評論、はじめました | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

ツイッター にはうじうじ書いていることですけど、いままとまった量の評論を書いているところです。

評論といっても、べつにおおげさなものではない、いつもブログに書いていることを一本にまとめているだけ。

できあがったら、どこかに送ろうとおもっているけど、評論の新人賞っていうのはほとんどないので、どうしようかなーという感じです。

だから、べつに画期的なおもいつきがあって、これを書けば世界が獲れるとか、そんな野心をもってすすめているわけではありません。もちろんそういう感情もゼロではないけど。

それよりも、僕も27歳だし、小説がうまくいかなくて、勉強のためにはじめたブログももう5年くらいやっていて、そろそろ、かたちにしてみるのもいいんじゃないかというふうにおもったのです。

ブログをはじめる前は、小説を書いて、新人賞に投稿するということを、たいへんな情熱をもってやっていた。

しかし、送るもののどれもがせいぜい二次選考どまり、ほとんどが一次選考落ち。

じぶんの書いたものを読み返すことはいまではしないが、しかし記憶のなかのどれをたどってみても、顔が真っ赤になるくらい未熟で、読めたものではない。二次選考だってほとんど奇跡、あるいはなんかの事故だったんではないかといまではおもっている。

なんにしても、そのじてんで、僕の自信という自信は完全に崩壊し、世にいう「充電期間」をもうけて、「未熟なのだ」と言い聞かせて、その場をしのぐしかありませんでした。

今回は評論を書くけど、それはそれでよいのではないかとおもっています。

少なくとも、そういう「場」におかれる文章ではないから、自由自在に書けて、なおかつ、その文章が与える意味ということについてそこまで考えなくてよい、簡便さのきわみといっていいようなこのブログというメディアで、僕は、文章を書くことが好きなのだということを改めて知った。これが仕事だったら、こんなふうにいきいきと、自分勝手に書いていくことなんてできないにちがいない。

このまま不定形にブログを続けていくのはそれはそれでかまわないけど、しかしそもそも、「未熟なのだ」ということではじめたものなのだから、なんらかのかたちを示していかないと、やっぱりここも、存在矛盾を抱えたうつろなものになってしまうんじゃないかとおもう。

ひとつの文章を書き、それ以前と以後とでじぶんのなかのなにかが変更されている。更新されている。

小説にせよ、批評にせよ、文学や哲学の畑の、書く側のにんげんにとっては、それがもっとも重要なんではないかとおもう。

だから、僕は、次の段階にすすむために、緩慢な坂も充電にはよいけれど、確実な一段を、踏もうとおもうのです。

ってそんなおおげさなことじゃないんだけど。ただブログに書いてることを丁寧に書いているだけ。

しかしその「丁寧」っていうのが、なかなか難しい。以前書いた記事を引き継いで考察を続けるという、読者に甘えたブログの語り方に慣れてしまっていて、いちから説明するというのが、けっこうな枚数を要するのです。まあ、四年も五年もかけて考えてきたことなんだから、当たり前だけど。

たしか今月のあたまに始めて、寝る前にちびちび書き進めてきているので、もうだいぶすすんだけど、けっこうおもしろいんじゃないかなーというふうに、じぶんのある面は評価している。しかし同時に立ち上がる、どう読んでもゴミクズであり、文系の大学生のレポート以下であるという冷静な分析も見逃せない。このようにして、自己評価というものはまったくあてにならない。希望も含め、じぶんの信じていることがじぶんの読みやすい文体で書かれているのだから、本人がおもしろく読むのは当然である。しかし、ある程度の経験を積んだ僕という評者からしてみれば、凡百の書評ブログとなんにも変わらないのである。

そういうわけもあり、評価はあとまわし、次の段階にすすむそれだけのために、禁欲的に書いてみようと決めたわけであります。