第246話/教育
バキと勇次郎、範馬親子の食事がはじまった。
これで最終章としての親子喧嘩がはじまるのかどうかはわからない。
だが、これはこれでたいへんな場面であり、ファンにとっては歴史的瞬間といえるかもしれない。
だって、勇次郎が「いただきます」の会釈をしたのだから。
べつにうちの父親が「いただきます」と声に出していったとしても、機嫌がいいのだなとかおもだけだけど、勇次郎ではそうもいかない。それは、息子のバキにとってもおなじこと。彼は、地上最強の生物としての父を追ってきた。しかし、それは、じつは、たとえば独歩だとか本部だとかの勇次郎のみかたと、同じものなのだ。「親子喧嘩」をしようとしていながら、じつはバキじしんが、ぜんぜん勇次郎のことを父として見ていなかったのである。
そして、範馬勇次郎の「地上最強」という社会的価値を定めるのは、もちろん他者なのであった。極端にいえば、たとえば創世記、アダムのあばら骨でイブがつくられるまで、地上最強の人類はアダムだったはずだが、それは他者が生じてからはじめてあらわれる概念であり、ひとり存在する彼に、そのような価値が与えられることはない。同様に、彼が「彼」と呼ばれることも、イブが書かれ、「女」が現象してくるまでありえなかった。
つまり、範馬勇次郎の側面(と呼ぶにはあまりに強烈だが)としての「地上最強」は、彼以外のすべての生物が「彼より弱い」というしかたで、その弱さで、規定してきたものだった。
この価値を捕捉することは、誰にでもできる。つまり、彼の「最強性」みたいなものを認識することは、バキに限らないすべての人類に理論的には可能なのである。
範馬勇次郎にとって「手に入れる」とは「奪うこと」であるとバキは語る。要するに、おまえのものはおれのもの、おれのものもおれのもの、というやつである。どこかですでに表現されたものだろうけど、かなり勇次郎のありようというものをうまく示しているとおもう。
しかし、どうもそうではないらしい。というか、「地上最強」という社会的価値のもとではいまでもまちがいなくそうなのだろうが、それじたいが「最強性」を示し続け、証明し続ける限りでしか存在し得ないため、「最強」は獲得されたものである。弱きもの、すなわち、彼以外の「最強ではないひとびと」の存在があることによって、「最強」は実在していく。したがって、たしかに勇次郎は「最強」になる宿命を背負っていたにちがいないのだが、その方法は帰納的(全人類とひとりひとりたたかっていくわけにはいかないから、彼の「最強」は諸々の経過ののち「どうやら範馬勇次郎という男は最強らしい」というふうに認識されていったにちがいないのだ)なものであるとしても、たしかにある種の「証明」を経て、獲得されたものにちがいないのだ。
たしかに、誕生秘話が描くとおりに、勇次郎は生まれたときから勇次郎であり、腕力であらゆる「わがまま」を通してきた。だから、彼は、「思い通りにならない」ということがなく、したがって他者という概念を知識的にしか知らないのではないかということは、くどいくらい書いてきた。それは、まちがいのない事実なんだろう。だがいかに彼が巨大象をうちたおすちからをもっていたとしても、生まれてから一歩も外に出なければ、少なくとも「地上最強」という他者が定める称号を得ることはなかったのである。彼の内側には、生誕時から宿命的に「最強」の二文字が透明な液で記されていたが、それをあぶりだしたのは、やはり他者との接触なのだった。
そうした、いわば「みんなの知ってる勇次郎」を同様に父親像のあてはめていたバキは、すごく混乱している。なにはともあれ、「あたまをさげる」という事態が想像を絶するものである。なにに対してさげたのか、バキはおもいをめぐらす。
そして、食事に集中できていないバキを「なっちゃいない」と勇次郎が咎める。両腕に欠陥が浮き上がり、髪の毛もちょっとふわっとなってるから、きれてんのかとおもったけど、そうでもないっぽい。
「漫然と口に物を運ぶな
何を前にし――
何を食べているのかを意識しろ
それが 命 喰う者に課せられた責任――
義務と知れ」
・・・・ごもっともッ。
おそるべきまともさである。
バキは改めて、じぶんが父についてなにも知らないことを知る。
ある意味で、バキにとってもたいへん緊張する時間だろう。世間話的な口調で、最近このメカブをよく食べているという。なにが入っているかわかったもんじゃないが、カラダにいいからと。
「防腐剤・・・
着色料・・・
保存料・・・
様々な化学物質
身体によかろうハズもない
しかし
だからとて健康にいいものだけを採る
これも健全とは言い難い
毒も喰らう
栄養も喰らう
両方を共に美味(うま)いと感じ――
血肉に変える度量こそが食には肝要だ」
戦慄のまともさである。
あんまりまともすぎて全文引用しちゃった。
勇次郎にはこのままたばこ問題に参加してもらいたいです。
ここまでいくと勇次郎がどこまで本気か不安になってくる。
そして勇次郎は箸のもちかたも美しいらしい。箸についてはよくわからないが、とりあえず魚の食べ方はすごい。漫画みたいに骨だけになってる。漫画だけど。
息子が知らない数々の作法を、勇次郎はしっかり身につけているのだ・・・。
そして、バキは、あるひとことをいってみたいという欲求にとらわれている。
「洗い物やってくんね?」と。
つづく。
はっきりいってこんなおもしろくなるとはおもわなかった。
ここはひとつ素直に読むべきだろうと僕はおもう(いつだってそうあるべきだが)。
この描写を実現させるためには、バキの驚きが示しているように、かなりの物語の堆積が必要だったはずだ。
たしかに、この一話だけを取り出すと、かなり異様な光景ではある。
だが続けて読んでみると、ごく自然に・・・というのは言い過ぎとしても、おはなしとしてはアナログに連続したものとなっている。
ここまではなしをもってこれた作者の漫画家的持久力と胆力に満腔の敬意を表したいです。
うえにだらだらと書いたことの続きだけど、バキの前で勇次郎が見せている姿は、「父親」という価値だ。
だが、これは、「地上最強」の置かれる文脈とはすこしちがっている。
「いわゆる父親」というイメージは、たしかにある。
そうではなく、バキの見ている父親は、彼らの関係固有の『父親』なのだ。
それは、相互に規定するものではあっても、いま目の前にいる少年の父親である、ということは、本質的なことだ。
「誰かの父親になる」ということは、「地上最強」同様、獲得されるものかもしれない。
しかし「父親になる」うえで、「息子がバキである」ということを奪い取ることはできない。
誰かの息子になるかならないかはある程度選択てきるかもしれないが、しかしそこからバキを選び出すことはできない。
そして、この関係性は、勇次郎が父親に、バキが息子になったときにはじまる。
しかし、それはけっきょくのところ生物学的本質であり、一般論だが、やはり父も子も、お互いに規定するその価値のなかでは、ただ本質に甘んじるのではなく、成長し続けることで「父」や「息子」に漸近していくものだろう。子をもったからといってそれがすぐ「父親」に結びつくわけではないのだ。
そして、すでに「地上最強」となって久しい勇次郎は、つねに、みずからに「他者」を、つまり「不如意」を指摘する存在を求めてきた。彼がたたかいを求めるのは、もちろんたたかいそれじたいが好きだからということもあるが、同時に自己を更新するための上位概念みたいなものを探していたというぶぶんもあっただろう。極端なはなしをすれば、もし勇次郎が若いころにいちどでも負けていたなら、いまよりさらに強力になっていたという可能性もあるのだ。彼はなにかを“超える”ということを知らない。そして、目標点をもつことでにひとが大きく成長するというのはごくふつうのことだ。彼はたぶん、目標の定めかたすらよくわからないはずだ。
そして、いわば深層意識が、これまで勇次郎じしんあまり目を向けていなかった「親子関係」のなかにある種のコンフリクトを見出せそうだと、彼に教えているのである。
この関係は、強い弱いではかられるものではないからである。
まったく他者を知らず、自我を押し通して生きてきた彼が、壁にぶつかる可能性のある領域に魅力を感じるのは、こう考えて見ると当たり前なのだ。
だから、不気味なほどの積極性で、勇次郎は「親子ごっこ」に応じる。
今回勇次郎のくちにしたことの真意は、はっきりいってわからない。
正しく「ごっこ」として、父親を演じているという可能性ももちろんある。
だが、いまもっとも重要なことは、勇次郎が乗り気だということだろう。
親子喧嘩がはじまったとき、ただの関係の衝突が、社会的には、文字通りの地上最強決定戦になる。
僕は、ここではじまってもいいんじゃないかとおもう。
だが、烈対ボルトも残っているし、はじまらないかもしれない。
あとは、範馬親子がどんな行動をとるのか、見守っていく以外ない・・・。
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