2012年、あけましておめでとうございます。 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。



今年の初笑いはYOUTUBEの猫動画だった。
ほんとう、やってくれるよこいつらは。









年越しは、自宅で家族とすごした。
仕事を終えてからいったん相方の家に挨拶に行き(だいぶ顔出してなかった)、完全にできあがっている彼女の愉快な兄と酒を飲み、急いで帰宅。吉田類の酒場放浪記を見ながら2012年をむかえた。

忙しくてそれどころではなかったのだが、気持ち的には、できるだけ楽しく新年をむかえたかった。
それは、「忘年」とはちょっと異なる心理で、ポジティブな「物語の終焉」というのがあってもいいのではないかとおもったからだ。
僕たちは去年、大きな物語の終焉を体験した。そしていま、その後の物語を生きているものでもある。
物語は、終わったあとではじめて鳥瞰的に語ることができるようになる。進行中の物語の登場人物は、じぶんがいまどのような展開のなかにいるのか、正確に言い当てることができない。仮になんらかの偶然で「正解」をあてても、内部から発話されている以上、批評的言説にはなりえない。
そういう物語はたいてい「崩壊」するので、それを望んでいたものでさえも、なにか悲壮感のようなものを語り口にたたえることになる。「物語の崩壊」は諸行無常の感覚を含むのであり、「たしかなものなんてなにひとつない」という感懐を起こすのである。

しかし、考えてみれば毎年経験している越年ということも、一種の「物語の終焉」なのではないだろうか。
年を越すことで、わたしたちは前年がいったいどういう年だったのか、正当的な語り口ではじめて語ることができるようになる。
この「物語の終焉」は歓迎されるものなのであり、なんとか無事に「終焉」させ、しかもそれを語る「語り口」が手に入ることが、わたしたちにはめでたいのではないだろうか。
わたしたちは冷静に当年を分析するために、必死で一年を生き抜いて、無事に来年を迎えようとするのだろう。


今年もいろんな目標があるけれど、とりあえずは、去年に引き続き、筋トレをしっかりやって、たくさん本を読んで、さぼらずブログを続けて、余裕があれば論文やなんかも書いて、お金を貯める。

具体的には、筋トレでは、去年果たせなかった二本指立て伏せ100回だ。ほかになにもやらなければ、ちょっとがんばればいまでもできてしまいそうだが、できれば、通常の筋トレのなかに組み込んで、ふつうに毎日できるくらいになってはじめて達成だとおもう。
読書に関しては、昨年が40冊だったので、今年は50冊を目標にしようか。これもちょっとがんばればできてしまいそうだが、今年も哲学系の本が多くなりそうなので、こればかりはわからない・・・。



というわけで、今年もてきとうによろしくお願いします。