■ 『東京震災記』田山花袋 河出文庫
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「1923年9月1日、関東大震災。地震直後の東京の街を歩き回り、被災の実態を事細かに刻んだルポルタージュ。その時、東京はどうだったのか。歴史から学び、備えるための記録と記憶」Amazon内容紹介より
田山花袋による関東大震災の記録。
田山花袋といえば『蒲団』『田舎教師』などが圧倒的に有名だろう。
明治期の自然主義を代表する作家であり、「露骨なる描写」の思想のもと、告白的に実体験を暴露するという方法をとった・・・というのは文学史的な知識であり、僕は読んだことがない。「そんなことはない、おまえの勉強がたりないだけだ」といわれるとおもうけど、「みんな知ってるけど読んだことはない」という、あんがいそういう作家かもしれない。長い小説ではないし、いつか読もうとは何年も前からおもい続けているのだけど、まあいまはいいや、というふうになってしまう・・・。たんじゅんなファンタジーを求めるかぎりでは、自然主義と対したときたいてい「まあいいや」となってしまう、というところかもしれない。まあ、要は怠けてるだけなんですけど。
ともかく、田山花袋といえば伝説的作家、僕なんかでは語るのもおこがましいというくらいの小説家なわけだが、石井光太の解説によれば、日露戦争以来田山花袋にはルポライターとしての側面もあったということである。自然主義の衝動がどういうところからやってくるのかわからないが、いまこうして生きている、息をしている、たしかにそこにあるとおもえる世界の現実に根ざしているという点で、ここに矛盾はないとおもう。ルポライター的ふるまいも、広くみれば小説家的な衝動によるものなのだ。
本書の刊行は2011年の夏、東日本大震災のあとのことだ。もちろん、そういう意図で復刊されたものだとおもうのだけど、こんな感想はまったく凡庸だとおもうが、まるで田山花袋がいまを生きていて、東日本大震災を取材しているのではないかという錯覚を覚えた。もちろん、状況はかなりちがう。関東大震災ではまず火災による死者が圧倒的だったようで、その描写はじつに生々しい。あちらでもこちらでも火の行方が語られ、多くのひとが火に囲まれ逃げ場を失って焼け死に、東京は一面焼け野原となってしまった。津波の被害はなかったのか少なかったのか語られないし、もちろん原発もない。にもかかわらず、そこで起きていること、またそこに対したときのひとびとの情態の形状は、既視感を覚えるものなのである。特に、地震や火災そのものではなく、そこから派生する疑心暗鬼の感情や不安など、ほとんどそのまま現代のわたしたちの心象といったふうにおもえる。
震災後にあまり変化のなかった文壇について、田山花袋は次のように書いている。
「しかし、何処かにその影響は残っていはしないだろうか。あの当時に巴渦を巻いた物質の平等と心の平等とは何処かに貴い印象を残して行っていはしないだろうか。私は文壇の中心思想にもそれが一衝動を与えて行ったに違いないということは、その時にも思い、先月あたりにも思い、今も猶お思っているもののひとりであった。私はその時以来、解剖とか観察とかいうものの必要であることを再び痛切に感じ出して来た」236頁
「すべてがすっかり変わってしまった」という実感があることと、皮膚的な現実がそれ以前とまったく変わっていないという実感は共存しうる。ここにはおそらく、田山花袋じしんの願いとともに、そう語られることじたいのうちに、そのことが含まれて示されているのだとおもう。
そうはいっても、田山花袋も、失われた風景のなかに失われたじぶんを感傷的に思い返す。震災で世界の見え方はすべてのひとにおいて変わってしまった。以後の地点からすれば、以前のふるまいはどれも無知蒙昧で、単純で、幼いものであるのかもしれない。しかし、そうした外的な衝動が目を覚まさせ、それ以前がまるで盲目であったかのように感じるという経験は、以後においていまもたしかにあるわたしもまたそうであるのではないかという推測を誘う。そうした諸行無常の直観が、震災とは関係なくすでに失われてあったものにまでおもいを誘うのだ。
しかしいずれにしても、わたしたちは生きていかなければならない。だから、文壇に対する意見において、実感よりもむしろ願いが先行するように書かれているのかもしれない。「変わってしまった」と感じるかどうか、あるいはどう変わるかではなく、変わっていくことそれじたいが、日常を続けていくうえで重要なのであって、そうしなければ、震災によって景色が変わるという単純な経験が発見させた世界のふたしかさみたいなものに対抗できないと、そんなふうに考えたのかもしれない。
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