今週の闇金ウシジマくん/第270話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第270話/生活保護くん⑱



乗り込んできたオラオラ大学生剛田に人格を蹂躙される佐古彰。

だが、対面的には佐古はレイプされたも同然だが、ネット上に佐古個人を晒すものとしては公開されなかった。佐古は自作のドキューンバスターのスーツをつけていたのである。もちろん、知り合いが見たらこれは佐古だと気づく可能性はあるのだが、いちおう、実名の佐古彰は侵されていないというふうにいっていいとおもう。

つまり、ここで敗北を認め、剛田にはいっさいかかわらないと決め込んで、ネット上からドキューンバスターとしての姿を消せば、一連の出来事をキャンセルすることはできる。

しかし佐古はそうしない。べつのカメラで撮影していた、人格破壊の暴力を受けている場面を、彼は公開するのである。


カレーを食べた剛田と猛志は、じぶんたちのアップした動画の反響をみようと掲示板を開いて、そのメイキングが流されていることを知る。掲示板の住人は現金なもので、ふたたび佐古を「ネ申」と讃え始める。

今度こそ剛田はアウトだ。近くの工事現場みたいなところから金槌を持ち出し、「脳みそをひきずりだしてくる」と、佐古の家に戻っていく。


佐古の語りはまだ続いている。この時点ではまだ書き込みということでいいのだろうか。匿名の住人たちは調子にのって佐古をおだてるが、佐古はドキューンバスターはもうおしまいだという。おばあさんを騙して金をとるという行為に、利用されたとはいえ与してしまった。正義の資格はない。やがて住人たちの態度も徐々にかわっていき、けっきょくのところ他人事として楽しんでいるだけだということがよく伝わってくる。



「面白半分でやっちゃだめなんだ。


人の人生を左右してしまう行為は自分自身も背負わなきゃダメなんだ・・・」


「・・・だから俺は勇気を振り絞って実名と素顔を晒す・・・


俺の名前は佐古彰。生活保護者(なまぽ)だ。


ドキュンバスターは今夜でおしまいだ」



どこからそうなっているのかはよくわからないが、動画の中継をはじめたらしい。そのカメラにむかい、佐古はダンボールのマスクをとって素顔を見せる。そして生中継が始まったことを猛志が剛田に伝える。剛田はもう家の前まできていたのだが、殺人まで中継されてはたまらない。ふたりはあきらめて帰っていくのだった。


生中継で素顔と実名を晒したのである。ネット上の反響はすごい。めしあもそれを知る。だが佐古の表情はうつろだ。会話が成り立っていないと、まさに文脈をもたない語り口をしていためしあがいう。

佐古は、めしあのことはほんとうに親友だとおもっているし、出会ってから人生が輝きはじめたと、パソコンの画面を通してめしあにいう。だがひとを騙す行為は許せない。泣きながらそういう佐古を、うしろからとらえているカメラがある。おばあさんたちも同時にスカイプしてふたりのやりとりを見ていたのだ。とにかく、ちゃんと金を返させなければならないという佐古の決意のあらわれだ。佐古をはさんで、おばあさんたちとめしあのあいだに緊張が走るが、いちおう、警察に走ったりはせず、合計58万、返してくれることを、おばあさんたちは信用してくれた。だがめしあはそれをクスリの仕入れにつかってしまってないという。全額返済の実績がない佐古には丑嶋さえも貸してくれない。佐古は勇気を出して、3年ぶりに親に電話をする。あれほど、頼ることをおそれていた親だ。貧乏して、生活保護を受けて蔑まれても、親には頼らなかった。なにがあったか、くわしいことはわからないが、親に頼らないことにはそうとうの決意があった。それを覆すということは、佐古にとって、おばあさんたちとの信頼関係が、これからのじぶんにとってもっとも重要な人間関係のかたちの最初の実現だということが、わかっているからだろう。


だが、こちらがくちを開くまえに母親からある事実を聞かされる。ちょうど、久しぶりのこの電話の前日、父親が癌で亡くなったというのである・・・。



つづく。



なんともあつい展開だ。

佐古は今回、DQNバスターの仮面をとって素顔を晒したが、その顔に、これまでずっと彼の姿を見てきた僕ですらが、あまり親しみがないことに気づいた。おもえば、彼は普段からマスクをしていたのである。まっすぐに彼の素顔が描かれるのは、もしかすると初めてなのかもしれない。


佐古の悟り、変化を、どのように見ればよいだろうか。

佐古のこれまでの正義は、匿名の覆いのなかに隠れながら、小物とはいえたしかに悪党である剛田の悪事を暴くものだった。

だが今回、佐古は、そのことのリスクを、重みをくちにした。ひとの人生を左右することは、たとえ悪党のものであっても、自分自身背負っていかなければならないものだと。

どうやって佐古がその悟りに到達したかというと、これはやはり、北国での労働での気づきが大きかったとおもう。

生活保護くんとしての佐古は、みずからの存在が量的なものに計量されるという苦しみのなかにあった。

痛みがあり、苦しみがある。とりわけ佐古のものは、精神的にショックをうけるとおしりがゆるくなるという、じつに地味な、わかりにくいものであった。

そうした痛みや苦しみは、一般論として、あるべつの他者が、佐古の身体機能を通して感じることのできるものではない。彼を、というかにんげんを、「関係」のなかであつかうシステムは、彼をただ量としてとらえるのであり、そうした彼固有の事情を顧慮するものではない。そこに、「理解されない」という叫びが生じてくる。

そうして、困窮をきわめた佐古は生活保護を求めるのだが、じつはあの申請を通す過程そのものが示していたように、生活保護というシステムもまた、彼を量でとらえるものであった。大きなものさしとしての制度が、権威が、彼の痛みを測定し、いちどははねかえし、二度目には恣意的な理由でこれをはかりなおし、受給にあたいするものと判定したのである。これが「制度的共感」である。システムは、制度は、決して、彼の「固有の事情」を考慮して、生活保護申請を通したわけではない。あくまで制度のなかにあるものさしが、おおよそこのようなものであろうと推測して、ちょうどわたしたちが他者に対してするように、じしんの記憶を参照して、判断しただけなのである。だから佐古は、量としてはかられることを拒みながら、そのさきでけっきょくは数字におきかえられることを受け容れてしまっているのである。もちろん、わたしたちは多かれ少なかれ「計量」されている。しかしここで佐古には、大きな矛盾が、このようにして生じているのだ。

このねじれは「匿名」と「実名」の問題にも起こっている。めしあやののあの文脈をもたないことばづかいについてはずっと前に指摘した。彼らのことばは、散発的で、刹那的で、無責任である点で、じつに匿名的だった。佐古がののあのかわりに借金をすることになり、返してくれる約束がまったくなかったことになっていたところなどが、まさにそうだった。「約束」は、現在ここにこうしてあるわたしではない、過去や未来のわたしがたしかに同一人物として存在していたことを証明するものである。しかし、少なくともののあにとって「約束」などなんの意味もない。

「匿名」と「実名」のちがいは、表層的には、じっさいの氏名とか素顔が公開されているかどうかということだが、おそらく、少なくともこのおはなしの構造的には、そうした「返っていく場所」、つまり文脈をもつかどうかということなのではないかとおもう。

佐古の正義には、純粋なもの以外に、自己顕示というか、承認欲求みたいなものがたしかにあった。にもかかわらず、彼は匿名から脱しようということにはぜんぜんおもいあたらない。この構図は、まったく、「理解されない」と叫びながらすすんで生活保護にむかう姿と同形なのである。


佐古の労働を通しての悟りは、「まず、労働がある」というところにはじまっていた。くわしいいきさつはくりかえし書いてきたので省くが、佐古は、労働があって、そのさきにおもいもかけず給与が発生するという、原始的な労働の発生を体験したのだ。ふつう、わたしたちは、すでに活発に機能している労働の構造のなかに、いきなり量として投げ込まれる。それをどうとらえるかは個人の哲学の問題だが、ともかく、佐古はこの体験を通して、ひとの存在価値、すなわち、社会の地図のなかに占める面積・量に、ふさわしい金額が与えられるのでなく、実名的な佐古個人への返礼として給与が発生するという原初的なかたちを知ったのである。たぶんこれが、佐古が信頼関係とかそういうことばで表現しているものだ。おばあさんたちは、佐古個人の人格を信頼して、今回も許したのだ。実名として動くことで、佐古には信頼関係の重みがのしかかり、親友の悪事も解決するためにいろいろ働かなければならない。だが少なくともここに矛盾はない。「どうして誰もおれ個人をみてくれないんだ」といいながら匿名のマスクをかぶりつづけるといったねじれは、ここにはないのである。


佐古の本心としては、生活保護から抜け出したいということがあった。だが彼の弱さが、ねじれを抱えたまま生きるという道を選ばせ続けていた。しかし、この労働の経験を通して、見通しがよくなったはずである。わたしたちはいつでも計量されている。だがそのシステムの最初には、たぶんこうした信頼関係があって、そのうえで、それは成り立ってきた。佐古はこの視点を匿名・実名の問題にも持ち込んだのだ。というより、つまり、この件に労働の経験を応用したというより、彼はこの事件を通して、計量されるものとしての生活保護くんからの決死の脱出をはかったのだ。


今回佐古は勇気を出して親に電話をかけたのだが、父親は癌で死んでしまった。3年も連絡をとっていなかったというから、病気のことは知らなかったのかもしれない。しかし、佐古の目覚めと父の死が同時に起こったというのはなにか象徴的だ。佐古はもともと親に頼らず生きてきたが、彼のこれまでの痛みの原因が親にあった可能性もある。交流はなくとも、親の存在が、佐古を生活保護くんたらしめていたのかもしれないのだ。いよいよ、次回は佐古が大きく変身をするのかもしれない。





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