■『道徳の系譜学』フリードリヒ・ニーチェ著/中山元訳 光文社古典新訳文庫
- 道徳の系譜学 (光文社古典新訳文庫)/フリードリヒ ニーチェ
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「ニーチェが目指したのは、たんに道徳的な善と悪の概念を転倒することではなく、西洋文明の根本的な価値観を転倒すること、近代哲学批判だけではなく、学問もまた「一つの形而上学的な信仰に依拠している」として批判することだった。ニーチェがいま、はじめて理解できる決定訳」Amazon商品説明より
バタイユ‐ブランショという、僕にとってこえがたいラインがあり(半年ほどそのことは忘れていたが)、そこをどうにかして突破するために、とりあえずニーチェの有名なところをぜんぶ読んでしまおうと去年の暮れあたりに考えた。というのは、バタイユの論文にニーチェの影が見え隠れしているというのもあるし、たんじゅんに、このひとくらいのものを新書でかじったくらいではダメだろうというのがあったからだ。ちょうど、たとえば、日本の教育について語るときごく自然に福沢諭吉の文章が引かれるように、ニーチェはほとんどすべての知的な領域における基本のように、僕にはむかしから感じられていた。たぶん、算数を学習する過程で誰もが九九を暗記するように、「細かいことはいいから読んでおく」というしかたで、通過すべき人物なんだろう。だけど、僕のばあいでは、いびつというか稚拙というか、そうはならなかった。
というわけで、ニーチェがどんな感じの哲学者であるか、竹田青嗣の「ニーチェ入門」を読んでいたこともあり、おおよその外郭は、つまり「高橋源一郎ってセックスのはなしばっかり書いてるひとでしょ?」という程度には、知っていた。論文じたいも、ブランショとかと比べればというはなしだが、いくら読んでも理解できないというほど難解なものではなさそうである。にもかかわらず、僕はずいぶん、この一冊を読むのに時間をかけてしまった。もちろん、ほかに読まなきゃならないものがいっぱいでてきたというのもあったのだけど、まずいえることは、とにかく、学術論文の類とはおもえないほどの、なにか熱っぽさである。読んでいてとにかく消耗し、肉体的に疲れてしまうのである。いわゆる「難解な哲学論文」を読むときの疲労とは明らかに別種のものである・・・。
というのはまあ言い訳だが、とにかく、語り口は扇情的であり、他者の蒙昧に対する強烈な怒り(といっていいとおもう)は、僕くらい年をとると「ふう疲れる」くらいのものかもしれないが、中学生のときなんかに出会っていたらたぶんたいへんなことになっていたんではないかと想像する。それくらい、パワーのある、カリスマ性すら感じさせる語りだ。善悪の起源など、じつにニーチェ的というか、はっとするくらい鮮やかなはずなのに、ぜんぜんそんな感じはなく、むしろ泥臭い。生き方そのものに根付いた、思弁的ではない、フィジカルな哲学、そういう感じがする。だからこそ、そこには感情が、怒りが伴っているのだ。のちの知の巨人たちがなぜニーチェにひかれ、参照するのか、それはたんに、このひとにおける、同時代のことばでは原理的に語りえないことを語るその手法や、またそこから導かれた発見に、価値を見出しているだけではなく、その泥臭さになにか不動のものを見出し、精神的なよすがにしようとしているというようなところもあったのかもしれない。
つぎは「悲劇の誕生」あたりを読もうかとおもっているけど、わからない、ニーチェはとりあえず満腹という感じもある。とりあえず読みたいものはぜんぶ入手して積んであるので、様子を見ながら読みすすめていきます。
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