バキ再開決定 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

チャンピオン本誌やネットではずっと情報を追っていたのだけど、なかなか記事にするタイミングがなかったことだが、今年(2014年)の3月20日発売の少年チャンピオン16号で、バキの再開が決定・告知された。


タイトルは「刃牙道」ということである。今週(12)号の情報では、16号4話掲載で100頁超、17号2話掲載50頁超、18号2話掲載40頁超ということである。3週で200頁近く掲載されることになる。バキ対勇次郎が開始されたとき、休載をはさんで掲載されたときも60頁であったことを考えると、ちょっと考えられない量である。そりゃあ、いつか板垣先生もいっていたように、バキを書いているときの緊張感はなかったとしても、ふつうにほかの仕事もあるはずで(アシスタントさんは有給をとっていたらしいが)、長く休載したからたくさん書けるというはなしでもないだろうし、なんというか、バキも板垣先生も変わってないな・・・という感じである。


「バキ」がバキ対勇次郎を終えて長期休載に入ったのは2012年の夏のことであるから、あるいは最近うちのブログを読み始めたというかたはご存知ないかもしれない、うちはウシジマくんと同じようにバキの感想も毎週書いていたのである。こういういいかたはある意味傲慢で「勘違い」かもしれないが、しかし、バキは優れた感想サイトがたくさんあるので、ウシジマ感想と比べるとのんびり無責任に、飛躍したことを書きまくっていたような気がする。加えてツイッターには、どういう経路かわからないがバキの公式アカウントもあって、そこの中の人が非常に活発にツイッターのなかを動き回るおかげで、書くことにたいして気楽になることもできた。作品は、作者の手をはなれた瞬間から、個物の生き物となる。だから、読者がどのように読んでも原則的には自由なわけだけど、それについて作者ご本人から理解をいただけなかったとしても、それはそれでしかたないわけである。「おれはそんなつもりで書いているんじゃない、てきとうなこというな」と、もし作者のかたにいわれるようなことがあれば、僕としては原則論を持ち出す以前に沈黙する以外ないのである。しかし、バキ公式さんはバキつながりであれば誰であっても話しかけ、リツイート・お気に入り・フォローをくりかえすという、要するに非常に「気さく」なスタンスなので、「とりあえず否定的にはおもわれてないんだな」ということがそれで知れただけで、僕としてはこの書き方を続行しようという気になれるのである。


バキというのは、プロの格闘家なんかも愛読しているようなリアル志向の格闘漫画である。だから、ジャンルとしても一級品なわけだけど、たんに漫画としても、この作品はおそろしいすごみを含んでいる。勘違いされているかたも多いかとおもうが、バキは非常に批評しがいのある漫画なのである。僕個人としては、空手をやっていたし、格闘技も人並みに知ってはいたから、ごく当たり前の「男の子」としてバキを読み始めたので、このことに気づいたのはじっさいにブログを感想に書くようになってからではないかとおもう。それとも、あるいは、フロイトなんかを読んでるときにちょうどピクル編がはじまって、そのとき考えていたことと一致することが多かったからとか、そんなこともあったかもしれない。いずれにしても、読めば読むほどわからなくなり、いろいろなことがポリフォニックに見えてくる、そういう漫画なのだ。それは、まず第一に、強さという一点についてだけ長く書き続けているというところに理由はあるかもしれない。もともと「正解のない問い」であるだけに、延々と書いていられるということもあるが、かといっておんなじことをくりかえすわけにもいかないから、自然とその内容は深まっていく。登場人物個々の格闘哲学もそうであるし、たたかいそのものも、その技術や、筋肉に対する信仰だとかの細部を通して、深まっていく。だが、このじてんでは、まだ表層的な読みで、もっとも重要なのは、やっぱり板垣先生の突飛な発想である。思いつきというか、冗談みたいなことを真顔で、あの濃厚な絵で描ききってしまう、最後までやりきってしまうという、独特の姿勢である。「冗談だ」と割り切って読むことも可能だが、それをそのままに成立させるなにごとかを読み取ろうとすると、この作家がどれほどのものかが見えてくる。その冗談みたいな展開を真面目に成立させる構造、これが「ある」ということではなくて、それを見出せてしまうほど、物語の世界や人物造形がしっかり構築されているのである。


バキの、そして板垣恵介の「宿題」だったバキ対勇次郎は終わった。だから、いったんバキは終結したのだが、バキ世界そのものは持続している。だから、いずれ書く、というはなしは先生じしんのくちからも語られていて、その日がついにやってきたわけである。タイトルは「刃牙道」。ちょっと前に載ったインタビューでは、とりあえず描きたい新キャラはいる、みたいな感じで、タイトルはまだ決まっていなかったようにおもう。つまり、どういうふうに展開するかがまずあって、そのうえで、このタイトルにしたということである。「バキ世界」そのものが続行するのはいいとして、「範馬刃牙」という人物じたいも戻ってくるらしいというのは、ちょっと意外ではある。スピンオフ作品みたいに主人公は出てこないんじゃないかとおもっていた。これもまたインタビューで、うろ覚えだが、それ以外のキャラの描写が中心になっていくっぽいようなことはいっていたが、しかしこのタイトルでは、バキくんが主人公として、中心に描かれていくことは変わらないように見える。バキの人生は、生まれたときから父・勇次郎に規定されてきたものだった。ある意味で人間というのは誰もがそうなのかもしれないが、バキのものははるかに強烈だった。なにしろ、彼は地上最強を目指していたが、それは「たまたま」だというのである。複雑な事情があり、父は母親を抱き殺してしまい、それ以来、バキは父親を超えることそれだけを目標にして生きてきた。だから、極端なことをいえば、これはバキじしんの表現だが、もし父親が地上最弱なら、じぶんは2番目に弱い生物でもいいと、そういう考えになっていったわけである。バキが、強者を求め、強くあろうとするのは、すべて父親を倒すため。そういう強い動機があったからこそまた、彼は強くなれたのだ。それが、ただたんじゅんにノックアウトするというしかたではなかったとはいえ、いちおう終わった。「徹頭徹尾父親の存在に規定されるもの」としての「バキ」は、それを描く物語としても、完結したわけである。ここから、もしバキがまた強くなろうとするようなことがあるとすれば、それはもう「父親」の存在を経由しない、個人の闘争衝動に基づいたものである。「刃牙道」というのはそういうことなんだろう。



ここに勇次郎はどういうふうにからんでいくだろう。格闘の強さというものは、一般論として、不等号で示すことのできない流動的なものである。昨日勝った相手に今日も勝てるとは限らない。だから、恒常的な「最強」が決まることも、原理的にありえない。ただそのときどきの勝負にかたほうが勝利したという事実があるだけであり、それ以上のことはなにも意味しない。ドラゴンボール世代の僕としては、戦闘能力を数値化する思考法は習慣化されているので、そこから派生したいわゆる「強さランキング」にかんしては、じつのところ非常に好意的でいるつもりである。けれども、バキ作品はリアル志向なので、そういう原則を採用しているのだ。

その混沌とした最強戦線に秩序を与える、唯一不等号を添えることのできる人物、それが範馬勇次郎だった。すべての格闘者は、勇次郎の存在を経由することで、「彼より弱いもの」として規定される。誰もが無二の存在ではなく、自分と交換可能な存在でしかない、「お前にできておれにできないことはない」とその強さで告げ続けるストレスフルな存在、それが作品内の範馬勇次郎である。このありかたが、バキ戦を過ぎたあとどのように変化していくかはまったく見当もつかない。じっさいのところそれは誰も見たことのない世界である。ちょうど、宇宙の外側を想像するような感覚に近い。だが、以上の理屈からいえば、これでいよいよ、作品内の強さは混沌をきわめるはずである。バキと勇次郎が結着したからといって、彼らを「どちらが強い」というふうに語ることは、あの結末では難しい。それはピクルについてもいえる。そのうち末堂にピクルが慄くなんていう展開もあるかもしれない。


いずれにしても非常に楽しみなはなしである。烈がチャンピオンベルトを肩にかけて帰還する日も近い・・・!もちろん感想書く予定です(はりきってもうカテゴリ作成してしまった)






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