第322話/フリーエージェントくん②
日雇いの派遣業でその日暮しの仁は、マサルたち旧友が違法な仕事とはいえそこそこに金を稼いで楽しそうにしているのを見たこともあって、ネットで楽な金の稼ぎかたを知ろうとする。と書くと仁がずいぶん怠惰なようだが、いや実際勤勉ではないけれど、楽して稼ごうというところにそんなに大きくは割かれていないようにおもえる。カタギで会社に勤めるような教養や地盤もなく、いっしょに会社をやるようなしっかりしたコネクションもない。日雇いでなくとも肉体労働であれば、知り合い伝いにそこそこ堅実なところに勤められそうだが、仁のばあいは知り合いというものじたいがほとんどいないのかも。かといってアウトローな仕事に踏み込むほどワルではないし、だいたいいまさらどうすればマサルたちみたいになれるのかもわからないのかもしれない。不安はある。しかしどうすればよいのか皆目見当がつかない。努力をするにせよなんにせよ、なにからはじめればいいのかわからない。そういう心情なのかもしれない。
ネットで彼が出会ったのは天生翔という、月収1億の男の演説動画である。仁は真剣な面持ちで天生のはなしを聴く。
天生のはなしでは、5年前までは彼もホームレス同然だったということである。必死にがんばってもなにひとつ上手くいかず、現状を嘆くばかり。アフィリエイトやせどりなど手を出してみたけども成果なし。カネコネなしのじぶんがインターネットの世界で成功するなんて無謀だと。
「そんな私が生まれ変わるきっかけとなったのが、
今回ご紹介するノウハウです」
そのノウハウは、じぶんで発明したものなのか、誰かから伝授されたものなのか、よくわからない。いずれにしても、その「ノウハウ」を手に入れたその日から収益は増えていき、月収は500万を超えた。つまり、ここでいう「ノウハウ」というのは、一種の固形物である。
目指すは3ヶ月以内に月収100万。仁も「無理だろ」と考える。しかし今回、つまりこの機会に入塾した人間には特別に3ヶ月間のサポートがつくという。うそだとおもうなら無料講座にきてみなさいと。
けっきょくのところ天生が「なに」で収益をあげているのかがこれではよくわからない。「ノウハウ」というのは、「こつ」のことである。「自転車に乗るこつ」とか「営業の電話をしながら同時に伝票を作成するこつ」とか、ポイントポイントで、気づかなかったり見えなくなったりしているものを鮮やかに引き出す、経験知のようなものである。「自転車に乗るこつ」だけ教わっても、自転車という概念や自転車そのものがなければどうしようもない。これだけでは「具体的になんの仕事なんだよ」となっても不思議はない。「こう、原理的には前に倒れ続けることで、つまり進み続けることで倒れないわけだけども、そうね、まずは体幹を操作することからはじめてみようか」とかいきなりいわれても、「いやなんのはなしですか」となるはずだからである。
けれども、天生の語る「ノウハウ」はまるで物体のように、それじたいが金を生産していく魔法のアイテムであるかのように語られる。「こつ」がそれじたい独立しているのである。
日雇いの仕事が入った日も、仁はどこか身が入らない。天生のことばが響いているのだろう。街行くかわいい女の子を見て、じぶんは今まで本気出してなにかをやってみたことがなかった、と自覚する。ちなみに、このときの電話で仁のフルネームが「村上仁」だと判明する。
今後どうつながってくるのだろうか、丑嶋の顧客であったらしい杉村というオサレ男子が、その仁がみかけた女の子に声をかけている。富裕層のパーティーに誘われたということである。その杉村は、金持ち相手にいい商売を紹介してもらって、今回丑嶋に一括返済である。その金持ちというのが天生たちであれば、丑嶋とのつながりも出てくる。
無料だし・・・ということで天生塾入学式にやってきた仁。教室には中年の男、女の姿も見える。満員。60人くらいいる。うしろのほうには、これは立ち見なのかそれとも関係者なのか、何人か立っているひとも。「天生翔様の登場です」というアナウンスで御大が登場。じつにうさんくさい。今回は無料だが、金を払って「ノウハウ」を購入するのだとすれば(「ノウハウ」は固形物なのだから)、仁たちはゲストである。仮にこれが教育機関のようなものだとしても、学校の校長が朝礼かなんかに登壇するときこんなアナウンスであらわれたら吹き出してしまうだろう。つまり、天生翔への敬意は「当然払われるもの」として最初から設定されている。こんなやつに敬う気持ちなんてない、とおもうような人間は、たぶんここにはいない。ただ、まだ疑っているものは多数いるかもしれない。それを、空気の同調圧力みたいなもので制してしまうのである。
時は金なり。動画よりも太ってみえる天生は、すぐに本題に入る。インターネットの世界では簡単に儲かる仕組みがあると天生はいう。彼はそれに挫折しかけたはずだが、たぶんそれは「ノウハウ」を知らなかったからなのだろう。つまり、いま講座を受けているものたちと同じだ。それが、見えるものには見えるし見えないものには見えない。その視力のことを天生は「知識」と呼ぶ。短くまとめるとそういうはなしである。会社勤めでは8割が搾取されるが、経費もかからないネットビジネスでは儲かるしかない。
今回の講習は無料だが、「本当に儲かるノウハウ」には金がかかる。3ヶ月で100万円だそうだ。しかしそれで月収100万稼げるようになるのだ。安いとみるか高いとみるかで人間の価値が決まると、天生はいう。もちろん、それは天生の価値観である。天生に「無価値だ」とおもわれたところで痛くもかゆくもないというひとはたくさんいる。けれども、もちろん、この教室にわざわざ足を運んで彼の演説を聴いている人間はそうはおもわないだろう。
そこへ乱入してくるものが。係員の制止をふりきって教室にやってきたのは中年の男。天生のウソで借金まみれになってしまったというのである。
つづく。
想像以上にうさんくさくて驚いた。
けっきょく、今回の無料講座でも、具体的に「なに」をするのかはよくわからなかった。
この手の広告はよく見かけるが、なぜそのような夢みたいなはなしをひとは「うさんくさい」とおもうのかというと、なぜならそれが「夢みたいなはなし」だからである。3ヶ月で月収が5倍以上、最終的には1億に、なるわけはない。そう考えるからである。ではなぜそのように断定するのかというと、そのような詐欺が横行しているのを知っているから、とりあえず疑ってかかることが現代人の習慣になっているとか、月収が100倍になろうと仕事内容そのものに価値を見出せなければなんの意味もないと考えるがために「どうでもいい」とおもっているとか、いろいろパターンはあるとおもうけれども、まずもっとも一般的な思考法としては、「そんなやつはみたことがない」ということではないかとおもわれる。まわりにもいないし、SNSなんかでよく知っている人間が急にそんなことを言い出した経験もない。そうすることでどんな利益が生じるのかよくわからないのだが、ツイッターなんかでもこの手のアカウントをよく見かける。ブログならリンク貼ったりしてるからわかるんだけど、ツイッターはそういうわけでもないので、ほんとによくわからない。ともかく、そういうアカウントの過去のつぶやきをたどると、数日のあいだ、まるで、ふつうの、「女子大生が気ままにはじめてみた」かのような体をとっていたりすることがある。そんなことをしても、そのつぶやきからして明らかなんだけど、ともかくそういう戦略をとっているのを見かけることはある。たぶん、これは、この「そんなやつはみたことがない」という心理に応えるものだとおもわれる。
では、かたくなに「そんなやつはみたことがない」と考え、うさんくさい目つきでこちらを見ているものを引き込むにはどうしたらいいか。かんたんである。「知らないやつがばかなのだ」といえばいいのだ。もちろん、そんな露骨なことばをつかわなくてもいい。転じて「知ってるあなたはばかではないですよね?」という語法でもいいし、「これを知って、ばかにならないでください!」という懇請口調になってもいい。バリエーションはいろいろ考えられるが、基本は、そういう、一種のつきはなした態度と、そして、そのはなしを聴いている「あなた」を、ついている、あるいは見る目がちがう、などという選民意識的なものでひきつけることだろう。天生は正しくそれを「知識」と呼んだ。ここでいう知識は、有形の、手で握ることのできる物体である。
だから、天生のふるまいは、ドライで、上から目線で、冷笑的で、圧迫的であればあるほどよい。辛酸なめきった、中年会社員くんのふたりのような人間のベテランならともかく、天生の講習を受ける人間はみんな仁のように金に困っている。仕事のやりがいとかはもはやここでは問題にならない。だから、いきなり「ノウハウ」が物体となってあらわれてくるのである。
仁がいまどのように天生のことばを受け止めているかはわからないが、少なくとも最初のじてんではうさんくささを感じていた。そんなわけないと、そしておそらく、「そんなやつはみたことない」と。だが、そうであったならいいなという希望はかすかにでもあった。そうであってほしいと。そういう仁の気持ちに、天生は冷笑的に応える。「ノウハウ」といういいかたからも明らかなように、天生の語り口には「じぶんはみなさんの見えていないものが見えている」というような「先んずる者」の態度が見え隠れしている。仁のように日々不安な毎日を過ごしていればよけい、天生のような態度に希望を見出してしまうだろう。
しかし今回、借金まみれになったというおっさんが乗り込んできた。この男がほんとうに借金まみれであったとしても、またなんというか講座の余興的な仕込みだったとしても、天生はその話術で反論不可能な状態にもっていってしまうだろう。そうすると、いずれにしても、借金まみれになる可能性もないではない、ということになるが、逆に真実味が増すということもあるかもしれない。また、このおっさんのような下手なやりかたさえしなければいいのだと、そういう理屈をとってしまうことになるかも。
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