだが、このたたかいをとめることになってしまうとそれはそれで残念だ。
ところで、勇次郎のからだの輪郭が歪む現象、あれはただの「表現」ではなかったらしい。髪が逆立つことにかんしては、バキ戦のときに観衆がそれを指摘する場面があった。表現として、迫力の誇張としてそう描かれているのではなく、じっさいに、目に見えるかたちで、勇次郎の髪は逆立ち、空間が歪んでいるのである。これはとてもおもしろいなにかの予兆のようにおもえるが、なんだろうか。いま思いつくひとつのことは、ピクルあたりから続いてきたバキ世界の表裏の合致ということである。独歩の「使用してはならない技」が監視カメラという大衆の目線を経由して知覚され、落雷を受けても平気で歩をするめる勇次郎がテレビで報道され、ピクルというふつうではない存在が世界中で認知される、そういう経験を踏まえて、ついにバキ対勇次郎は世界中のひとびとが認識を共有するなかではじまった。烈のボクシング参戦もそうだ。それは、僕自身理路を忘れてしまっているが、絶対者としての、「語りつくすことのできない存在」としての勇次郎を「語られるもの」にするための準備段階だったと僕は考えている(いた)。勇次郎に勝たないまでもそれなりの結着をつけるためには、まったく際限がない、限界がみえないままではいけない。なにをやっても、そこはすでに勇次郎の通った道であり、彼のとりうる行いを復元しているにすぎない、というのでは、バキが勇次郎に追いつくことはできないし、身もふたもないはなし、作者だって結末を描けない。そのための準備として、どうしても、バキ世界の裏と表は合致しなければならなかった。
そして、刃牙道においても、この現象は続いている。というのは、「宮本武蔵」である。すでに書いたことだが、これまでも明らかに実在の人物をモデルにしたキャラクターはいたけど、実在の人物がそのまま、しかもたたかうものとして登場したことはなかった。「宮元武蔵」ではなく「宮本武蔵」が登場するというのは、その意味でもかなりの事件であった。しかも、おもえば前回より、武蔵を「別の世界」から召還しようという計画がすすんでいる。そう考えてみると、死者を蘇らせる、呼び寄せる、というようなはなしではなく、もっといえば、これは、「現実世界から漫画世界に呼び寄せる」という儀式なわけである。
武蔵創造の地はスカイツリーの地下366メートル。634メートルのスカイツリー頂上から1000メートルである。不可解なのは、地表から数えた深さが武蔵という名前にゆかりのあるものなのではなく、武蔵という名前にゆかりのある高さの、その塔のてっぺんからきりよく1000メートルだということである。要するに、地下634メートルでもよかったのではないかというはなしである。1000メートルというきりのよい数が偶然ではないとしたら、武蔵創造の地は「塔の頂上から数えた深さ」にあるということになる。地表ではない、(現実にはちがうが)最も高い建物、つまり地上の到達しうる最高度から数えて1000メートルなのである。地上(表)、地下(裏)と考えたとき、この長さを測り始める原点が地上(表)のもっとも高い箇所にあるわけだ。これは、表と裏の世界が合致していることを示していると考えてもそう遠くはないのではないかとおもう。そして、武蔵召還はその先にすすまないと成されない。漫画世界の表と裏を合致するだけではたりない。漫画世界とわたしたちの現実世界も合致させなければ達成されない。それを成す媒介が徳川寒子というわけである。
そして、その結果として、「漫画表現」であったところの「髪の逆立ち」や「オーラ」が、現実のものとして、漫画内の人物たちに認識され始めている。つまり、おおきなくくりでいってしまえば、漫画内の住人たちがそこが(わたしたちが認識するところの)漫画の世界だと無意識に認め始めているということである。そのうち、ピューと吹く!ジャガーにもそういうネタがあったが、効果音とか効果線を認識するようなやつも出てくるかも。というのは冗談ですけど。
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