第251話/真・親子喧嘩
ついについに、範馬勇次郎と範馬刃牙の最強親子喧嘩がはじまったのだった。今回も大増量60ページ巻頭カラー。
前回の記事はこちら 。たいしたことは書いてありませんが、前半に「バキ」という物語の構造、そしてここまでの過程の成り立ちを、分析というほどのものではありませんが、だらだらと記してあります。
僕は絵に関しては不能も同然だからたしかなことはいえないが、前回も今回も、ちょっとむかしの絵みたいになってる気がする。今回の展開はスタッフとも編集ともいっさい打ち合わせをしていないらしいし、おそらく作者じしんのなかでも、自身に対しての打ち合わせをしていない、即興的なものである。もしかすると今回は絵に関しても、ぎりぎりのところまでひとりでやっているのかもしれない。
親子喧嘩は、ことばとしてはごくふつうに、「お仕置き」の名の下に開始された。吹っ飛ばされたバキは壁を破壊してとなりの部屋まで転がり込んでしまう。場所はレストランみたいなところで、多くの一般人が平穏に食事をとっていた。そこへ、「壁が穴を開けて壊れる」というまず見たことがない景色とともに少年が転がり込み、続けて異様な風体の大男が、悠揚とした態度でやってきたのだった。
彼らは即座に、さきほどから感じられた異状、怒声や破裂音、ガラスや壁の破壊が、すべてこの色黒の男によるものだということを確信する。同時に起きた地震も・・・?というような常識はずれ疑念にも傾きかける。ただの親子喧嘩、せいぜい邪魔しないように周囲を広くとるくらいでじゅうぶんのはず、機動隊や空挺部隊、警視総監や総理大臣、果てはアメリカ大統領まで出てくる意味がどこにあるのか、身体的にはよくわからなかったのだが、そういうことなのだ。生身の単体とはいえ、地震をとめたりおこしたりということがもしかするとできるんじゃないかと周囲に疑わせるくらい、常識はずれの、ということは語りつくせない、想定しつくせない男なのだ。とすれば、お役人のありようとしては、これはどこまでも正しいものだったのだ。
立ち上がったバキはすばやく勇次郎の顔面に掌底をくりだす。しかし勇次郎は、なんか周囲のひとに「親子喧嘩」を主張しながら、のばした右手であっさりこれを覆し、バキの顔を正面からまるごとつかんで持ち上げる。そうして近づくのは、また窓ガラスである。バキの後頭部が徐々に加わっていくちからでガラスにひびをいれていき、現場にいたなんか聖職者っぽいひとはこの父親の背中に後光みたいなものすら感じとる。
そうして、最後に勇次郎がちからをこめる。もちろん、ガラスは割れる。バキは落ちる。なぜか勇次郎も落ちる。押し込んだ手をぜんぜん戻さないのである。ものすごい高所である。200メートルくらいあるのかもしれない。わからないが、もはや助かる助からないというレベルではない、原型をとどめるかとどめないかという次元におもえる。
下からぼんやり眺めていた総理大臣や機動隊員の顔から血の気がひく。バキだってつっこむ。混乱した意識のなかで、とりあえずふと浮かんできた「無理心中」ということばの否定だけが必死で行われる。
そして、なにをしているのかはわからないが、勇次郎はなにやら手やあしの先を動かせてからだをコントロールしている。
「刃牙・・・
着地の
準備だ」
バキは後ろ向きに落ちている。いまどの程度の高さにいるのか、どこに落ちようとしているのか、わからないにちがいない。あるいは、そう考えた父の優しさだ。ともかく、こうなってしまったからには、いかに無意味に見えても、やるしかない。バキは後頭部に手をあて、受身の体勢に入る。
そしてふたりは、総理大臣の高級車に落下する。車は大破、ふたりの安否はまだわからない。
ここで、空挺団の加村秋男という男が登場する。降下回数345回、要するに落下のプロである。
そうして、彼に問われるのは、「高層ビルからの目標物への着地は可能なのか?」ということである。
このひとがいうには、高さが必要であるらしい。高ければ高いほど、空中にいる時間は長くなり、移動できる余裕も増すことになる。150メートル以上あれば、とりあえず生死はともかく、一台の車を狙って落ちることは可能だと。
そして、車両へ落下することで一命をとりとめたという例もあるにはあるらしい。この問いの順序というか、展開が、おもしろい。ふつう、こんな状況なら、「高層ビルから落下して生き延びることはできるのか」という問いに対した「車のうえに落ちて助かった例がある」の答えののち、「では一台の車を狙って落下することはできるのか」という具合にはなしはすすんでいくだろう。もちろん、進行上の便宜であるにはちがいないだろうけど、いずれにせよ、ここに漂っている空気は、高層ビルからの落下の奇妙な日常感である。ふつうは生死が最優先で確認されるところが、生きるか死ぬかはとりあえずおいておいて、一点を狙った落下は可能なのかという技術的な問いが自然と先にたつ、そんなたたかいなのである。
そして、ふたりはもちろん生きている。勇次郎はバキの顔面をつかんだままふつうに立ち上がり、軽口すら叩く。まあ、雷が大丈夫なひとだからなあ。
バキは目をつぶっている。だが、勇次郎は、バキがこの程度で倒れないことを知っているピクル戦での落下をおもえば、いくら車がクッションになったとはいえ、気絶していてもなんの不思議もないとはおもうが、勇次郎はそう信じている。そして、事実バキは起きている。
「起こしてよ・・・
動けないんだ・・・
起こしてよ」
勇次郎は舌打をしながらも左手をのばす。ということは、バキのことばを信じたのだろうか?
瞬間、勇次郎の手を強くにぎりしめたバキが奇襲をかける。右の張り手だ。
左手の握手は決裂や侮辱を意味するらしく、失礼なことらしい。とはいえ、これは父親の好意である。攻撃と同時にバキのこころには気後れだとか達成感だとかいろいろな感情が飛来する。
しかしそれらを覆すほどの強烈な岩のイメージ。範馬勇次郎をひっぱたくということ。ましてや、卑怯な手をつかって、彼の好意をだいなしにして、奇襲をかけるということ・・・。誰にでもできることではない。「奇襲」じたいが、相手が勇次郎とあっては、条件がととのってもできることではない。
怒った勇次郎のまた張り手がバキの頬ではじける。そのままあたまがふっとんでもおかしくないようなおそろしい一撃であり、バキはまたホテルのなかまでGIジョーのようにふっとんでいく。
倒れるバキに迫る勇次郎。ここで、なぜか機動隊がとめにはいる。彼らの仕事は、邪魔をすることではなく、つまり喧嘩をとめることではなく、一般人を彼らから守ることである。上階ではすでにおなじことが起こっていたのだが、今回彼らははじめてそれを目撃することになった。だから、これを静止しようとするのである。
だが勇次郎の迫力を前にして、機動隊は盾も放り投げて文字通り蜘蛛の子をちらすようにその場から逃げ去ってしまう。
なにか妖気のようなものさえ感じられる勇次郎の肉体は、優しく触れるだけで、ただ歩くだけでガラス窓を粉砕してしまう。
ぐったりしているバキに勇次郎がはなしかける。どうも怒っているのは不意打ちのことではないらしい。バキが、チャンスでありながら、急所を狙わない張り手をしたこと、手心を加えたことに、怒っているらしい。
勇次郎がバキの頬をつねりあげて、そのまま引き起こす、お仕置きはまだまだつづくのだった。
つづく。
まったく、すごい展開である。
このまま親子喧嘩は「躾」という枠組みのもとに進行していくらしい。
ただ闘争ということなら、勇次郎はすでにバキを倒しているかもしれない。
というのは、あの落下の時点で勇次郎が車を確認せず、そのまま地面に息子だけを落としていれば、さすがのバキもアウトだったろうから。
しかるに、勇次郎は息子とともに落下していった。もちろん、流れからして彼は下の総理大臣の車を確認していただろう。でなければ、勇次郎だって、衝動的に落下はしないにちがいない。したがってこれは攻撃ではなく移動である。そして、この移動は、通常の親子喧嘩では「父親が息子をつかんで外まで引っ張り出す」という行為に相当するかもしれない。彼らではこれくらいの規模でなければ、「おもてにでる」ということにはならないのである。
続けて、バキはきわめて戦術的に(ひっかかった勇次郎の心理はよくわからないが)勇次郎の手をとり、攻撃をしかけた。息子にとって父を超えるということがある種の宿命であり、真理であるなら、ここに「戦略」がもちこまれたことと「親子喧嘩」とは矛盾しないだろう。「どうしても超えたい」という衝動こそが、「親子喧嘩」の本質であるはずだからだ。とすれば、ここで、少なくともバキにおいて、「通常の闘争」と「親子喧嘩」は、突発的なものではあれ、一致している。
たほう、勇次郎においては、バキひとりを落とさなかったという点において、戦術的なものからはやや離れている。
「親子喧嘩」という物語の構造においては、勇次郎がくちにしていることを参考にすれば、「超えようとする息子」と「超えさせまいとする父親」の対立という構図は、説話的に不変のものである。
しかし、この物語における「父親」は、「息子」を屈服させることを旨とするものではない。
くりかえし語られるように、これは「お仕置き」なのである。
「お仕置き」は、息子のあやまちを正す。いたらぬ息子を次の段階へと成長させる。
だからこの「父親」は、説話形式的に「息子」の上位に立って、「息子」の挑戦を受動的にうけとめ、はねかえすと同時に、「躾」を施して「息子」を更新させ、無意識裡にこれの成長を願うような二律背反の存在なのである。
「父親」が「息子」の手の届かないところにある道具をつかってこれをうちのめすことはたやすい。
「息子」の知らない概念を用いて強権的に打ち負かすことはすぐにできる。
だから、「超えられたくない父親」は「超えたい息子」の語り口に寄り添うかたちでこれを叩きのめさなくてはならない。
そうして、「父親」は、落下の痛みまで共有し、息子に寄り添うようにして、これを叩きのめすのである。
バキがこのたたかいに二の足を踏んでいた理由は前回
考察した。
では勇次郎はどうなのか。
勇次郎はなぜ、いつまでも待ちに徹していたのか。
そしてどうして、彼は、この「親子喧嘩」という台本に嬉々としてしたがうのか。
勇次郎も「親子喧嘩」という物語を必要としていたということはいえるだろう。
彼もまた、息子同様たたかいあぐねていた。
もともとの「待ち」の動機は、バキの成長を待つということだったはずである。
できるだけ待ったほうが味わい深いに決まっている。
それが表層の理由だとしても、アライジュニア戦後、光成に「報せを待つ!」といってからずいぶん時間がたってしまったことの説明にはならない。
人間は、乳児のときに母親のお乳がうまく手に入らないという経験を通して、世界を「私」と「他者」に分節する。
要するに、「他者」というものの根源的な定義は「おもいどおりにならないもの」なのである。
他者を獲得する以前の人間は、アダムとイブが住むあの楽園のなかにいる。
蛇にそそのかされ、禁断の実を食べて世界が分節されたときはじめて、だから彼らは裸でいることが恥ずかしくなり、イチジクの葉でからだを隠すのである。これは他者の、またその目線の獲得ということにほかならないのである。
すべてのわがままをちからで押し通すことのできる範馬勇次郎は、経験や知識としてこうした世界の成り立ちを知ってはいても、未だ「他者」を、わが身に不自由をもたらす存在というものを感じたことがないのである。彼の誕生秘話がそのまま示すように、仮にてもとにお乳がなくても、命令し、腕力でそれが実現できるなら、やはりそこに「不如意」はないのである。
若い勇次郎は戦場をわたりあるき、強者とよばれるものをたたきのめすことで、帰納的にじしんの「地上最強」を、どこまで意識していたのかはわからないが、証明してきた。
そしてそれはもはや、「明日もまた太陽は東からのぼる」ということとおなじくらいの正確さをもって、周囲に知られている。
もう彼は、周囲にむけて「最強」を証明する必要はない。
そうして、わがままですべてを実現できる彼が唯一獲得できていないことというのが、「わがままを押し通せない」という事態なのである。
彼の世界認識は、その意味で赤ん坊のままだし、アダムとイブのものと変わらないのだ。
そして、そこからさきのたたかいは、彼にとって「他者の獲得」、すなわち「敗北」を目指したものとなったはずである。
最強として相手を完膚なきまでに叩きのめしたい。だが同時に、事後説話的に、分析的に語られることになる、人間にとって自然の経験としての「他者の獲得」をなしたいという衝動も、あるにちがいない。
敗北に関して、勇次郎は夢をみる。バキに手も足も出ずにやられるという、眠るときに見る夢である。
ここにも、「勝利」と「敗北」両方にむかう強烈な欲求がぶつかりあいながら共存している。どちらも彼にとって真実の欲求なのである。
そしてこれは、「息子」に対したときの「父親」としての彼のこころの景色、すなわち、超えさせず、かつ息子の成長を願う、そういう父親の複雑な気持ちと、同型のものである。
そうして、地上最強の生物としての矛盾した心理と父親としての矛盾した心理は一致する。
だから、勇次郎は「親子喧嘩」という物語の枠組みを喜んで受け入れる。勇次郎じしんは意識していないだろうが、おそらくそうなのだ。
そしてたぶん、バキが「親子喧嘩」と口にする前から、勇次郎のなかにもこの物語のぼんやりした原型みたいなものは浮かんでいたにちがいない。
彼のなかで激しくぶつかりあう動機は、「父」という行動のモデルをどこかで求めていたのではないだろうか。
そこに、おそらく「待ち」が発生する。「父親」としての、「息子」の超えようとする衝動を待つ、そうしたふるまいである。
とすれば、ふたりはいちいちことばにしてシナリオに沿うかたちで演じずとも、ずっと「親子」をしてきたわけである。
とするなら、この親子喧嘩はずっと「お仕置き」を出ないのだろうか?
バキが勇次郎を超えることがあるとすれば、この理論でいけば、その「お仕置き」で成長するばあい以外ない。
正しく少年漫画的に、バキは戦闘中に激烈な成長を遂げるのだろうか?
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