第253話/超えられぬ父
バキは勇次郎の急所をねらわないと決めた。親子喧嘩だから。
勇次郎のほうでも、バキへの攻撃は「お仕置き」に読み換えられる。
だから、勇次郎としては、「手加減をする息子」を許せたものではないのだが、結果としては、お互いはいわゆる闘争をしていない。
バキのほうはよくわからないが、勇次郎は手加減について怒っているわけだから、積極的に「仕置き」ということばをつかっていることからみても、「親子喧嘩」の文脈でもバキは手加減をするべきではないと考えていることになる。ただ、みずからが演じる親子喧嘩のシナリオの美的観点から、なんでもいいから理由がほしかっただけかもしれないが。
したがって、現在の攻防・・・というか勇次郎のふるまいは、「親子喧嘩のありよう」についての衝突が原因であるということになる。
「親子喧嘩」とは、ひいては、「親子」とは、こういうものである、その考え方の、張り合いなのであり、この衝突がそのまま、「親子」のなんたるかのあらわれになっているのだ。
これから親子喧嘩をしよう・・・と合意を形成するじてんで、この喧嘩は定型を出ず、ことばにかんじがらめになって身動きがとれなくなっていたバキが本来必要としていた突発性からは遠ざかってしまう。
しかしいざはじめてみると、前提となっていた条件についてどうもかみ合わない。
そうして、勇次郎のいう「お仕置き」がはじまる。
この点では、突発的なのである。
最初から彼らが「親子喧嘩」を志向していて、げんにいま親子喧嘩が起こっているからわかりづらくなる。
たとえば、息子が父親に、いまの彼女と結婚することにした、と報告したとする。
ずいぶん急なはなしだなと、父親はいぶかしげに息子の表情を探る。間髪いれず、息子は、だってできてしまったからと応える。
父親が怒り出す。物事の順序というものをわきまえていないとか、お前はまだまだ子どもだとか、父親という役割をわかっていないとか。
対して、感情的になった息子は、責任はとるつもりである、いちいち文句をいわれる筋合いはない、結婚するのはじぶんで、あなたではない、とかなんとか、生意気なことをいいはじめる。
そうして、突発的な喧嘩がはじまる。
結婚をめぐる価値観の衝突である。
今起きていることも、彼らが「親子」の初心者であるがゆえに一歩もすすまないというだけのはなし、その意味ではすでに親子喧嘩であるのかもしれない。
ただ、この父親と息子なら、言い合いか、せいぜい組み合って、母親がとめに入り、ふたりを正座させるかもしれないところが、今回は範馬親子の喧嘩であるというところが、まったく常識の通用しないところである。
拳骨をくらってふらふらのバキの背後に、勇次郎の蹴りが迫る。
後頭部をねらったものかとおもったが、蹴りは脇のあいだにはさまれる。
まあ、急所ではない。勇次郎もまた、じしんが定めたルールにしたがい(おたがい“じぶんは”手加減をする、ということは同じ)、急所ははずしているようだ。
だが、勇次郎の蹴りである。極真会館の黒沢浩樹の下段蹴りは1.4トンの威力があったというが、勇次郎ではいったいどれほどの重さになるのだろう。あまりの無力感に、バキは新生児の心境に陥ってしまう。
ちょうどエスカレーターのうえにふっとんだバキはそのままうえまで運ばれていく。てっぺんにたどりついたバキのもとに、勇次郎は助走なしの2歩でたどりつく。
信じられないものを立て続けに目撃した総理大臣は、空挺団の出動を要請する。一般民の避難のためだとおもうが、総理はけっこう混乱しているようだし、へんな命令を出さないか心配だ。
うえでは親子のやりとりが続く。
「かつては・・・
女子供の技術(わざ)と貶めたものだが・・・・
制裁時(こういうとき)には
都合がいい」
鞭打をやる気である。
登場するのはこれで三度目だったかな。
どんなにぶあつい筋肉でからだを覆っても、皮膚は鍛えられない。
鞭打の前では、からだの全面が急所となる、そういう理屈だった。
バキも幼いころこれを学んでいたので、柳の技をあっさり見抜き、じぶんもやってみせた。
だけれど、痛みを乗り越えられることができれば、威力そのものに殺されることはない。
げんにバキは、梢江との愛を知ったばかりだったので、ぜんぜん大丈夫そうだった。
勇次郎もそのつもりでこれをつかう。
バキは、よけないのか、よけられないのか、よくわからないが、背中にこれをくらう。痛みが伝わるあいだのほんの数瞬は、反撃ではなく覚悟にばかり費やされ、やがて痛みがやってくる。予測をはるかに上回る痛み。「闘うどころではなく」、バキは絶叫して、床を転げまわる・・・。
つづく。
わかってたけど、すごい差だ。
しかも、勇次郎はともかく、バキも急所をねらうつもりがない。
もしこれがふつうの闘争なら、スーパー範馬人とかに目覚めないかぎり、バキはどうしようもないだろう。
しかし、これはいちおう親子喧嘩のシナリオを採用した、いわば即興芝居だ。これからさきどうなるかなんて、作者だってわからない。たぶん。
しかし、おもえば、この「抑制されたたたかい」というのは、烈がボクシングで経験していることにかなり似ている。
烈ほどの達人がいまさら街場のボクシングジムでいったいなにを学ぶのかと、僕はおもっていた。
だが、そこを出発点にして、けっきょくは、烈はスモーキン・ジョーという強敵に出会うこととなった。
制約のなかでたたかうということはたんじゅんに数量的に想像されるよりずっとたいへんなのだ。
10のことをできる人間が、5以上の行為の許されない場所にやってきたとする。相手は3のことができる。
戦力を、人間の「ふるまい」というものを計量可能なものと考えれば、この10の人間は5のことができるはずだから、勝てるはずである。しかしそうはならない。10の場所は、5の場所に5を「加えた」ものではないのである。キックボクシングが「グローブつきで顔面パンチありの空手」ではないのとおなじ理屈だ。同じボードゲームだからといって、将棋のチャンピオンとオセロのチャンピオンの実力は比較できないのである。
はなしはずれたが、烈のいた「なんでもあり」の世界とボクシングが比較できないのを踏まえたとしても、しかしあれほどの苦戦は意外だった。そして、いまおもうとあれはなかなかいい試合だったかもしれない。
そうして、この親子喧嘩でも、ふたりは制約に、ことばに、しばられまくっている。
それは、ぜんたいとしては親子喧嘩という台本であり、結果急所をねらわないという、みずからに課したルールまで出て来た。
両者が親子喧嘩を無意識にずっと求めていたのではないかということは何度か書いた。
だから、この点に関しては合意がなされているとして、つまり破られないものとして、だとすれば、烈の例を見てわかるように、勇次郎がなんらかのひょうしに制約(ことば)にとらわれてつまづく、ということもありえないはなしではないかもしれない。そんなような気がしないでもない。とおもう。
とにかくいまは、空挺団のひとがよけいなことをしなければいいなーという感じだ。勇次郎がせっかくご機嫌に怒っているのだから、水を差さないでください・・・。
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