第334話/フリーエージェントくん⑭
映画版『闇金ウシジマくん』の第2弾キャストが本誌でも発表されている。
ドラマもそうだけど、本編をかなりアレンジして、人物と人物のイメージが重なりあうようにしてつくられているので、ほとんどが本編でいう誰にあたるのかわからない感じだが、しかし中尾明慶というひとのこれは愛沢でまちがいないよな。この髪型と金属バットは。愛沢も極悪人だが、いろんな面で中途半端というか、へんに自意識過剰なぶぶんもあるし、肉蝮みたいな会話不可能な狂人ともまた異なっている。ヤンキーはヤンキーだけど、丑嶋や滑皮とわたりあえるようなタイプではないのである。それでいて、レイプや殺人未遂など、やってることはかなりひどい。そのあたりが、悪人としての行為というより、じぶんで制御できず暴走してしまったという感じで、ある意味で人間くさいところがある。実写にするとこの髪型はなにかの冗談みたいだが、このひと、かなり有名なひとですよね?どうやって演じてくるのか楽しみである。
さて、本編フリーエージェントくんでは、村上仁が地元の知り合いを集めて村上塾を開講したところだ。苅べーはこれ、後輩なのか。よく見ると「・・・っすか?」みたいな口調も含まれている。僕には地元密着型のヤンキーの知り合いがいないので、仕事中、明らかに年下のヤンキーが先輩ヤンキーにタメ語でいるのなんかをよく見かけて、なぜ怒らないんだろうとずっと不思議だったのだが、そんなものなのかもしれない。
苅べーは仁にいわれるがまま清栄メソッドを購入した後輩のひとりである。あれからどれくらいたつのかわからないが、いつになったら金が入ってくるのかとじれったく感じ始めている様子である。といっても、苅べーはべつになにもしていない。「なにもしなくても儲けられる!」と、仮に宣伝文句にあったとしても、もちろんそれはレトリックである。もしことばのとおりなら、仁に紹介される以前からすでに彼は大金持ちでなければならない。そもそも彼は教材をまともに見てもいないらしい。3分で熟睡したと。寝ようとしても最低30分はかかる寝つきの悪い僕からすればうらやましいはなしである。
とはいえ、7本もあるメソッドのすべては、仁も見ていないらしい。見てないのかよ。ぜんぶ見てないという点でじぶんと仁は変わらない、にもかかわらず仁はフェラーリなんか乗ってはぶりがよい、なんでだよう、と苅べーは不満そうだ。それもそうだね。
だが、このとき仁は気づく。苅べーは以前のじぶんと同じなのだと。苅べーはそもそもやる気がないので「同じ」ではないとおもうが、立ち位置は近いのである。お金を払って儲けられる情報を買い、しかも仁のばあいはある程度実行したのに、なにも変化がない。なんでだよう、と。そのようにして、仁は次から次へと新しいメソッドやリストを買っていった。マルチ商法的なこの商売の仕組みを仁が悟った瞬間である。じぶんがされたことを苅べーにすれば儲かるのである。
いっぽう、唯一知り合い以外で、ネットを通して仁から清栄メソッドを購入した、牛丼屋でアルバイトしている竹山。いちおうDVDに目を通しているが、さまざまなメソッドを経験して失敗している竹山的にはありきたりでピンとこない。ありきたりというか、この手の商法はすべて同様の手法で成り立っているとおもうのだが、そのあたり目先の生活がぎりぎりすぎて見えてこないのかもしれない。あるいは、仕組みは見えていても、けっきょく売り手にカリスマ性がないと、買ってはもらえない。
しかし、ちょっと前まで同じような生活をしていたはずの仁が、いまはフェラーリに乗って清栄たちとつるんでいる。ちがいはどこにあるのか?そう訊ねる竹山に、仁は覚悟の有無を問う。天生たちがつかういつものセリフである。先にリスクをとればあとからついてくる。それをする覚悟があるかと。仁からはあの誠実そうな表情が失せてしまっている。彼は、この商法の仕組みをやっと理解した。いや、あたまではすでに理解していた可能性もあるが、身体的に、経験を通して理解したのである。彼らは、客に損をしてもらわないことには利益をあげることができない。そしてその損害を客が回収するには、またべつの誰かに損をさせなければならない。「先に損をしないと儲けられない」のではなく、「あなたに損をしてもらわないと、わたしが儲けることができない」のである。この商材は、お金を入れると、それより多い額のお金が返ってくる、という魔法の箱ではない。入れたお金は返ってこない。変わりに、似たような箱をつくって、べつの誰かに金を入れさせればよいのである。この仕組みを理解し実行するということは、金がひとつの方向にしか動かないということに納得し、それに与するということである。つまり、仁にとってはもはや竹山がじっさいに儲かるかどうかは無関係になっているのである。仁は竹山を儲けさせようとしているのではない。「儲けさせようとしている」かのような身振りで、その魔法の箱に金を入れさせようとしているわけである。
ぜったいに儲けられるはずの清栄メソッドを、ありったけの金をつかって購入した竹山は、仁の迫力に説得され、母親から借金して100万円の村上ウルトラメソッドを購入してしまう。100万円って、清栄のものの3倍以上である。
村上メソッドのコンテンツとして、写真を撮るなどして、仁は竹山のブログをプロデュースする。ここから村上メソッドを売れば半額の50万を払おうというおはなしである。30万の清栄メソッドで仁もしんこchもあれだけ苦戦していたのだから、売れるはずがない。あるいは30万というのは、高すぎないぎりぎりのラインだったのかもしれない。
やはりぜんぜん儲からないという竹山に、今度は天生のリストを紹介する。天生のものをコピっただけだとおもうけど、それかってに売って大丈夫なのか。
リストに関しては、竹山は親戚に金を借りたらしい。でも売れない。カリスマ性がたりないのだと仁はいう。そのために時間が必要だが、もしすぐに、短期的な利益を出したいということなら、買いそうなひとを紹介しろと仁はいう。仁が直接会って、もし売れたら、紹介料として10万払う。だんだん仁の口調が神堂大道みたいになってきている。
竹山が思いついたのは朋子という女性だ。日中はスーパーのレジ打ちをして、子どもを連れて帰宅し、寝かしつけてからどこかのビルかなんかで清掃業、そして夜は「じゅんこ」というスナックでお仕事。すごい毎日であるが、それでも節約して生活しているらしい。あるいは借金があるのかもしれない。接客業をふたつもしているのに、3日風呂を我慢しなかればならないほど困窮している。そんな朋子に、竹山は副業をすすめる。だがお金はない。だから、もう一段階下げて、竹山は誰かを紹介するようにすすめる。いまじぶんが朋子にしているように、誰か副業をすすめられるものはいないかと、こういっているのである。じぶんの儲けより朋子の儲けを優先しているので、竹山はあるいはほんとうに朋子のことが心配なのかもしれない。これも商材を購入させる戦略のひとつだとおもうが。
朋子は以前ホームヘルパーの仕事をしていた。竹山も、そのことをまずくちにする。つまり、暗にそのころの知り合いの老人を紹介しろ、そうすれば儲かるよと、そういっているのである。
そうしたわけで、朋子を通して仁がその老人に会う。そして、やはり神堂並みの、立て板に水を流すような弁舌で老人を納得させ、村上メソッドを購入させた。そして、10万が朋子の手の中に。その老人が購入したことが朋子の背中を押したのかもしれない。じっさいにお金が手中に入ることで、このはなしが非現実ではないということが実感されたのかもしれない。とにかく、朋子もまたこのはなしに興味をもつ。不思議な順序となったが、こうして朋子もメソッドを購入し、10万円が竹山のところに届く運びとなるのであった。
つづく。
いよいよマルチ商法である。
この竹山の状況では、投資したうちの数パーセントでも目に見えるかたちで返ってくるという経験は大きい。それをあと何回かくりかえせばもとがとれる、というふうに、ゴールが見えてくるからである。このあたり、けっこう周到なのかもしれない。朋子は、老人を紹介したじてんでは投資していない。つまり10万丸儲けである。だとすれば、このまま紹介さえ続けていけば、投資することなく儲けられることになる。だがそういう計算にならない。朋子は、大金が流れていくそのシステムそのものに興味をもってしまったのである。それもこれも、10万という、現生を目にした効果だろう。このはなしが理論的なゲームではなく、じっさいに大金の動くやりとりなのだということが皮膚で理解されてしまったから、彼女もそこに参加しようという気になったのである。
彼らがどの程度狡猾に動けるものかわからないが、いずれにしても、人間というのは無限にいるわけではない。そうでなくても、このような商売に加わろうとするものはごく少ない人数に限られる。だから、投資したぶんをまったく回収できない、損ばかりして終わる人間というのが必ず出てくる。この商売では、客に損をさせないことには、利益を生むことができない。しかしそれなら、その客がまず親、始祖となって、まったく損することなく、このシステムを開始すれば済むことである。だがそうはならない。誰もが、まず主体的に損をしようとする。というか、そうあってくれなければ、このシステムは成り立たない。だから、「損をする」ということがまるで美徳であるかのような洗脳が必要になってくる。洗脳をするためには、洗脳くんにかんする僕の理路でいえば、トラウマの書き換えが行われなければならない。トラウマというのは、そのひとの思考法や言語運用などを内側から規定する「ドーナツの穴」である。ひとは、外側からもかたちを規定されもするが、内側からも、トラウマ的経験によってかたちを決められている。そして、その「穴」じたいを語ることはわたしたちにはできない。できないように、迂回するようにつくられたものが、そもそも「わたし」という自覚なのである。
洗脳くんでは人殺しまでさせるほど強烈なものだったが、じっさいのところ洗脳というものは程度のちがいはあれ、どこにいってもあるものなんだろう。彼らは、その「穴」の形状を、癒しの名のもとに捏造し、言い当てるふりをして、彼の人格そのものを書き換えてしまう。おもえば清栄は、じぶんと仁はよく似ている、という文脈のもとに、彼を引き込んでいった。もちろんそれは、トラウマの書き換えなどというほどにおおげさなものではないのだが、そのことで、仁は無自覚のままじぶんの輪郭を清栄仕様に改めてしまったのである。そのあとで清栄のくちから語られることばは、もはや他者のことばではないわけである。仁は、なにか重大なことを発見したかのように、清栄たちのことばを聴いていたかもしれない。しかし現実には、彼はなにも発見していない。「発見」をする主体的な「村上仁」という人格は、すでに歪められてしまっている。彼はむしろ、じぶんで積極的にそこに与していると勘違いさせられつつ、その実たくみに誘導され、みずから「損をする」という選択をさせられてしまっているわけである。
そのように、まず「損をする」ということが美徳であるという合意が形成されれば、彼らは儲けるために金を払うことを惜しまない。そして、最初の一押しがうまく発動しさえすれば、このシステムはあとはかってに動いていく。大金持ちになるか、あるいは失敗して借金まみれになるか、そのような口調で語られることも多いが、これも誘導的である。たしかに、主観的にみれば、必ずどちらかには転がる。リッチ・オア・ダイなのである。しかしぜんたいでみると、必ずどこかに「損」が残っている。そうでなくては利益が生まれてこないからである。たんに競争して、一番になったものが一番儲かる、というようなはなしではなく、じぶんがリッチであるという事態そのものが、どこかの誰かがダイしていることを示しているのである。
だから、この仕組みを理解して受け入れた瞬間、彼は見知らぬ誰か、あるいは身近の誰かの「ダイ」を容認したことになる。仁の表情が豹変したのもそのためである。仁のいう覚悟は、たんにじぶんの人生を賭けるというだけのはなしにとどまらず、他人の人生まで含めたものになっていくのである。
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