■『粘膜人間』飴村行 角川ホラー文庫
「「弟を殺そう」―身長195cm、体重105kgという異形な巨体を持つ小学生の雷太。その暴力に脅える長兄の利一と次兄の祐太は、弟の殺害を計画した。だが圧倒的な体力差に為すすべもない二人は、父親までも蹂躙されるにいたり、村のはずれに棲むある男たちに依頼することにした。グロテスクな容貌を持つ彼らは何者なのか?そして待ち受ける凄絶な運命とは…。第15回日本ホラー小説大賞長編賞を受賞した衝撃の問題作」裏表紙より
タイトルにひかれて手に取り、裏表紙の内容紹介を読んですぐ購入を決意した。そして、あらすじからすでにそこはかとなく感じられるすばらしき荒唐無稽さと、タイトルのもたらす不気味さはほんものであり、たいへんな傑作であった。といっても、「日本ホラー小説大賞受賞」という、多少客観的に内容を推定できる敷居はあるにせよ、それでも、万人にむけてすすめられるかというと、ちょっとそれはむりだろう。果てしなくグロく、呆れるほどエロく、正直言って僕は、いちどだけ、夢のなかに登場人物のひとりである雷太がでてきたほどである。以下ネタバレあり。
物語は、溝口家の長男と次男である利一と祐二が、義弟の雷太の殺害を決意するところからはじまる。時代設定は戦前のどこか田舎の村であり、憲兵やさまざまな特殊の語彙を通して戦争と当時の空気感がすさまじい迫力で伝わってくる。雷太は小学五年生の11歳だが、身長が195センチもあり、体重は105キロときている。しかしじっさいの顔つきや精神構造はまだ子供であって、圧倒的腕力を手に入れたあとの雷太は、じぶんの暴力をもってすればどんなことでも可能だということに気づいてしまい、家庭内で暴虐のかぎりを尽くすことになる。コミカルに読み換えることが許されるなら、要するに無敵砲台を装備したスネ夫と同じ状態である。ほんの一ヶ月ほど前のはなしだ。貧弱な兄ふたりが屈服してしまうのはまだしかたないとして、やがて雷太は父親まで暴力で蹂躙してしまう。ふたりからすれば雷太は、父親の再婚相手の連れ子であり、ここまできたら殺害を決意するのにそれほど問題はなかったのかもしれない。しかし、じぶんたちではまったく歯が立たないし、殺人を請け負ってくれそうなそこらへんの大人にたのめたとしても結果は同じことだろう。そして彼らは、誰にたのむのかというと、村はずれに住む河童の三兄弟に目をつけたのである。あの、妖怪の、河童である。河童は力も強いし、なにしろ野性だ。きっと雷太を打ち倒してくれるにちがいない。だがこの河童にものをたのむということがまた七面倒くさく、たのみかたをまちがえると逆に殺されてしまうかもしれない。というわけで、ふたりは、河童という唯一親しい人間であるベカやんから、まず接近することにする。
というようにはなしはすすむ。この時点でだいたい5ページくらいである。余計な前置きはまるでない。いきなり暴力がすべての範馬勇次郎みたいな195センチの小学生が登場し、殺さねばならぬと兄たちがつぶやき、こともあろうに「河童」に白羽の矢がたつのである。すばらしい。
そこから、河童の長男であるモモ太と、その弟であるジッ太、ズッ太が登場し、彼らはこれをうけるのだが、かわりに、村の女とグッチャネをやらせろということになる。グッチャネとはなにかと問われると、モモ太はコピペを読み上げるみたいに毎回同じく「女の股ぐら泉に男のマラボウを入れてソクソクすることだ」と応える。いったいどういう作家的資質をもっていれば、こんなことばがすらすら出てくるのだろう。じっさいにこのようにしゃべっているひとを知っているとしか思えない、ごく自然なしゃべり方である。
そして、そこでふたりがあげた女が清美といい、第2章の主人公である。
ともかく、最初から最後までパラレルワールドといってもいいような、別世界でありながらたしかな手ごたえのある世界が神経質に構築されており、おそらく、時間と嗜好が許せば、一気読みは必至ではないかとおもわれる。ふたりはいきなり河童の名前を出すわけだが、これについて、誰も、そんなもの存在しないとかいう人物が登場しないのである。河童がたしかに、この世界には息づいている。この河童のキャラクターもおもしろい。基本的に、この兄弟や雷太、憲兵や清美まで含めて、深く感情移入できるキャラというのはいないのだが、とりわけ河童はすごい。第1章では、どこで怒るかわからないぶぶんがあるが、第3章では、物語の激しい展開によって雷太と親しくなることになったモモ太の、無邪気というか卑怯というかなにも考えてないというか、独特の個性が、これもまた見て書いたんじゃないかというほどのリアリティで描かれる。
雷太の強さは、さきほど範馬勇次郎をたとえに出したが、ほとんど神話的なものである。そして、小さな弟たちとはいえ、たしかに河童であり、通常の成人男性ではかなわないとおもわれるジッ太とズッ太も、死闘の末、雷太は残虐な方法で殺害し、勝利する。結果が残虐なのは、彼のあたまがまだ子供だからかもしれないが、いずれにせよ、ひととはおもえぬ腕力を宿した小学生と河童の対決という構図にぞくぞくしないわけにはいかず、血なまぐさいたたかいでありながら、そこには神話的な雰囲気さえただよっているのである。それがきわまったのが、物語の最後の場面である。最後の最後で、しばらく仲のよかったモモ太と雷太も、ついに対決することになるのだが、それがはじまる瞬間に、ぶったぎるように物語はおわるのである。「河童」の存在が都市伝説よりもっと身近にあり、そして、195センチの小学生が現実に存在している世界、おそらく創作の過程としては、まずこの神話的キャラクターがあり、そのあとで、こうした神話性の生きる時代として戦前が選ばれた、という順序だろう。すべてを語りつくし、計りつくすことができることを旨とする現代社会では、彼らは呼吸をすることができない。
じっさい、彼らは悪夢の住人である。第2章で、とある事情で清美は憲兵から拷問をうけることになる。彼らは「髑髏」と呼ばれるクスリを用いて、彼女に夢のなかで世にもおそろしい、残虐な死を体験させる。この描写は、僕としてはかつて経験したことのないレベルのおそろしい悪夢だったが、ともかく、この髑髏の二度目の投薬のときの夢に、雷太らしき人物が登場するのである。清美の夢では、現実世界の経験とおもわれるものがさまざまにかたちをかえて再構築され、恐怖の基本になっていく。髑髏の成分そのものに、悪夢のシナリオとなるなんらかの要素が入っているわけではない、クスリは清美を激しく刺激するだけだ。だからあの夢は、清美の内部にあるものの翻訳にほかならない。河童はもちろんだが、雷太もまた、現実世界を基本成分とした、わたしたちにとっての悪夢の住人なのである。しかし、第3章において、いろいろあって記憶を失っている雷太は、実質的にはほとんど無害な存在になっている。そこでもモモ太とともにたくさんのひとびとを残虐に殺害しはするのだが、どこか緊迫感に欠けるぶぶんがある。それはたんに、雷太側にまわったからというだけかもしれないが、いずれにしても、なにか間抜けな滑稽さみたいなものが、モモ太を経由して感じられる。
雷太を暴力に駆り立てていたものは、彼が強大な腕力を宿しているという事実だけではなかった。3章冒頭で雷太もまた夢を見る。夢というか、過去のトラウマ的体験である。その経験が、彼を復讐へ、つまり暴力へと駆り立てる。トラウマ的物語は、本人にはそのままのかたちのものを語ることができない。だが、記憶を失うことで、悪夢としてしか顕現しないこの経験から、彼は一時的に解き放たれているのかもしれない。というより、夢そのものはまだ見ているので、そことのつながりを一時的に絶たれているというくらいだろうか。記憶をなくした現状では、無意識の彼もそこに意味をくみとり行動につなげることはできないのだ。彼と対したときのモモ太も、おそろしい怪物というよりは、なんか間抜けな、やりたくてしょうがない童貞の妖怪という感じだ(第1章でもそうだったけど。そしてそれで大失敗するけど)。
モモ太はキチタロウという、森の主みたいな古い妖怪を崇拝していて、彼のことば、託宣にはいっぺんの疑いも抱かずにしたがう。コピペのような文章、口癖や陰茎などを握る行為の反復なども含めて、モモ太というのは一種の媒体なのではないかとおもわれる。無害で記憶のない雷太の前では、モモ太も無邪気だが、悪夢的な人物のそばでは、同じように悪夢的な存在になりうるのだ。
そして、やがて雷太が覚醒したとき、同時にモモ太もことの真相に気づき、仲のよかったふたりも敵として対峙することになる。記憶をとりもどすことで悪夢の支配下に戻った雷太は、ふたたび、清美の、またわたしたちの見る悪夢の住人に戻ったのだ。この決着は、わたしたちが夢のなかで見るしかないのである・・・。
この作品は粘膜シリーズとして継続されているようだが、登場人物がおなじということではないっぽい。ちょっと刺激の強い小説なので、そんなにしょっちゅうは読んでいられないかもしれないが、いずれ続編も手に入れなければ。
シリーズは以下の順番になります↓
まあ、あんまり関係ないですが
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