■『村上春樹雑文集』 新潮社
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「『風の歌を聴け』新人賞受賞の言葉。
カズオ・イシグロはどこが素晴らしいのか?
なぜかお蔵入りになっていた超短篇。
きっとどこかにいる翻訳の神様。
Norwegian Woodは『ノルウェイの森』なのか?
すべての細部に村上春樹は宿る」裏表紙より
デビュー以来、あちこちで書かれてきた書評だとか人物評だとかエッセイだとかのうち、未発表、あるいは単行本未収録のものを村上春樹がセレクトして集めたもの。
村上春樹は、僕にとっては、たぶんいちばんつきあいの長い作家だ。もちろん、このひとに出会ったのは高校生のころであるし、それ以前にも好きな作家はたくさんいたが、その大部分はもうぜんぜん読んでないし、高橋源一郎なんかを知ったのも4、5年前だし、というわけで、10年以上のつきあいとなると村上春樹の小説以外ないのだった。
群像新人賞授賞の挨拶みたいに非常にレアなものも載っているし、エルサレム賞受賞時の歴史的スピーチ「壁と卵」なんかは、ネットではいくらでも原文で読めるが(スピーチは英語でされた)、やっぱり活字にしてもらいたいという要望があったのかもしれない。
村上春樹は決して偏屈な作家ではないのだが、状況的必然というか、あるいは、あるぶぶんではじぶんでそう選択したものでもあるのだから、やはりこの作家の特殊性と見てよいのか、孤独な作家というイメージがけっこうある。もちろん、村上春樹が小説家として最後に目指すところの読者との物語の共有というものは、かなり達成されているし、これはかってなイメージにちがいないんだろうけれど、なんにしても、村上春樹が日本人の作家との交流をほとんどしない、ということは、事実といえるとおもう。(おおむかしに村上龍と対談したことがあるけど、もうずっと絶版。なにか事情があるのだろう)
好きな作家がもうひとりの好きな作家のことをどうおもっているか知りたいとおもうのは読書家の(というか、読書家としての僕の)自然の感情だし、そういうフィルター越しに眺めているから、たぶん、作家としての村上春樹が必要以上に孤独に見えているというぶぶんはあるとおもう。ここにはべつに文学的な意味なんてない。ただの、文字通りのイメージである。
だからこそ、ファンとして、村上春樹のナマの声というものが、すごく貴重に感じられる。小説以外ではまったく文字を書かないという作家ではぜんぜんない。むしろエッセイとか紀行文は並以上の量ではないかとおもわれる。にも関わらず、この作家にはある種の「遠さ」があるとおもう。それが、解説の対談で、友人である安西水丸と和田誠が指摘する「人見知り」からくるのか、はたまた「文学的諦念」みたいなものからくるのか、わからないが、ここで重要なのは、なぜかいつでもこうした「ナマの声」的文章を貴重に感じてしまう僕というファンがいるということである。
様々な年代・媒体に書かれた文章であるけれど、小説に対する考え方が一貫して変わらないことは、やはりさすがだなぁという感じ。はっと目が覚めるようなところもたくさんあった。たとえばこんなところ。
「おそらくご存知だとは思うけれど、小説家が(面倒がって、あるいは単に自己顕示のために)その権利を読者に委ねることなく、自分であれこれものごとの判断を下し始めると、小説はまずつまらなくなる。深みがなくなり、言葉が自然な輝きを失い、物語がうまく動かなくなる。
良き物語を作るために小説家がなすべきことは、ごく簡単に言ってしまえば、結論を用意することではなく、仮説をただ丹念に積み重ねていくことだ」19頁‐自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)より
ある種の天才的小説家なら、みずから結論をくだすことで、なにか世界を圧倒する聖典的真理のようなものを書き出すことができる可能性もある。僕はまだ『金閣寺』 一作しか読んでいないけど、もしかすると三島由紀夫なんかがそうかもしれない。というよりは「金閣寺の三島由紀夫」といったほうが正しいのかも。僕の考えでは、三島由紀夫はあの小説で金閣寺の小説的再現を目指していた。だがそのために、あのような、偏執的というレベルを超越した網羅的文体を必要としたのだ。世界をあまねくことばに読み換えていく気の遠くなるような作業。
しかし、小説じたいが要請するこうした事情がない限りでは、やはり「書きすぎた」小説というのは、概してつまらない。結論をただ書かない、ということではなく、疑問符とともに「正しさ」を保留し、読者にもうひとつの世界を体験させるのである。
「正しさ」を定める絶対者(内田樹的にいえば“父”)のない世界で、それでも「正しき」ことをしようとする、それは、たいへんな難題である。そのために「正しさ」を提示することは、小説家の、少なくとも村上春樹の仕事ではないのである。
小説関係のものももちろんすばらしいが、とりわけジャズやビーチボーイズに関した文章が圧巻である。このひとはもともとデビュー直後までジャズ喫茶を経営していたくらいだから、そのあたりの造詣はもうたいへんな深さである。これは、村上春樹をぜんぜん知らないジャズファンとかが読んでもきっとおもしろいんじゃないかなあ。
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