第309話/洗脳くん37
かつてない長さとなった洗脳くんもいよいよ最終話。ブログを読み返すと、サラリーマンくんが30話、ヤミ金くん29話、ホストくんが元ホストくんと合わせても32話ということで、フーゾクくんやフリーターくんもかなり長かったとおもうがこれらより長いということはないだろう(たぶん)。洗脳くんはシリーズ最長のエピソードとなった。第1話は2012年の7月あたま・・・ほとんど1年くらいやっていたことになる。
神堂と上原一家のもとに丑嶋がやってきて、これからいよいよ取り立てが開始される。借金は、まゆみとみゆきがしていたものの、利子を合わせて200万ということだった。神堂は、現在交際中の女(莉子?)ならそれを払えるとして、丑嶋たちとともに彼女のもとにむかう。
顔はぼこぼこで、おまけに首輪までしている。お金持ちなのか、女はあっさり200万もってきているが、それらについて訊ねる。神堂は、強盗におそわれてカードも通帳もとられた、しかしいま200万取引先に振り込まないとたいへんなことになると、怪我と金をうまく結びつける。首輪は、顔がぼこぼこなので、それに合わせたイメチェンであると。まあ冷静に考えるとおかしいが、しかしよくもまあ、ぺらぺらとこれだけの作り話が出てくるものである。才能としかいいようがない。
金を手にして出発したあと、何人の女をだましてるのか、その執着心はなんなのかと、柄崎が神堂に問う。そこでまた、神堂がぺらぺらはなしはじめ、柄崎も丑嶋も取り合わない感じなので、つい見過ごしてしまいがちだが、ここは神堂がまともにしゃべる最後の場面なので、よく読んだほうがいいかもしれない。
人間が発展させてきた科学技術の根本にある動機は、「楽して生きたい」ということだ。その結果として、無力などうでもいい人間があふれかえり、環境は汚染され、人類は滅亡へと向かっている。けれども、悲観してそれをやめるわけにはいかない。
「何故なら
人間は進化をやめたら存在価値がなくなるのです。
私の生き方はそれと一緒です。
たとえ破滅に向かっていても
私は私である為に女を求めていくのです」
そういう癖というか、洗脳を行う過程で微妙に論点をずらしていく語り口に慣れているせいか、神堂のしゃべりかたは、イライラしているときなど「だからなに?」と問い返してしまいそうな冗長さなのだが、やはり重要なセリフのようである。人は科学技術を発展させ、進化していく。しかしそれは、同時に破滅に向かうことでもあった。神堂は、じぶんもそれと一緒だという。といっても、進化しているという意味ではないだろう。人類が破滅に向かっていると自覚しながら、その存在価値を維持するために進化をやめられないように、神堂もまた、女を求め、そして、ここでは省略されているが、洗脳・支配することをやめることはできないのである。だから、「一緒」なのは、人類にとっての「進化」と、彼にとっての「女(を求めること)」ということだとおもうのだが、「楽して生きたい」がどこまでかかっているのかはよくわからない。たぶんかかっていないだろう。だいぶ前に見たが、神堂が上原家にもたらしたランキングのシステムは、最初から破綻を内在させたものだった。それぞれが毎日稼いできた額を比較し、順位のままに待遇を変え、最下位は電気、ということになったとき、この額をクリアすれば最下位でも電気なしとか、そういう絶対的なラインがなければ、ランキングされているものたちは必然的に他のものの足を引っ張るようになる。自分以外のものがなるべく稼がないようにと願い、最悪のばあい、和子のように行動に出てしまったりするのである。教育の現場で、競争原理を強く持ち込むことでむしろ全体の学力が低下していく、というような見方もあるようだが、これはそれとよく似ている。彼女たちからすれば、1万稼ごうと10万稼ごうと、最下位であれば電気ということが動かないのであれば、それらは等価なのであり、こういう考えが広がると、総額は決して伸びることがなく、むしろ日を追うごとに下がっていってしまう。ではどうすればよかったかというと、むずかしい問題だが、彼女たちは、そもそも神堂に対する関係性でしばられ、あの状況になっていたので、絶対的なライン・・・たとえば1日10万とかを超えればみんな電気なしということになると、神堂との関係について差をつけたい相手とじぶんが、神堂において等価ということになってしまう。誰だって、愛情という関係性においては、相手の特別でありたい。愛でしばられた関係である以上、このシステムに客観的なラインを設けるわけにはいかないのである。
とはいえ、神堂にはそういう自覚もあったのだろう。支配下においた一族は、こう見ると原理的に持続できるものではない。愛で複数のものを支配している以上、扱いの区別は避けられぬものであり、彼女たちのほうでもそれを求めるのであり、扱いの上のものと下のものが必ず出てくる。下のものは上のものの足を引っ張り、そうして、このシステムは破綻する。そして、破綻した家族を見捨て、次のところに移っても、同じことはくりかえされる。そのたびごとに、事件が警察などに発覚する危険性は高まっていくし、そうでなくとも、どれだけ周到に準備をしても、今回の丑嶋のようなトリックスターがまぎれこんでこないとも限らない。だが問題はそこにはないと、神堂は考える。それをやめたら、彼は彼でなくなってしまう。世界は、そんな彼の存在を認めない。「世界」のなかには、彼を彼たらしめているものが流通する経路がないので、したがって彼は存在することができない。必然として、神堂は「世界」と対立することになるだろう。前回の丑嶋の「やっちゃいけないことなんてない。罪を背負う覚悟があれば」という発言を考えてみると、つまり、この「罪」というのは、「世界」が世界内での「行為」に対してつけた符牒なのである。「罪を背負う」というのは、「世界」の認めない、つまり「罪」となるふるまいをしながら、「世界」とは対立せず、そのなかで生きていくということなのではないか。「世界」の外に立って対立的に相対化し、ある意味では自閉し、じぶんの世界を構築したという点で、神堂と丑嶋は異なっているのだ。
とここで、唐突に丑嶋が、例のパーキングでの100円のことを持ち出す。だいたい1年くらい前だとおもうが、それの利息と迷惑料で100万円だというのである。ええと、10日5割だから、100×1.5の36乗・・・か?計算はしませんけど、そんなものか。しかし、これはちょっと奇妙ではある。つまり、なぜ200万と同時に取り立てなかったのかと。たしかに、たったいまとりたてた200万は、みゆきとまゆみのものだった。しかしじっさいには、神堂に請求すべき額は300万だったということになる。前回、恐怖演出のところで、300万で死体処理をやってくれというはなしをしたとき、100万手元に残るんだから悪いはなしではないだろ、みたいなことも丑嶋はいっている。これは、丑嶋は、100円のことは忘れていたか、あるいは取り立てる気はなかった、ということかもしれない。「私」のはなしばかりしている神堂を目にして思い出したというところかもしれない。
丑嶋は神堂の乗っていた白い車をもっていく。100万にはならないようだが、残りは上原まゆみから回収するということである。
神堂はもうあまり抵抗しない。警察にチクられるよりマシだと。「神堂大道」も潮時だ。明日からまた新しい名前で、新しい人生を始めよう。
だが松田家に帰宅した神堂を待っていたのは延川と辻下の刑事二人組みである。天見時代からの神堂を追っていた関西の刑事が、ついにたどりついたのだ。その過程は、まったく語られない。彼らはミルク缶を発見していた。ビデオを検証して、大量買いしていったものをしらみつぶしにあたっていったとしても、果たして神堂、というか松田家にまでたどりつけるものだろうか。かたわらには勅使川原が正座している。彼らは麻生川弥生という、勅使川原の前の名前の時代を知っているから、あるいは彼女が監視カメラにうつっていて、手配したとか、そんなことかもしれない。
延川は殺人の容疑で逮捕すると宣言。きちんと逮捕状もある。証拠はあるのかという神堂に、果たしてそれが証拠といえるのかどうかはよくわからないが、延川は驚くべきことをくちにする。カズヤ・・・殺鼠剤を飲まされて体力を奪われ、抵抗できずに虐待をくりかえされた末に発狂したkzy。なんと、あれは陽狂だったというのだ!そんなばかな。
狂人のふりをして神堂の目をそらしつつ、カズヤはダンボールハウスの内側に、じぶんの血で、じぶんや家族への虐待を記録していたのである。神堂は、あのオナニー野郎が?!と驚いている。なるほど・・・、カサコソだったか、ガサガサだったか、カズヤがダンボールに戻ったあとの奇妙な揺れをして、神堂はかってに自慰だとおもいこんでいたが、あれはもしかするとカズヤが記録しているときの揺れだったのかもしれない。
いずれにしても、カズヤは狂っていなかった・・・というのは微妙な表現かもしれない。カズヤは、じっさいのところ、たしかに狂っていたろう。けれども、あるいは、そもそもカズヤにおける狂うという選択そのものが、現実から組織的に目をそらすための方便であったのかもしれない。カズヤは、むしろ狂わないために、狂うことを選択したのかもしれないのだ。じっさいのところあのカズヤに、どうにかアホのフリをすることで現状を乗り切ろうとするような頭脳も精神力も体力もあったとはおもえない。ここではカズヤの理性が、身を守るためにそれを選んだのではないか。そして、狂ったままに、事態を記録した。彼には、事態の記録という行為もまた、狂った認識を通したものだったかもしれない。
まあカズヤについてはとりあえずいいか。刑事がここにきている時点で神堂はアウトだろうけれど、決定打をカズヤは与えたわけだ。
神堂は警察につれられていくが、だいぶあがいている。裁判でもかなりあがいたらしい。上原家の和子、みゆき、まゆみ、そして勅使川原は判決を受け容れたが、神堂だけは上告したらしい。逮捕からかなり日がたっているようだ。刑事ふたりの会話によると、まゆみが休憩10年のところ、洗脳による心身耗弱で6年に減刑。和子とみゆきも、こちらは柏木を殺害しているので求刑無期懲役のところ懲役28年に減刑。そして、神堂と勅使川原は死刑・・・。刑事ふたりの雑談なので、細かなところはよくわからない。和子とみゆきの殺人というのは柏木のことだとおもうのだが、では重則の件はどうなったのだろう。そしてカズヤは・・・?仮にいま狂っていると判断されたとしても、重則死亡時はそうではなかったわけだしな・・・。電気のスイッチを押したのはみゆきだが、もういまとなってはどの段階で重則が死んだのか誰にもわからないわけだし。それとも、現時点狂っていたらとにかく刑務所の前に病院ということになるのだろうか。でもそうなると、あの記録文は証拠というか証言としては信頼のおけないものになるよな・・・。
まゆみは獄中出産したのだろうか。数年後、仮出所かもしれない、まゆみが刑務所から出てくる。ずいぶんやせてしまったようだ。ひとつひとつの行動に自信がもてず、おびえている。切符の買い方さえ忘れてしまった。アパートのテーブルには、3つのぬいぐるみが椅子に座らされている。もう二度ともどってこない家族、重則、和子、みゆきのかわりだろうか。
出所してからの仕事は、どこかのデパートの清掃員らしい。なにか本を読んでいる。最後のページの文句によると、『それでも人生にイエスと言う』という、『夜と霧』の作者、フランクルの講演集らしい。
そうして、沈黙の日々を送っていたまゆみのもとに、丑嶋がやってきた。なんでもない会話がまゆみには久しぶりだ。
まゆみのはなしでは、以前働いていた会社の上司、つまり編集長が身元引受人になってくれたらしい。彼女が本を作る仕事をしようとおもったきっかけは、インフルエンザのときに母に読んでもらった絵本だという。現実よりも世界が広がっていたと。
丑嶋はまゆみに刑務作業の賃金を要求する。神堂に最後に請求した100万、あれは車だけではたりないというはなしだった。たぶんそのぶんをいま回収にきたのだろう。まあ、じっさいはたんにまゆみが心配で様子を見にきただけだとおもうが。
まゆみは、あの決定的な日、丑嶋がいっていたことをくちにする。罪を背負えばやっちゃいけないことはないと。丑嶋は覚えがないとしらばっくれるが、まゆみは、「やはり人には、やってはいけない事があると思います」という。丑嶋はなにを当たり前なことを、というが、これも、丑嶋から教わったことだとまゆみはいう。つまり、じぶんの意志をハッキリ伝えるということ。
まゆみのいう「いけないこと」とは、施設にいる自分の息子を見に行くことだった。息子は、遊具のとりあいで友達と喧嘩している。それを見てすぐわかったという。それは、母親的直感なのか、それとも、気の強さを通して知れたものなのか。まゆみは緊張の面持ちでそれを見ている。どんな気持ちだろう。たしかに、彼は、彼女の子供である。と同時に、あの神堂の子供でもあるのである。
だけれども、心配はいらなかった。彼はすぐに友達と仲直りして笑いあっていたのだ。じぶんよりもよほどたくましいと。
丑嶋に堕胎の金を借りにいったときも桜が満開だった。丑嶋は桜を見上げている。いっとき、悪魔の洗脳で硬直し、まったく見えなくなった世界も、きちんと季節を踏んで進んでいく。理解を絶しながら、それでもふとしたときに温かな他者が、それぞれのしかたで働きかけてくる。そこには世界があり、巡りゆく季節は、たぶんまゆみに主観を超えたイメージ、これからずっと未来も、世界はきちんと明瞭に存在しているということを伝えただろう。ふと、涙を流しているまゆみに気付いた丑嶋は、数年後も健在らしいカウカウファイナンスのポケットティッシュを差し出すのだった。
おしまい。
全37話。洗脳くん編完結。・・・長かった!
しかしその長さも、必然というか、しかたのないところだったろう。洗脳というのは、しているものとされているものをただ呈示してみても、なにも見えてこない。多くのばあい、その両者を見ても、わたしたちは「こうすればいいのに」とか「おれはあんなやつに洗脳されたりなんかしない」とか、そういうことをおもうだろう。僕にも、とりわけ神堂には、苛立ちを通して、そういうことをまず考えた。だが、それこそが、洗脳のおそろしいところなのである。それを、伝わるか伝わらぬか、とにかく描かなければならない。短い描写ではそんなこと描けるはずもないのだ。
長くなったのでふたつにわけます。
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